概要 一年少し前(24年夏)、ちょっとしたきっかけから日本古代史を勉強しなおしはじめ、ある程度自分なりに納得できるイメージができた。細かい疑問は際限無く出てくるので、そろそろ自分なりに全体像を纏めて一区切りつけたくなった。 疑問の中心・きっかけは「魏志倭人伝が記した卑弥呼がいた『邪馬台国』はどこにあったか」だが、多くの学者が口にする通り、より大切なのはその時代とその前後も含めた歴史の流れ、全体像だと思っている。 卑弥呼・邪馬台国についてはいくつかの note に投稿し
卑弥呼・邪馬台国 九州説・畿内説 (魏志倭人伝の解釈について)の補足ノート タイトルは文字通り解釈すると比較対象が不明確で、ヘンですが、あえてこのままにします。(そもそも、モヤッとしている対象の比較なので) 畿内説を採る人たちは、魏志倭人伝に描かれている倭国、邪馬台国のイメージはヤマト王権の纏向のイメージに合っているのだろうか? 自分にとって大きな疑問の一つだ。 1.纏向のイメージ 上の写真は、このサイトからの引用だが、説明を読まないと分かりにくいかもしれない
卑弥呼・邪馬台国 九州説・畿内説 (魏志倭人伝の解釈について)の補足ノート この時代、遠隔地の情報はモノと共に運ばれたという考え方に異論がある人はいないだろう。そのイメージは、邪馬台国時代のモノの流通・情報の伝播の後半に書いたので、それを前提に少し追加したい。 上記は縄文時代の神津島産の黒曜石の流通を例に書いてみたが、時代が下り、邪馬台国時代になったとして、これがどう変わるだろう? おそらく、本質的にはほとんど変わらなかったのではないか?そして、一部の遠隔物流を担う人
古代九州~朝鮮半島の経済圏(物流圏)と邪馬台国~古墳時代の銅鏡の関係の補足ノート 上記ノートでは、破鏡副葬を中心にその伝播の様子を纏めたが、次に舶載三角縁神獣鏡の伝播の様子を、この方の動画解説を使わせて頂き、ヤマト王権の銅鏡利用に引き継がれるまでを纏めてみたい。 (4:00頃~) 那珂八幡ー備前車塚ー富雄丸山出土漢鏡含め、豊前石塚山古墳7面、備前車塚古墳11面、万年山古墳6面(全て舶載鏡)の同笵鏡が、どの年代の古墳から出土しているかを辿ったもの。 このデータを全て検
古代日本・九州から朝鮮半島にかけて(想像)の補足ノート 九州~朝鮮半島の物流・経済圏と一言で言っても、当然その内情は一定だったはずもない。 そしてその変化の様子の把握は、ヤマト王権が銅鏡を利用してその影響力を拡大するようになる直前の時代を考察するのに大切な要素の一つだと思っている。 ちょっと脱線するが、特に7世紀以前の「ヤマト王権」については、自分はあまり一般的ではないかもしれないイメージ(後の世の特定氏族ではなく、血縁関係を持ったいくつかの氏族の集合体の可能性)を頭に
邪馬台国時代のモノの流通・情報の伝播の補足ノート 上記ノートには、邪馬台国時代のモノの流通・情報の伝播は、200世紀を超える石器・縄文時代の中で構築されたであろうという理解を纏めた。 神津島の黒曜石の経済圏を一例に、複数の経済圏の重なりのイメージを描いてみた。この経済圏、流通経路の盛衰や変化はあっただろうが、邪馬台国から現在までの時間の10倍以上の長きに渡り続いたわけだ。 似たりような経済圏の形成や盛衰は、北海道から、隠岐島(島根県)、姫島(大分県)、腰岳(佐賀県)、
卑弥呼・邪馬台国 九州説・畿内説 (畿内説の根拠について)の補足ノート 1.モノの流通・情報の伝達範囲と政治権力が及ぶ範囲 再掲載になるが、吉村武彦氏は著書「ヤマト王権」で、岡村秀典「三角縁神獣鏡の時代」の図を引用し、「当初、九州から近畿地方に比較的均等に分布していた銅鏡が、二世紀半ば以降、四国東部から近畿に集中(考古学からみた漢と倭)したことから、近畿が列島の政治的センターになったことを意味する」という見解を支持している。 これに限らず、土器、銅鏡、外来品などの出
卑弥呼・邪馬台国 九州説・畿内説 (畿内説の根拠について)のサブノートです。 結論から書けば、邪馬台国までの行程に関する情報を報告した魏の使者は不弥国止まりで、その先までは行ってないのではないかと想像してる。 まず、この「水行」日程(日数)の信憑性について、畿内説を採る場合はある程度信用せざるを得ないだろう。 畿内説を採った場合の疑問は卑弥呼・邪馬台国 九州説・畿内説 (畿内説の根拠について)にも書いたが、これだけの日数航行すれば、方角を間違って報告することはまずな
畿内説を採る方の多くは「不弥国の先は、「東」とするべきところ「南」と認識してた」と解釈し、不弥国の先の方角は読み替えるべきとする。それに関する自分なりの直接的な評価は卑弥呼・邪馬台国 九州説・畿内説 (畿内説の根拠について)に書いた。 ただ問題は、その方角変換を前提にしてしまうと、そこから派生すると思われる複数の説明にも違和感を感じてしまうことだ。 具体的には、寺沢薫「卑弥呼とヤマト王権」を読んで最初に感じた違和感を例に挙げてみたい。 寺沢氏はご自身の説が畿内説と一
目を通した解説が多いわけでもないが、今のところ邪馬台国近畿説の根拠としては、下記の2点に集約されると理解している。(少なくとも、寺沢薫「卑弥呼とヤマト王権」、吉村武彦「ヤマト王権」からはそう読めた。) 1.「混一疆理歴代国都之図」に代表される、当時の大陸の人びとの倭国の位置に関する認識 (不弥国の先は、「東」とするべきところ「南」と認識してた) 2.漢鏡出土数が当初九州~近畿に比較的均等に分布、2世紀半ば以降四国東部~近畿に集中するようになる。従って、卑弥呼・邪馬台国の時代
九州説について 邪馬台国九州説を採った場合の批判として、候補地や具体的遺跡の欠如を挙げる人がいる。九州説を支持する学者が候補地やその根拠すら提示してないとしたら、それは問題だと思う。(そうなのだろうか?) 自分はこの方の解説が気に入っている。(アマチュアの方のようだが) 結論的な部分だけなら、上記キャプションリンク先動画の12:40あたりから。卑弥呼の居所の候補地として、日田地域、小迫辻原遺跡を挙げている。 時間と興味があれば下記動画なども視聴した方が、この方の考え
前提 邪馬台国の所在地について色々議論はあるが、邪馬台国が九州にあったのか、奈良盆地内にあったのかという疑問を出発点にしては解消できない矛盾も、次の大前提を置いてみると、割とすっきり解消しそうな気がする。 大前提:邪馬台国のあった時代には、北九州の国々も、奈良盆地内の国々も、それぞれ遠いクニグニに関する詳細情報はほとんど持ってなかった。 この時代の人びとの他のクニグニに対する認識(想像)については別ノートに纏めた。 魏志倭人伝の解釈について 魏志倭人伝の記載内容について、
以前の公開 外国人の犯罪 外国人の犯罪(続) ツイッター情報を中心に、気になっている事を纏めている。 技能実習生という名目で日本に入国し、逃げ出して不法滞在する外国籍の人たちも多いが、それ以外にも留学生の問題も多々見受ける。 このようなツイートを見かけた 留学生は日本の宝、2023年は在日留学生にとって「福利の大収穫」の年に―華字メディア そもそも、日本に留学できる中国人の家庭は最低でも現地では平均以上、多くは日本の貧乏学生よりはよほど恵まれた環境にある。実際、知
ツイッターで拾った情報を少し整理して、理由不明のまま不起訴案件になるケースが多いのにあきれた。 在留カードやマイナンバーカード偽造についても、日本の政治家がどこまで本腰を入れて対策に取り組んでいるのか分からない。 今回は、別の角度から外国人の犯罪について、ツイッター情報をベースに纏めてみた。 逮捕される外国人犯罪者の約32%は不法滞在者、不法入国者 (法務省法務総合研究所研究部報告 53 第3章 p.50) ベトナム人の犯罪急増『技能実習の闇』 国別に見ると、近年は
ツイッターで拾い集めた外国人の犯罪を並べてみた。 短い期間でもうんざりするほどの犯罪がヒットする。 日本人だって犯罪を犯す? そうですね。 でも生活保護を受けながら、酒に浪費してコンビニ強盗をする外国籍の人間をなぜ税金で養う必要があるんでしょう? それから、外国人が犯罪を犯してもなぜか理由不明のまま ”不起訴” になるケースが多すぎないですか? さらに疑問なのは、その後どうなるのかということ。野放し? 日本で犯罪を犯すような人たちには帰国頂きたい。 2005年の例だが、ペルー