在原なほ

SNSは使いこなせない60年代生まれ。書くことが精神安定剤だった時期もある。書かなくてもどうにか生きていけたありがたい時期を経て、半世紀過ぎた今、「書くこと」を改めて見直しているところ。

在原なほ

SNSは使いこなせない60年代生まれ。書くことが精神安定剤だった時期もある。書かなくてもどうにか生きていけたありがたい時期を経て、半世紀過ぎた今、「書くこと」を改めて見直しているところ。

最近の記事

クマゼミ 2024

 仕事に出向いた幕張メッセ周辺で、クマゼミの鳴き声を耳にして、驚いたのは数年前のこと。この驚きをオフィスに帰って伝えたところ、同僚に「話題がニッチすぎてついていけない」とあきれられたこともセットで思い出す(別にこれを理由に退職したわけではないが)。  わたしの驚きは、「西日本のセミ」が関東で鳴いていることにあった。  地球温暖化の象徴として、その住まいの北限が上昇していることがしばしば話題になるが、木々の輸送が昔よりは容易になったこと(木の根の周辺に幼虫がついていく)や、クマ

    • 道はなくても METROCK2024

      二年前、野外フェスデビューをした日は、術後一か月を経過したところだった。計画的な手術だったし、命を脅かす病ではなかった。それでも、誰の手も借りずに歩き回れることが殊更有難いと感じられたし、皆が経験したコロナ生活が明ける兆しが垣間見えていた頃だったから、野外の空気が新鮮だった。 昨年は、いよいよコロナ明けの時期と重なり「ひとり1平米」制限のレジャーシートは配られなかった。そうすると、皆遠慮なく、ぐちゃぐちゃに混乱するのだな、という実態も体験した。殊にオオトリまで聞いた後の、最

      • Re:本 『しずくのぼうけん』

        「まりあてるりこふすか」  「ぼふだんぶてんこ」 作者の名前を声にしては、きゃきゃきゃと笑っていた。それが誰かの名前だという認識もなく、異国の不思議な音として。 今、手元にある絵本よりも、もう少し横長の、すこしグレーがかった水色の絵本だった。表紙には、すました顔の「しずく」が、気障な格好で(と思っていた)くつろいでいる。 「うちだりさこ・やく」続けて訳者の名前を声にする。それはロシアという遠い国のお話を知らせてくれる人だと聞いていた。『てぶくろ』の表紙にいる名前。 ベストセ

        • 次の方、どうぞ(14) 匂い

          「あたしほんっとにダメなんです、匂いがきついの」 通勤中の電車内で、香水や柔軟剤のきつい匂いで不快感を覚える、さらには吐き気や頭痛に襲われる、という化学物質過敏症候群が話題になって、もうずいぶん経つ。にもかかわらず、発症する人を「特殊なひと」とする世の中の動きには、あまり変化がないように思う。 それにしても、だ。 ダメなんです、と声高に叫ぶこの女からは、得も言われぬ匂いが漂っている。わたしの中の匂いの記憶をたどれば、駅前のインド料理屋と、葬式に出向く寺と、田舎のばあちゃんちが

        マガジン

        • おはなし 『先生と、』
          3本
        • おはなし 『次の方、どうぞ』
          13本
        • 「英会話できます」じゃないバスツアー@Tasmania
          10本

        記事

          次の方、どうぞ(13) 社長教サラリーマン

          「なんにもしてない、みたいに言うなっ、俺は、俺なりの立場で、やることやってんだよ」 ろれつの怪しい、怒号とともに中年男性が診察室に転がり込んでくる。見本のような酔っ払いは、まっすぐ歩けてはいない。なのに患者用の椅子にはしっかり座ることができる。背もたれもないのに。 「酔ってないぞおらぁ」 俺は、なのか、「オラァ」と威嚇しているのか、語尾の意味はどちらともとれる。アルコール臭がきつい。 何故、泥酔した上でクリニックのドアをたたくのか。いや、そりゃ、ここは確かに夜の商売の有象無象

          次の方、どうぞ(13) 社長教サラリーマン

          Re:本 『わたしのいるところ』ジュンパ・ラヒリ(Jhumpa Lahiri) 中嶋浩郎 訳

           一言で言えば、音のしない本。 現代文のテストで副題を提案されたなら、「静謐」と表現するかもしれない(正しく漢字が書ければ!)。 46の短編が連なる「長編小説」とあるが、どこを切り取っても一枚の絵のような情景が見える。解釈次第でどんなふうにも読み取れるという点では、絵画よりも水墨画に近い、あるいはアジア的と感じた。 作者の母語---ロンドン生まれのベンガル人としてのそれを英語とするなら、だが---ではなく、自ら選択したイタリア語で執筆した小説であることはもとより、「自己」と

          Re:本 『わたしのいるところ』ジュンパ・ラヒリ(Jhumpa Lahiri) 中嶋浩郎 訳

          続ー 台所解体、そして

          台所のリフォームをして3か月経った。この間、年末と正月というわたしの中では年間でも最も「台所に居たい/居る」時期も経験した。 リフォームするとなれば、おそらく複数社の相見積もりをとり、ネット情報を探り、価格と好みの仕様にこだわるのが「王道」というものだろう。リフォームした後で比較サイトを眺めて「へぇ」なんて言ってる、間抜けなわたしは大きく道を外れている。それは知っている。 言い訳をするなら、リフォームのきっかけが「ガス器具の不調」だったからだ。地域によってはいざ知らず、都内2

          続ー 台所解体、そして

          2024年のはじまり

          元旦に地震。とても大きな、一週間経っても全容が把握できないほどの。翌日には飛行機事故がある。炎上の瞬間が暗闇に浮かぶ映像が何度も流される。 これといった新年の抱負もなく、努めねばならぬ仕事も役目も試験もなく、ただ正月三日の「休日」を過ごす身であっても、この情報量と内容に打ちのめされる。 立て続けのニュースに思ったことは、これでガザの紛争が「より」遠くなったな、ということだった。ウクライナの戦禍も、よりいっそう。事実、報道情報量は格段に減っているのだろう。 世界の中心を自分に

          2024年のはじまり

          クリスマスチキンの骨、どうするか問題。

          クリスマスチキンを焼く。 これを恒例行事にしてから四半世紀ほど経つ。むろん、子どもらが喜ぶ(かもしれない)という下心とともに、「大きいものを調理する」楽しみを、年に一度くらいは味わいたい、というわたしの欲でもある。 きっかけは生協宅配のチラシに煽られた、というのが実態だが、しかしある年(どういう訳だったか、鶏肉全般の供給不足で)丸鶏入手が抽選となり、見事にはずれた時には、町中の肉屋さんを訪ね調達に走ったりもした。(この時点では我が家の周辺にはいくつかの肉屋さんが健在だったこと

          クリスマスチキンの骨、どうするか問題。

          おはなし『先生と、』 寿司屋にて@2010 #3

           あぁ、なかなか進也が出てきませんね・・・  何度目かの訪問の時に、わたくしは、ほかの子どもたちとはちょっと集中の仕方が違う男の子がいることに気づきました。時に、むきになってゲームに勝とうとする子がいますが、そういうのとも違う。彼は、話は話として聞いているのに、記憶力が優れているのでしょう、勘もよく、みなと同じようには騙されませんでした。少しシニカルではありましたが、ユーモアもありました。場の雰囲気をやわらかくするという点で、伯父に似たものをわたくしは感じました。 そうなん

          おはなし『先生と、』 寿司屋にて@2010 #3

          おはなし『先生と、』 寿司屋にて@2010 #2

          ・・・どうですか、競馬場で、その日あった男の言葉で、全財産賭ける勇気が、あなたにはおありですか。 わたくしは、ある意味、オダさんを尊敬しますね。信じると決めたからには信じるという漢気が、あのやわらかい笑顔の中にあるということにね。 競馬に当たったのは偶然でしょう。しかし、そこから二人の縁が始まった。オダさんは一度きりと決めていたので、伯父が博打で手にしてくるなら金は受け取れない、とそう言ったそうです。だから伯父は、いつでも正直にこれは弟に借りてきた金だと、話していたようですよ

          おはなし『先生と、』 寿司屋にて@2010 #2

          おはなし『先生と、』 寿司屋にて@2010 #1

          若旦那、ご無沙汰しております。いや、もう若旦那じゃないのか、立派な大将になられて。先代は職人としてもたいそう立派でしたけれども、ちゃあんと若旦那を育てるっていう、もっと難しい仕事まで立派に成し遂げられたわけですねぇ、見上げたもんです。 え? いや、わたくしはとっくに隠居の身ですよ、もう教職から離れてそうですね、かれこれ八年・・いやいや、十年ちかく経ちますか、最近はそんな数も数えられなくて、困りますね。まばたきをしている間に一年が過ぎるような心持です。年をとると、本当に時間の感

          おはなし『先生と、』 寿司屋にて@2010 #1

          re:本 『宙ごはん』町田そのこ

           宇宙の「宙」の字を人の名前として「そら」と読む、というのに違和感がなければ、あなたは十分に若い。 などというのはただの独り言だが、この本は大雑把に言えば、「宙という名のひとりの子の目を通して描かれる、成長物語」である。(この一文を「女の子の目」「彼女の成長物語」と書かないのは、この性別が特定されなくとも、おそらくこの物語は成立するだろうから) 五つのパート、それぞれの成長段階で構成される物語は、宙の幼い日から始まって、小学校入ってすぐと、小学校高学年の、そして中学生、高校

          re:本 『宙ごはん』町田そのこ

          re:本 『友よ、また逢おう』坂本龍一・村上龍

           坂本龍一の訃報を受けて、図書館の入り口近く、いつもは「季節特集」を置く特設コーナーにこの一冊はあった。奥付は平成4年発行。1990年から1992年に月刊誌に連載された、往復書簡である。(探し出してきた図書館員さんも熱心な方だと思うが、このように出会えるのも紙の本ならではだろう) 往復書簡――― チャットやe-mailをはじめとする「電子的な」やりとりではなく、Faxのやりとりをまとめた内容だ。Faxが「手書き文書」だったのか、「ワープロ文書」(パソコンではない)だったのか、

          re:本 『友よ、また逢おう』坂本龍一・村上龍

          「英会話できます」じゃないバスツアー#10

          <2023年5月 ホバート@タスマニア 市内観光バスツアー顛末> 10 完全に、遠足の帰り道気分だった。前の晩から高揚したまま出かけ、気持ちの乱高下を抱えながら1日を過ごし、ややぐったりしつつもまだうわずった気持ちは冷めない夕方。バスに乗せてもらって、自分で運転する必要もない。「町に帰ります」のあとはDさんのガイドアナウンスもお休み。夕日が、丘の向こうに沈んでいこうとするのをぼんやり眺める。家畜も人も建物に帰り、のっぱらに点在する小屋や木々も、少しずつ輪郭がぼやけていく、た

          「英会話できます」じゃないバスツアー#10

          「英会話できます」じゃないバスツアー#9

          <2023年5月 ホバート@タスマニア 市内観光バスツアー顛末> 9 帰国後に見た多摩動物園のニュースによると、2頭のうち「ダーウェント」は今年のはじめに死んでいて、残る1頭の具合がよくないということだった。ホバートを流れる川の名が、2頭に名づけられていたことをはじめて知る。そして数日前(10月になってしまった)残る「テイマ―」の訃報を知る。国内でタスマニアデビルに会える場所が、なくなってしまったことになる。 捕鯨の話題もそうだが、動物園に対する考え方はその国の文化背景に依

          「英会話できます」じゃないバスツアー#9