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未だ日本を蝕む明治の残滓
なぜ学校給食には茶の方が合うのに牛乳が出るのか?とわが子が聞いてくることがある。答は至ってシンプルな話で、日本は明治期に西洋の制度や習慣を急ごしらえで取り入れた。当然食習慣も西洋化したわけで、牛乳も飲んで西洋人と同じ食習慣をすれば西洋人と対等の「文明人」となり、体格も増強され戦争に勝つこともできる。そうすれば幕末に結ばされた不平等条約を改正することにもつながるだろう。
当時の日本人はけっこう本気でそう考え、鹿鳴館を作ったのはもちろん、文部大臣が「日本語を廃止して英語を公用語にせよ」と言ったりもしていた。そういう流れの中で公教育の場でも牛乳が飲まれるようになったわけで、牛乳の成分がどうのこうのとか古代にも飲まれていたとか、そういう細いことは置いといて、これは基本的に明治の残滓が今に残ってしまってるという話でしかない。
他にもそんな例はいくらでもあって、今でこそ見直されてきてるものの、西洋医学も明治期に「文明的」として取り入れられた。しかし西洋医学は基本的に対症療法であり、それは自然を支配するキリスト教的価値に基づいている。(しかも当時の西洋医学の主流はナチスでよく知られる優生学)だからこそ細菌学が発達したのだろうが、それは病気を何でも「病原菌」のせいにする思想でもあり、人体全体のバランス、「循環」を見てはいない。脚気でも結核でもハンセン病でも、栄養不足や免疫状態に要因があったにもかかわらず、当時の医療界はそれを黙殺し、ハンセン病では全く無意味な隔離や差別が蔓延ってしまった。そして近年、その総括を全くしないままコロナやワクチンで同じような事を繰り返している。
要するに日本の伝統は一度明治で断絶してしまっており、その事が今に繋がる様々な問題の主因になっている。男尊女卑も専業主婦も神前結婚も夫婦同姓も日本の伝統ではないし、風呂屋が男女別になったり同性愛が禁忌になったのは明治以降だ。社会の「横軸」だけでなく歴史の「縦軸」を見る、ということ。日本は明治以前の方がよっぽど「多様性」だったのであり、今は「多様性」と言いながら、これは言っちゃいけない、あれもダメこれもダメと、社会を窮屈な方に自ら向かわせている。
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