どうやったら、諦めることが出来るか、、、
「諦めが肝心の本当の意味」
の続きです。
諦める事は本来マイナス思考、ネガティブ思考ではなく、プラス思考、ポジティブ思考なのです。
ですので諦めることが出来れば、笑顔になっています。^^
もし、しかめっ面なら、諦め切れてないのかも知れません。
前回、「冷静に客観的に観る」というキーワードが何度か出てきましたね。
僕なりに諦める方法を考えてみますと、、、
冷静に客観的に観て、納得することが出来れば、きっと諦めることが出来るのではないでしょうか。
ということで、それを順番に見ていこうと思います。
■客観的に観る
諦めるためには、冷静に客観的に観る事は大事です。
でも、これは本当に難しいと思います。
何か問題や悩み事があったとして
自分の脳ミソで考える事だから、基本的には主観でしか見れないですよね。
子供がなかなか言うことを聞かない。とか
別れた彼の事がどうしても忘れられない。とか
旦那が不倫したから離婚したい。とか
もっと良い例文を挙げたいけどなかなか案が浮かばない。とか(←これ今の僕。^^;)
そういうとき、客観的に観ることってやっぱり難しい。
だからね、一番いいのは誰か良き相談相手に相談してみることがいいと思います。それも出来れば1人ではなく複数の人に聞いてみる。
、、、、、、そんなこと言ってもねぇ
、、、それもなかなか難しいですよね。^^;
そこで、悩み事が出てきたとき、僕の場合なら、仏教とアドラー心理学を勉強しているので、
「仏教的にはどう考えるかな」「アドラー心理学ではどう考えるかな」
と思い巡らしてみます。
あとは、自分の尊敬する人ならどう考えるか、、、と考えてみる。
僕の周りのも「この人の怒ってるの見たことないわ」とか、尊敬する人がいます。
じゃぁ、その人ならどう考えるか、、、
自分以外の視点で想像してみることは客観的に観る一つの方法ですね。
■課題の分離
アドラー心理学では「課題の分離」という概念があります。
本来、きっと世界はシンプルなのものなのでしょう。
各々が複雑に考えているだけなのですね。きっと、、、
一つ一つ課題を分離していくとシンプルな世界が見えてきます。
例えば、、、
いくら注意しても子供が宿題をやりません。パパはしまいに怒り出します。
これを課題の分離してみると、
宿題は子供の課題だということが見えてきます。
宿題を忘れて先生に怒られるのはパパではなく子供ですよね。^^
パパはなぜ怒っているのかというと、きっと子供の事が心配だから怒っているのです。これはパパの課題です。
ならば、パパは子供に、勉強をしなさいと怒るよりも、子供の事を心配していることを伝えた方が良いのではないでしょうか。^^
禅僧の小池龍之介さんは、「自分が他人のことで苦しんでいるようなら、それは優しさではなく煩悩の刺激によるものです。」(考えない練習p201)と断罪しています。
もつれた糸を解くようにそれぞれの課題をバラバラにしていくと見えなかったものが見えてきたりします。
(課題の分離に関してはまた詳しく考えてみたいと思いますので、今回は深入りしません。^^;)
この「課題の分離」という考え方、物事を客観的に見るときに助けてくれます。
■「でも」は横に置いておく
それでね、客観的に物事を見ようとしたときに
「でも、、、」という厄介なものが頭をよぎります。
客観的に見たいのに自我が出てきます。
課題の分離で考えて、子どもが宿題しないことを怒らないでおこうと決める。
、、、「でも、パパが悪いんちゃうし、、、」
とかね、、、
そういう「でも」はきっと防衛本能なんだと思いますが、
横に置いておいて下さい。^^
「あ、『でも』が出てきたな、横においておこう。」
って感じです。
「でも」はアカン!!
と禁止してしまうと、余計にイライラしたりします。(僕の場合、、、^^;)
■きっと時間がかかる
で、この作業かなりの時間がかかります。
僕の場合子供の宿題問題に1年くらいかかってます。^^;
しかも完全には諦めきれてません。(以前よりは随分マシなんですけどね。)
油断していると出てきます。「怒り」ってやつが、、、
例えば、物欲ってのもなかなか諦めきれませんよね。
3歳の子どもがスーパーでお菓子をねだります。←諦めきれない
10歳ではゲームソフトが諦められません。
15歳では盗んだバイクで走り出したりします。←諦めるどころか窃盗です。
大人になるとラーメンくらいなら諦められますが、僕は未だにガチャガチャの前で諦めきれずにおります。
物欲だけ見ても何十年もかかります。一生諦められないかも知れません。笑
諦めるって、そのくらい時間のかかる事だと思います。
諦めてるつもりでも納得できてなかったりします。
本来の諦めること、ポジティブ思考の諦め、は笑顔が目標なのです。^^
ゆっくりと許される限り時間をかければいいと思います。
(これを読んだらスグに諦められると思っていた方、ゴメンナサイ。)
■放てば手に満てり(はなてばてにみてり)
「放てば手に満てり」という禅語があります。
執着しているものを手放してみると、それは意外と自分の手の内にあったりします。
ここでは詳しくは書きませんが、これ、僕、何度か実感してます。^^
よく言われる「幸せは日常の中にある」っていうようなことも、この「放てば手に満てり」に近いと思います。
「放てば手に満てり」、諦めるときには必要なことかも知れませんね。
冷静に客観的に観て、時間をかけて、じっくりと見つめなおすと諦めることに近づけるような気がします。
ここで忘れてはいけない事が1つあります。
■自己受容
それは自己受容ってやつです。これもアドラー心理学では大事な概念です。
最近よく聞く「自己肯定感」に近いかもしれません。(そちらは詳しく勉強してないのですが、、、)
自己受容とは、自分の良いところも悪いところも、得意なことも苦手なことも全部ひっくるめて受け入れるってことです。
肯定的なことだけでなく否定的なことも全て由(よし)とします。(なので自己肯定感とは少し違うかもしれませんね。)
ひとつには「ダメな自分でいいんだ。」と思える事ですね。^^
諦めることに時間がかかるのであれば尚の事、嫌なことや不安なことを投げ出したくなった時には、この「自己受容」は大事になってくるかと思います。(この自己受容もまたの機会にじっくり考えてみたいと思います。)
なぜなら、諦めることは他者との関わりではなく、自分との関わり、内的な働きかけによるところが大きいからです。
人に「諦めろ」と言われても、自分で納得しないと諦めきれませんよね。
諦めることは冷静に客観的に観て「納得する」ことだと言いましたが、「納得する」ためにはこの自己受容が助けになると思います。
■断念ではない
本来、諦めることは断念することでは無いのでしたね。
冷静に客観的に観て納得することが諦める事だとするなら
「これは断念しなくて良いことだ」
と判断することも諦める事なんですよね。^^
当然ですが、客観的に観ての判断ですよ。
そうでないと、ただの自己中、独りよがりになってしまいます。^^;
ふぅーーーー、ちょっと、コーヒータイム。^^
こうやって考えてみると諦めることはやはり一筋縄ではいきませんね。^^;
人生においてきっと、どうやったって、忍耐、我慢する場面は出てきます。
忍耐、我慢は成長していく過程には必要なのかもしれません。
なので、自分からわざわざ我慢する場面を作る必要はないと思います。無理すると心が壊れます。
で、諦めることを覚えると、きっと忍耐、我慢は人生に姿を出さなくなるでしょう。
そして、その方が幸せに近づけると思いませんか。^^
そしてまた、言うばっかりで行動が伴わない人を見て
「いくら頭で理解しても行動が伴わないと、、、」と批判したくなりますが、
決して頭で理解する事がダメなことでは無いですよね。
始めは頭で理解して理論を踏まえてから、練習を重ねて、行動が伴うのだと思います。
だから、本来の諦める事、笑顔で諦める事を、まず頭で理解することはやはり大事だと思います。
少しづつ、少しづつ、、、、ですね。 、、、自分に言い聞かせています。^^;
まとめー!!
諦める事のメリットは
・物事をポジティブに捉えて笑顔になれる。
・人生において忍耐する事、我慢する事を減らせる。
大きくこの2つだと思います。
諦める事のデメリットは
・体得するのが難しい。
ん~、この他にもあるかな~。思いつきません。笑
今回、どうやったら諦めることができるか、、、僕なりに考えてみました。
このテーマ難しかったです。^^;
でも、自分なりに勉強になりました。
それから、これは今の僕の考え方です。^^
もちろん、絶対に正しいとも言いません。
もし5年後に同じテーマで考えるとまた違う内容になりそうな気がします。
その時に僕も成長できていたら良いな。と思います。
いつも最後まで読んで頂いてありがとうございます。^^