卑弥呼・邪馬台国 九州説・畿内説 (九州説について)
九州説について
邪馬台国九州説を採った場合の批判として、候補地や具体的遺跡の欠如を挙げる人がいる。九州説を支持する学者が候補地やその根拠すら提示してないとしたら、それは問題だと思う。(そうなのだろうか?)
自分はこの方の解説が気に入っている。(アマチュアの方のようだが)
結論的な部分だけなら、上記キャプションリンク先動画の12:40あたりから。卑弥呼の居所の候補地として、日田地域、小迫辻原遺跡を挙げている。
時間と興味があれば下記動画なども視聴した方が、この方の考え方の背景や経緯が分かるので良いと思う。
第7話 銅鏡の広がり方を整理して邪馬台国からヤマト王権への移行を考えました【古代史探索の旅Ⅲ/銅鏡・前編】
第8話 新説/三角縁神獣鏡は九州にいた卑弥呼の鏡だ【古代史探索の旅Ⅲ/銅鏡・後編】
第9話 遂に解明/卑弥呼 共立前夜【古代史探索の旅Ⅲ】
日田や小迫辻原遺跡という候補が適切かどうかは分からないし、あまりこだわるつもりはない。他にも九州説を取る場合の卑弥呼居所の候補地はあるかもしれない。ただ、この候補地を棄却すべき根拠があれば知りたいとも思う。(おそらくは、情報不足だから分からないという結論にしかならないのではなかろうか)
この方の解説の細部に異論が無いわけではない。(特に「水行」部分の解釈は、魏志倭人伝の解釈についてに引用させてもらった動画(29分頃~)の方が気に入っている)でも大切だと思うのは、全体的なロジックの組み立てで、大きな矛盾がなければ、候補として残す意味はあるのではないか?
その意味で、この方の一連の解説は分かりやすいと思った。
また最近読んだ、孫栄健「邪馬台国の全解決」では、卑弥呼の居所の候補地として福岡市と糸島市の境の高祖山を挙げていた。
書籍の表題は出版社が売り込みのためにつけるので、誇大広告だとは思うが、本の内容は「中国の史書は『春秋の筆法』という独特なテクニックが使われているので、それを理解しないと正確に理解できない」というもので、具体例も多く説得力のある内容だった。
卑弥呼の居所として「高祖山」というのも魅力的な説の一つだと思った。
なお、畿内説の根拠についての違和感や異論は畿内説の根拠についてに纏めてみた。
関連ノート
全体の概要と全体の構成は下記ノートに纏めた(#MOC241116)
縄文~古墳時代の理解(邪馬台国の位置論を意識して)
卑弥呼・邪馬台国の九州説・畿内説の比較と自分なりの理解は、3つのノートに纏めた(#ノート241116)
卑弥呼・邪馬台国 九州説・畿内説
・魏志倭人伝の解釈について (リンク)
・九州説について (このノート)
・畿内説の根拠について (リンク)
上記の前提や背景になる理解・根拠をいくつかのメモに纏めてあるが、気が向いたらこれからも少しずつ増やしていくかもしれない
(#メモ241116)