なんで生きてるか考えてみたら。
どなたかが書いた生きる意味についての記事を見て、自分もなぜ生きているのか考えてみました。人に聞かれたら、格好良い事も答えられるのですが、自分で自分に問うて出た答えは、「理由はない」でした。本日は、なぜ理由がないのかを気楽に考える、そんな記事です。
(記事画像は、https://www.beipana.com/entry/what-is-lofi-hip-hop より引用させて頂いております。)
生きてる理由が特になし!?
みなさんは、全ての行動には理由があると思いますか?私はそう思っています。正確に言えば、全ての行動の選択には原因があると思っています。それでは、益々おかしいじゃないか!と思いますか?生きるという行動の選択に理由がない事が…
しかし考えてみると、そんなにおかしくはないと思っています。それは、生きるという事が選択でも行動でもなくて、前提だからです。
死ぬ事こそが選択!?
生きるか死ぬかの選択で、生きる事を選んでこうして生きているんだという人とは、私は考え方が逆です。私は何も考えずに、何もしなければ、惰性で生きているだろうと考えています。意思が働くとしたら、死ぬ事こそが選択であり、行動だと思うのです。
最大の矛盾
ですから、そもそも行動でも選択でもないので、生きてることに理由はありません。しかし、生きる事を前提に日々行なっている行動は、全て選択を繰り返し、その全てに理由を求めています。それは、自分の意思で生きていきたいからです。
すごく矛盾していますよね。生きる事は前提で、生かされていると言いつつ、その前提のもとでは自分の意思で強く生きていきたいと思っている訳ですから。
2つの「生きる」
もしかすると、生きるには2種類の意味が隠れているのかもしれません。眠っているのと寝ているように。恋しているのと愛してるように。生きているのと生きるように。
哲学的な夜に酔いながら、なんとなくで書いてみました。本日も気楽にいきたいですね。
では、また。