【鶏口牛後】の生き方について
※写真関係ありません
あまり聴きなれない四文字熟語かもしれませんが、鶏口牛後という、中国戦国時代の秦に従うか?迷ってた韓の王へ、蘇秦が『例え鶏口になっても、牛後にはなってはいけない』と助言したことから出来た言葉で
要は大きな組織の下で付き従ってるならば、小さな組織の長と成れという意味です。牛のケツに敷かれてるなら、鳥のくちばしであれ…ということで
皆さんはどうでしょうか?”寄らば大樹”で大きな組織にいた方が周囲にも自分のいる所が凄い思ってもらえるし、大企業ならばすぐに潰れない、有利だと安心するから、小さな組織の上になんか立ちたくない!なんて思う方も居ると思いますし
それを否定するつもりも毛頭ありません。
何が良いか?悪いか?は私が決めることでは無く、各個人の価値観、考え方によって違うものです。
ただ私の場合は不安定でも周囲からどう見られようと、自分で考えて動かして行ける方が好きなので、鶏口牛後の精神で道を選んでいますし
多くの人が選んでるものを選びたくない天邪鬼気質があるのと、自分だけでも良いと思えれば、それは良いモノだという訳の分からん確信を持って、空気を無視してなんの迷いもなく突き進めます。
しかし、人によっては多くの人から認知されるような企業で、そこに居るだけでも凄いと思われる場所にいることで安心を覚える方や、多くの人と違った方面に行くことで不安になる人もいると思いますし
何度も言いますが万人に共通する正解はありません。
ただ私の人生という狭い範囲での1つの教訓として、リスク承知でやりたいことがあれば出来るだけ早い時期に始めた方が良いと痛感しました。
結婚したり子供が生まれたり、歳を重ね続けて気力体力的に厳しくなる前に、、自分の身の程を知ることはとても良いことです。例えズタボロになって痛い目見ても
何も挑戦することなく、流されて時だけが過ぎれば、後悔もするでしょうし、自分で確認したい本当の自分の能力値としての限界を発揮する、知ることなく、歳をとって行くことになりますし
限界、身の程を知らないでくすぶってると、淀みます、捻くれます、想像するばかりの人生になります。
想像だけじゃなく、自分で実際やりたいことをやって叩きのめされる経験というのがあると、自分の視野範囲の外に想像を絶する世界があると
良い意味で井の中の蛙大海を知らず状態に直面し、自分の能力を過大、過小評価しなくなりますし、どんなことでも突き詰めれば凄いことなんだと、理屈でなく、体に刻み込まれる。
やはり大きな組織だとある程度固定されてしまってる部分も多く、自分が関与できることが少なかったり、決まり続けていたり
私的には大きな組織は1つの学びとしてはアリですが、そこで上に立てないならば要はないです。
現実と理想のギャップのストレスもヤバかったとしても、コイツ頭がおかしくなったと思われようが、自分でこうしたい!と決めてそこに向かって行った先の失敗なら納得ですが
他人が決めた道や多くの人にただ流されて生きるのはそこそこ上手くいったとしても、そんなこと続けるのは嫌です。
ニワトリ並の小さな脳みそなりに、ちっぽけな脳みそフル回転して、自分で動かして行きたい、牛のケツに敷かれて生きるなんてまっぴらごめん、と
色んな場所に行って比較して見て、そうやって考えて生きる方が自分には合ってるという確信を得ました。
でも一回抜けたら戻れないような所もあると思うので、無責任に皆さんにおすすめする生き方ではありませんが、ただ鶏口牛後の精神があるのであれば
何かを失う覚悟で自分の好きに生きて見るのもアリかと思います。
格闘技で見えないパンチよりも、見えてるパンチもらった方がダメージ少ないように、気構えなく失うよりも、気構えを持って失うならば意外と処理できるものです。
所詮自分の感じ方ですから、自分が失うものよりも得るもののが価値が高いと感じれば、そこに向かって取りに行くだけですので
と言う所で、お時間奪うとあまり宜しくないので、この辺で終わりにしたいと思います。
心の中の長い独り言みたいな記事になりましたが、これに懲りずにまた機会があれば遊びに来ていただければ幸いです。
皆さんがより豊かになりますように☆