見出し画像

re:本 『友よ、また逢おう』坂本龍一・村上龍

 坂本龍一の訃報を受けて、図書館の入り口近く、いつもは「季節特集」を置く特設コーナーにこの一冊はあった。奥付は平成4年発行。1990年から1992年に月刊誌に連載された、往復書簡である。(探し出してきた図書館員さんも熱心な方だと思うが、このように出会えるのも紙の本ならではだろう)
往復書簡――― チャットやe-mailをはじめとする「電子的な」やりとりではなく、Faxのやりとりをまとめた内容だ。Faxが「手書き文書」だったのか、「ワープロ文書」(パソコンではない)だったのか、微妙な時代だなぁというのがわたしの感想。
これを「懐かしい」と思うか、その状況を具体的には想像できないか、あるいは、「Faxって郵便と違うのか」(例えば坂本龍馬の直筆書簡がどこかの蔵で見つかったとかいう歴史的な話題と同等感覚)と思うか。読者の世代によって、その捉え方には幅があるだろう。どんぴしゃに懐かしく思う世代のわたしでさえ、正直、書簡が往復するタイムラグに耐えきれない場面もあった。

手紙というのは、言ってみればかなり「一方通行」なもので、その内容にぱんっと返事がくることはない。当たり前だが、書いている人間は想像の中の相手に言葉をかけているのであって、瞬時にその言葉が伝わるわけではないからだ。すべての大前提が「既読スルー」と言っていいかもしれない。
時間を置いて、相手の中で咀嚼され、その上で「うまく説明できないから今度会った時に話すよ」なんて返信が届いたり、あるいは次の次の返信で「そういえばこの前の○○について僕の感想はね」といった具合に応答があったりしている。「そりゃそうだ、手紙だもの」と思うわたしと、「あぁ、もう、こういう「間」に耐えられない自分がいるんだな」と客観視するわたしがいる。とても不思議な感覚だ。
当時の自分を思い返せば、坂本龍一の新譜が出ればラジオ番組で紹介されるのを熱心に聞き(すぐにはCDを買えない学生だった)、村上龍の新刊が出たとあれば図書館の新着コーナーに目を光らせた。今でいう「推し活」の激しさには遠く及ばないが、当時はそんなもんだった。

東京だ、NYだ、パリだ、キューバだ、と自分の現在地を説明し、互いに音楽のことを、映画のことを、小説のことを、つまり自分がすべきと見定めた仕事の話を綴っている。忙しいね、僕も大変なんだ、でも楽しいよという会話が、全体を通しているスタイルだ。この時代の象徴のようなふたりの言動を、今、落ち着いて追いかけると、なんだかとてもせわしない。大陸間の移動にコンコルドさえ使っている!
けれど、それこそが「憧れる」要因であり、結果だったのだ。ふつーの人にはできないよね、と互いに了解しながら、国際移動や、有名人同士の交流を語る言葉を「眺める」ことが。宇宙空間にいる人とも画面越しに動画交流できる今となっては、「からだを使っているなぁ」という印象も受ける。

巻末には、「プロデューサー見城徹」につづき、エディターやデザイナーなどカタカナ肩書(これも当時は憧れ)のスタッフ名が掲載されている。そのすべてが男性であるということも、この時代らしさなのだろう。この、圧倒的男性優位社会。強いことが格好良い、体力の限界まで世界を飛び回る男性の姿に、たしかにわたしたちは・・・少なくともわたしは憧れ、ほぼ崇拝してきた。そこに疑問を抱く余地はなかったし、かつてその社会を支持してきた自分を、特段恨んだり蔑んだり恥じたりはしない。その憧れと同じようにあろうとした女性たちが、頑張って、そして疲れていった時代もまた既に過去のことになっている。「今のわたしとしては」違和感を抱きながら・・・あぁ、でもやっぱり、このふたりが、好きだ。

なにもかもを時代のせいにしたくはない。けれど30年の時を経て、確実に一個人の感覚が、妙なズレを感じるくらいに世界は変わってきた。行間にあふれ出る羽振りの良さも、今はない。一方で、書簡にある「いつまでこの戦争は続くのか」という話題がデジャビュのようにも感じられる。これだけの時間を費やしても、世界は殺戮を伴う争いごとを解決できないでいる。

そして、この書簡が往復することはもう、ない。
残された言葉と音楽に、わたしはまた、逢いに行く。
2023.10.31

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?