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無知が故の怖いものなさも時には武器になる

◆無知はデメリットのが多いがその時にか持てない武器になる



恐らくこの記事を読んでる方で今よりもずっと若い頃、例えば20代前半、10代とかその時の自分を思い返して見て、『良くこんな無謀なこと出来たな』『今の自分だったら挑戦しないな』というエピソードの1つや2つあると思います。

昔のが体力、気力に満ちあふれていたとか、蛮勇的に向こう見ずな部分もあって突っ込んで行ける等様々な理由があると思いますが、要は類題の通りに…

人生経験が浅い、その事柄に対して無知が故に本当の怖さを知らないから、挑戦出来て、全力で取り組めた。その時限定の武器もあると思っていて、、、これが酸いも甘いも嚙み分ける海千山千の人生経験豊富な方になると

わりと今までの経験と照らし合わせたりして慎重になってしまったり、確実性の無い、自信のない部分を把握してるので、自分の中で不得意な所へストッパーをかけてしまうというのも出て来ると考えております。

例えがちょっと偏ってて古いですが、ボブサップが格闘技始めたばかりの時は、体力の続く限り、めちゃくちゃに暴れ回って覚醒する160キロ、2メートル筋肉ダルマの素人として、柔術家のノゲイラを追い詰めたり大活躍していましたが

色々習って技術を身に着けたり、あらゆる攻撃の危険性に対して備える練習をするようになってから、ディフェンス無視の攻撃をしなくなり、極めつけはミルコクロコップにの左ストレートで眼底骨折してから

すっかり格闘技の怖さをしってしまい、殴られそうになったら身が縮んでしまい、失神や内臓に響くパンチをもらった訳でもないのに自分から後ろを向いたり、倒れてしまう場面が出てきた

これはいい例だと思うのです。

最初その事柄に対して分からな過ぎると何を恐れて良いのか?も分からず、自分にとって何が難しくて、何が自分が出来て、出来ないか?必要なレベルと今の自分のレベルの差の大きさを感じる余裕も無く、ただ目の前のことに飛びついて、ガムシャラになれる。

これって最初に使える唯一の武器だと感じていて、若くて世間知らずだから飛び込めたことや無知が故に危ない橋もわたることが出来た

それで痛い目見ながら何とか成長して行くという体験が色んな知識や経験を踏んで行くとなくなって行ってしまうと思っていて、もちろんそれに取って変わる以上の武器として知識と経験が装備されて行くので

そんな無理して飛び込んで行くこともないかもしれないのですが…痛みを記憶して保守的になり過ぎてしまうと自分の枠の範囲から外れた新しいものが生み出されづらいかななんて思ってしまいます。


◆経験が増えて行くことで見えなくなって行くもの


経験が増え自分の中の引き出しが増えていくと、ついつい新しく学ぶよりもその引き出しの中で何とかその場に対処しようとして、その引き出しの中のモノを点検せずに長い間使い続けることで

時代にそぐわないモノになってたとしても気づかず、時間の経過とともに愛着が湧き、その引き出しの中のモノが最適解でないと誰かに指摘された時に自分の人生を否定されたような

目的の為の手段が、手段を正当化する為の目的になってしまうように、繰り返すことで出て来る恩恵も弊害もあって

人生も繰り返すことで我が出て来て自分の持ってる何かに対する愛着、執着が高まって、それは当然で良いことでもあるのですが、同時に自分にとって都合の良い方に答えを持って行って、それに合わせた式を作ってしまう。

自分の過去の経験からの思い込みも生まれてしまう。

人によってはそこの所を上手く理解して摘み取ってる方もいると思いますし、さして悪いことでもないのでそのまま放置している方もいる。

ただ、経験がなかった時に見えなかったことが見えてきて、経験を積めば積む程視野範囲が拡がって行くかと思いきや、経験を積むことで見えるけどバイアスや思い込みで歪んで見えてしまうこともあるな、と伝えたく

例えば大人よりも人生経験が浅い子どもは大人を見る時に、社会的地位やその人の家族や背景を見てその大人を判断してから接さないですよね。

今目の前のことをそのまま見て感じとっていると思います。(それで騙されてしまう所もあると思いますが…) 大人になると相手の背景を見ずに接してるつもりでも

その人の役職や立場に比例して素晴らしい人間なんだと思ってしまったり、逆にどんな事情があるか?知らなくとも、その人の現状があまり宜しくなかった場合に、欠点などネガティブな情報ばかりを探して、その人をどういう人間か判断してしまう

ある情報、知識という便利な引き出しが増えると、情報を通すフィルターが多く、きつくなって来るように私は感じます。それがコントラストを強くして色を引き出してくれる部分と

本当の色を認識させづらくしてる部分もあると、自分が狙って知識を上手く利用してる時は良いのですが、知識、経験に逆に利用されてそれを肯定化させることに行動してしまうことで、経験が足を引っ張る部分もある

かといって今学んでいることがいつかは使えなくなる時代遅れになる前提で使い捨てと捉えてしまうのも知識を大事にする気持ちが下がるし、塩梅
が難しい所だと感じます。


■無知の上位互換となる武器は謙虚さ



無知から積み上げて行き、知識や経験や実績をもってしても自分の能力に驕らず、どんな人間でも自分にはない視点や特技を持っていて学べる所があると

人を一概に上下で判断しない柔軟な謙虚さと、時に自分も客観的にチェックすることが出来る自分と他人との公平性が磨かれて行くと

慎重過ぎず、蛮勇にもならない、自分の状況に合わせた最大限の挑戦が出来るようになると確信しております。

謙虚と言っても、自分を卑下したり他人に常に下手に出る等の意味ではなく、自分が他人の全てを上回っていないのと、正しいモノにぶつかった場合に、ちゃんと自分を疑うことが出来る。

自分という人間にも間違いや欠点があり、それを前提に物事を見ることが出来るのが本当の謙虚さだと私は思っています。逆に自分の間違い、欠点を棚に上げて

自分のやり方にこだわり、それ以外を攻撃する、自分のが上だと、どこを切り取っても相手を上回ると勘違いするのが驕り高ぶりだと考えます。

謙虚さという武器がなく、驕っていると、内心は常に余裕がなく肉弾戦で血まみれになりながら自分を守ろうと必死になっている。

しかし、謙虚さというエクスカリバー(中二病発動中)があれば目の前の思い込みや幻想、過去の自分を打ち破って、先に進めるのかなと言う所で

今回はこの辺で終わりにしたいと思います。

ここまで読んで頂きありがとうございました。

そんな優しい真面目な皆さんがより豊かになりますように☆またね!(●´ω`●)

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