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哲学におもふ事情と、自分の事情は二乗でありたい
人間の生、すなわちこの世の中とは、我々の死を巡り死においてあるものに他ならない。
著者の言葉です。
死の確率を知っていますか。
100%です。生まれた時から変わらず100%です。
とかく、死生観について考えようとも忘れがちになったり、急に迫ったり、身近な人で何か起きた時に不意に隣にあることに気付くこと。
それを気づかされました。
誰にでも訪れますが、都合よく忘れてしまいがち。
人とは何ぞや。
読むべくして読む時に読むもの。
そういうタイミングがたまにあります。
年齢も一つの意味かも知れません。
自分にどれだけの時間が残されているのか、
誰も知りません。
私は、再び自分の核となるものをしっかり考え、構築し、時間を使わなければならないと感じました。
拙い想いを伝えるのには、
精神的に未だに、子供かも知れません。
自分と対峙し向き合う、自分を理解する。
ここに、不安を抱えて生きています。
自分が決めた事、自分の想いは、
正しいか、正しくないのか。
判断は、自分の中にしかありません。
自分が行った事に、成功と失敗というものが
存在するならば、それは他人を介しての情報にしか過ぎません。
本当の価値を見出だすのは、自分の心にしかありません。
そこに、本を読むということで自己の判断に値するものを探している気がします。
著者の文には、力と揺るぎない一貫性を感じました。46才で逝去されています。
これは、今後の人生における自分への提示のように感じます。何かを受け取るというのは、悪いことばかりではない。新しいものに触れるのは怖いことばかりではない。
人と一緒でいなければならない不安。
なるべく主張しないよう目立たぬように同調。
都合のいい道徳感情です。
こういうのが嫌いなはずなのに、
流されて負けてしまう。
自分にどれだけの時間が残されているか、全くわかりませんが、少なくとも死への感情を持ちつつ、覚悟を持って思慮し、行動していこうと思いました。
私にとっても大事な本になりました。
なんのはなしですか
これが私の生きる道のはなし。
結局私は、貫くということ。
動かなきゃだめだ。
ということを本の力を借りて誰かから伝えられた気がする。
これからもよろしく哀愁。
日常と非日常は、繋がっている。
目指すは日常を越えた存在感。
これすなわちゆるキャラということ。
つまり着ぐるみに入りたい。
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