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おはなし『先生と、』 寿司屋にて@2010 #3

 あぁ、なかなか進也が出てきませんね・・・

 何度目かの訪問の時に、わたくしは、ほかの子どもたちとはちょっと集中の仕方が違う男の子がいることに気づきました。時に、むきになってゲームに勝とうとする子がいますが、そういうのとも違う。彼は、話は話として聞いているのに、記憶力が優れているのでしょう、勘もよく、みなと同じようには騙されませんでした。少しシニカルではありましたが、ユーモアもありました。場の雰囲気をやわらかくするという点で、伯父に似たものをわたくしは感じました。
そうなんです、進也はね、第一印象がえらくいいものだったんですよ、わたくしには。伯父を失った喪失感もあったでしょう。それから、『家』に通うにつれ・・・家内の症状が少しずつ少しずつ進んでいくのが、わかりました。
何度も申し上げますが、そのことからわたくしは、ずっと目をそらしていたかった。気づかないふりをしていたかった。そんな時期でしたから、進也の存在が、本当に薄闇にさす、ひとすじの光のように思われたのです。

家内は、少しずつオダさんご夫妻とうちとけてゆきました。それは喜ばしいことでしたが、時々何かの拍子に、オダさんご夫妻にはたくさんのお子さんがいると勘違いをするのです。気持ちがはっきりしている時には、オダさんたちの社会的な働きを冷静に評価しているのですが、ふとたくさんの子どもに囲まれると、気持ちが卑屈になってしまうようでした。どうしてオダさんにはたくさんいて、わたしにはひとりもいないのかしら、と。
オダさんご夫妻は、よく心得ておいででした。おそらく相談に見える方の中には、同じような症状の方もおられたのでしょう。家内の気持ちがはっきりしている時を選んで、落ち着いて手続きの説明をしてくださったこともあります。
しかし次第に、家内が子どもの年齢を、やけに気にしていることに気づきはじめました。あの子は四歳?四歳何か月?・・・あぁふたつき足らないわ。それに女の子ですものね。あの子は二歳、あら、二歳三か月、そう、五月生まれね!・・・あぁでも男の子だもの、いけないわ。
―――家内がなにを気にしているのかわかった時には、慄然としました。ここで一言、大きな声でもあげて、家内の目を覚ました方がいいのではないか、やめてくれ、と一言、わたくしの気持ちを伝えるべきなのではないか、と。
・・・わたくしは、あの子たちが二度死んでしまう、と思ったのです。
ヒトの形になれずに流れていった二人の息子も、息をすることのなかった娘も、わたくしと、家内にとっては、たしかな子どもでした。この世に出てすぐに骨になってしまっても、それは、たしかに、わたくしたちの子どもでした。
もし、家内が、あの子たちと同じ年恰好の子どもを引き取りたいと言ったら、あの子たちの代わりに育てようと言ったら、わたくしは恨まれてもののしられても、否と言おうと決めました。たしかにわたくしたちの子どもがいたことを、わたくしたちがもし忘れてしまったら、あの子たちは、ほんとうに死んでしまう。わたくしたちの子どもが、はじめからなかったことにされるのだけは忍びない、そう思ったからです。

そんなことがあってもまだ、わたくしは家内の症状を認められずにおりました。オダさんが心配してくださる中、わたくしは『家』でカードを囲む時間にすがるほかなかったのです。重い気持ちで勤めを終えて、日曜のために練習を重ね、休みには家内を伴って、しかし家内から気持ちがやっと離れて、『家』の中に自分の居場所を求める・・・助けるような恰好でいて、助けられていたのは、わたくしのほうでした。

えぇ、『家』の子どもたちは18になったら卒業することになっています。住まいを探すところからはじめ、自分で稼ぎ、自分の面倒をみていかなくてはなりません。進也も例外ではありません。わたくしが『家』に出入りする間に、進也は高校生活をはじめ、あっという間にそれを終えようとしていました。その間に、わたくしはカードゲーム以外の話もするようになっていましたから、彼が進学したがっていることも、存じていました。それではじめて―――わたくしは三年も経って、ようやく自分が他人の子を育てるだけの下地ができたことを実感しました。ようやく養子縁組について、具体的に考えてみる気になったのです。
ぐず、ですね。言い訳を承知で言えば、それでもやはりわたくしにはそれだけの時間が必要だったのだと思います。進也には・・・そして、家内には、申し訳ないことをしたとは思いますが。
結果的には、あなたもご承知の通り、養子縁組は成立しなかった。家内の心の病は、もう傍目に見てもずいぶんと進んでいて、養子縁組を成立させるだけの条件にそぐわなかった。「養父母は健康な夫婦であること」という条件は、おそらく今も変わっていないでしょう。
オダさんはそれでも、とご尽力くださいました。でもね。
ないものねだりで、もしもこの子を拾っても、引き換えに家内を捨てることになってしまうだろうという、よくない想像がいつも勝ちました。言い訳かもしれません。もし三人でいっしょに暮らしていたら、あるいは家内の気持ちも別の方向に動いたかもしれません。病が癒えることもあったかもしれないし、あるいは・・・

進也の卒業は迫りましたが、家内にそのことを伝える時間は訪れませんでした。わたくしとでさえも・・・いえ、わたくしとだからだったのかもしれませんが、家内はもう、まともな会話ができる状態ではありませんでした。

正直、わたくしは、逃げたかった。
家内を思いやるような恰好でいながら、わたくしの気持ちの中で、わたくしはとうに、家内を捨てていたのです。そのことと引き換えに、進也に目をかけることが、いいのかどうかもわかりませんでした。きちんとした法的な後ろ盾にもなれない自分を歯がゆく思うこともありました。いっそ経済的な支援だけでも、と思い、働き口と住まいの手筈をととのえただけでした。
えぇ、それが、あなたがたが在学される少し前の話です。
わたくしは支援が大変半端なことを、半ば後悔しながら、家内を看る日々を過ごしました。介護サービスなどというものはまだありませんでしたし、オダさんご夫妻の助けなしにわたくしの教師生活はあり得ませんでした。申し訳ないと頭を下げた時、そのための『みんなの家』でしょう、と笑っておっしゃってくださいました。今でこそグループホームといった施設が少しずつ聞かれるようになりましたが、なに、オダさんご夫妻はずいぶん前から実践されていたわけです。

いったいぜんたい、家族というものはなんだろうかと、今でも思います。
ただひとつ屋根の下、いっしょに暮らしていたら、それで家族というのでしょうか。ともに暮らしたことのない進也や、オダさんご夫妻に、わたくしは支えられてきました。
彼らがわたくしにとって家族でなくてなんでしょう。
今でも、進也は、息子と思って接して・・・いるつもりです。ほんとうの、本物ではありません。しかし、そういう心構えです。何もしてやれなかったという気持ちはまだあります。
それでも。
元気でいてくれたら、ただ嬉しい。会えたら、なお嬉しい、それだけです。

まるで、うぶな女学生が憧れの相手に会う時のようでしょう? おかしいですか? ほんとうなら、もっとどろどろした親子の確執みたいな時期を、経るべきだったのかもしれません。しかし進也は大人でした。わたくしが出会った15の頃から大人でしたから・・・わたくしもずいぶんと進也に甘えてきたところがあります。なんというんですか、こういうの、いいとこどり、って言うんでしょうかね。
え? あぁ、持ちつ持たれつ。そうですね、その方がしっくりくるかもしれません。
ただ、わたくしの中では、そうですね、わたくしが、進也に、おんぶにだっこと言った方が、本当にしっくりくるかもしれない。いや、もう、教え子のあなたにまで、おんぶをしていただくことになるとはね。

いくつになっても思い出すんですよ。人と人とは出会いたいと思って、出会えるもんじゃないんだと言った、伯父の言葉をね。本当に・・・

今晩は、あなたと話ができて、よかった。心残りがひとつ、減りました。
縁起でもない? いや、覚悟はしておいて損はないでしょう。

あぁ―――そうですね、進也が息子なら、この子は孫ですね。進也に誤解されたままでも悔しいですから、目の手術を真剣に考えましょうか。孫の成長を楽しみにできるなんて、ありがたいことが、まだあるなんてねぇ・・・
それにしても、すっかり酔いがまわったようですよ。目の調子もぐっと悪くなりましたかね。
いや、なんだか赤ん坊が、ずいぶんと、にじんで見えるじゃぁ、ありませんか。


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