雨や雨「濁水に浮かぶ」発売記念レコ発ライブ<透過の過程>
雨が降っている
雨が降っている。
地上が晴れだとか、雪だとか・・・。
そんなことはわかりようもない。
ただ、あの地下の小さなライブハウスでは、ずっと雨が降りしきっていた。私はひたすら、心の底に涙を流し続けた。
どうして?どうしてだ?
私は自らに問い続けた。・・・どうしてもわからない。
私は、彼らの雨の迷宮に入り込んだのだ。不安と期待に苛まれ・・・。
ついに幕が上がった。
「雨や雨」
雨や雨
雨が降りしきるように、ひどく涙を流して泣くさまのたとえ。
2021年9月7日、本年をもって閉店する高田馬場AREAにて、新音源「濁水に浮かぶ」のレコ発ライブ「雨や雨単独公演「透過の過程」」が行われた。
何故こんなにも彼らに惹かれるのか。
その自分の気持ちを紐解きたい。
今、書き始めたのは、そんなつまらない私の気持ちがきっかけだ。
ボーカルがHitomiさん、キーボードがおおくぼけいさん。
Hitomiさん
おおくぼけいさん
私には、この2人の出会いが、予め決められてたものとしか思えない。
ゆっくりとしたペースで・・・いや、時にはペースを上げて、2人で歩んできた「雨や雨」。
彼らは一度「流れ着く場所」に辿り着いたはずだったのに・・・。
お互いに沢山の経験を経て結成した「雨や雨」、それは今、彼ら2人の意志、彼らを慕うアーティストによって、「流れ着いた場所」から離岸を始めている。
「濁水に浮かぶ」
この曲を初めて聴いた時に、私はかなりの衝撃を受けた。その時に書いた記事を紹介する。
正直、今となってはあまり参考にならない。
現在「濁水に浮かぶ」はようやく音源の形で世に放たれた。
あの時、私が聴き見した「濁水に浮かぶ」の完成形は、更に完成の形をとっていた。歌詞も少し変わったと思う。アレンジも更に複雑化した気がする。リズムが心地よい。自然と身体が動く。「音源」としての完成をみたのだろう。恐らくかなり歌い込んだ・・・そんな「歌」として、「詩」としての表現は、あまりの感銘で琴線が震えた。
この「濁水に浮かぶ」を表題曲としてリリースした音源は、ただジャケットを見るだけでも恐ろしいものを感じた。
ジャケットを見て私が感じたこと。
<こっちに来そう><心臓に咲きそう><心臓を喰われそう>
人のカタチをしていると思わずにいられないジャケットだ。
雨や雨の前作、「雨に沈む」に引き続き、大寺史紗さんの墨絵が原画である。
・・・ただ私はこの音源の形の「濁水に浮かぶ」収録の4曲を、先にライブで聴くこととなった。改めて、音源で聴くのとは違うと感じる。
収録曲は次の4曲。
1.濁水に浮かぶ
2.Habits
3.Bouquet
4.Light House
レコ発ライブとして行われた「雨や雨単独公演「透過の過程」」について、自分なりに整理してみようと思う。
第一部「雨や雨」通常ver.
第一部は、Hitomiさん(ボーカル)、おおくぼけいさん(キーボード)
メンバー2人での演奏で行われた。
第一部のセットリストは以下。
1.SE(おおくぼけいさんによるキーボード演奏)
2.殉ずるとは
3.君乞い
<MC>
4.Bouquet
5.リトルスカイハイツ
<MC>
6.雨に沈む
このライブのスタートが「殉ずるとは」だったこと。
「殉ずる」の意味を改めて認識したい。
殉ずる(じゅんずる) の意味
1 .主君などの死を追って死ぬ。殉死する。
2 .ある人に義理立てして、同じ行動をとる。
3 .ある物事のために命を投げ捨てて尽くす。
私が歌詞を読んで捉えた感覚から、Hitomiさんにとっての「殉ずる」は恐らく、
3. ある物事のために命を投げ捨てて尽くす。
この意味ではないだろうかと私は考える。
今回、曲順を考えたのは、おおくぼけいさんだそうだが、ここに何か意味は?
よく考えることがある。
〇誰かの為に生きる。
〇誰かの為に死ぬ。
どちらを選ぶか?
私にとってはどちらも同義なのだが、実際意味がわかれてくるのは致し方ない。「殉ずる」は後者だ。命を捨てられる。
きっと「雨や雨」は、伝える、歌う、演奏する、全てのことに「殉ずる」ことができる。「殉じて」こそのつながりが、この後のライブにて引きずり出されてくるのだと思う。
第一部にて演奏された新譜「濁水に浮かぶ」収録曲は、「Bouquet」である。曲の雰囲気としては、確実に「するっと流せる」タイプ。軽いノリで、心に浸食するようなイメージはない。ただこの歌詞についてのHitomiさんのお話は興味深かった。
映画「花束みたいな恋をした」この「花束」が「Bouquet」なのだそう。
花束は、枯れる。「美しい物がどんどん枯れて行ってしまう。」
主演は菅田将暉さんと、有村架純さん。
菅田将暉さんが何となく好きな理由は、そもそもHitomiさんに理由がある。「まちがいさがし」この曲がきっかけだ。雨や雨の配信リクエストライブの際、私の他にもきっといらっしゃったと思うが、この曲をリクエストした。
まちがいさがしの間違いの方に
生まれてきたような気でいたけど
まちがいさがしの正解の方じゃ
きっと出会えなかったと思う
こんな風な感じのことをHitomiさんに想っている。だから「まちがいさがし」は、私には特別な曲だ。
そんな理由から私は「花束みたいな恋をした」を観たのだが、この映画の中で「音楽」について興味深い逸話がある。音楽が好きなら妙に納得する逸話なので、興味のある方は是非と思う。
「Bouquet」にて、「花」に触れるような言葉はない。
ただ何となく、花束の儚さのような脆い言葉が並んでいる、そんな曲だ。
そして、「雨に沈む」にて一部は幕を閉じた。
そう、「雨に沈む」に続く物語「透過」についての物語が始まるのだ。続きはきっと第二部で描かれる。
第二部「雨や雨」バンド編成Ver.
サポートミュージシャン
G.yuya
B.進藤 渉
Ds.篤人
第二部はバンド編成で行われた。このサポートミュージシャンの方々は、以前同じバンド編成での公演の際にもサポートとして出演された、彼ら、特にHitomiさんに縁のある方々だ。恐らく相当な信頼の元、このメンバーを選び取ったのだと思う。yuyaさんに関しては、雨や雨の音源の制作についても深く関わっている方だ。
第二部のセットリストは以下。
1.キカ
2.Rainy Sunday
<MC>
3.想いベタ
4.ぴあとぅり
5.驟雨-SHU U-
<MC>
6.Habits
7.濁水に浮かぶ
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8.Light House
第二部は「キカ」から始まり、最後に「Habits」~「濁水に浮かぶ」へと続く。
「驟雨-SHU U-」はインスト曲である。
本来なら、ボーカルは袖に捌けて、水分補給だの、休憩だのするところだろうが、Hitomiさんは絶対にそれをしない。彼にとって1人欠けると全く違う物になってしまうのだろうか。今回は白い布を操りながらやはりステージの真ん中で踊っていた。
「Habits」は完全初披露の新曲だ。2人によると、「SOFT BALLET」みたいな曲が欲しい」、からこの曲が産まれたようだ。また新境地な曲を作った感じのものだろうか?今までの「雨や雨」には同じカテゴリーに入れる曲が存在しないと思う。
続く「濁水に浮かぶ」
恐らく過去二度披露した時はなかった、と思われる歌詞が入った。
「虹が立っていた」そう、雨が上がった証拠だ。
それに主人公は、「なんで?」と疑問を持つ。この曲を語るにはこの「なんで?」と言った主人公について深く考えるべきかなと思う。
そして二部のラストは、バンド陣が静かにステージを降りた。
始まったのは「Light House」
「始まりは、終わりの始まり」
「始まりは《 はじまりは》、終わりの始まり|」
「花束みたいな恋をした」の中で、「恋愛生存率」という架空のブログを書いていた方「めいさん」という方が、それをテーマに書いていた。
Now this is not the end. It is not even the beginning of the end. But it is, perhaps, the end of the beginning.
by Winston Churchill
(「今は終わりではない。これは終わりの始まりですらない。しかしあるいは、始まりの終わりかもしれない。」/ 1942年、ロンドン市長との昼食会で、ウィンストン・チャーチルのスピーチより)
このウィンストン・チャーチルの格言からきたものだろう。
それでは、「始まり」と「終わり」とはなんだったか。
<はじまり>「殉ずるとは」
「硝子の雨が降る 人には見えない」と
解かるさ 傷だらけで そんなにも脅えて
摩耗は日に余り 柔らかなものを
充てるだけでは 同じ明日になるのだろう
<おわり>「Light House」
誰しも追想の灯を 静かに灯してる
懐かしい人が待つ場所へ たどり着けたなら 何を言おうか
あなたがその場所で灯を 変わらず灯してた
大海に漕ぎ出した僕が ここに帰れるように
「殉ずる」=「ある物事のために命を投げ捨てて尽くす」
ここがイコールで結びつくとしたら、
同じ明日にはならない。新たな始まりとして、明日帰れる場所の灯が静かに灯される。
「Light House」
彼らが新たに見つけた場所か・・・・?帰る場所。
流れ着くのではなく、辿り着く。
「帰る」
「迷宮」だと勘違いした。ここは「Light House」帰る場所だったのだ。
「ただいま」
と、Hitomiさんは歌った。(歌詞には存在しないフレーズだ。)
きっと、灯が灯された、「Light House」に帰ることができたのだろう。
でもきっと、彼らはそこに棲みついたりしない。
また何処かに流れていくのかもしれない・・・。いや、確かな意志を持ち、歩みを進めるのかもしれない。
「透過の過程」
「透過」とは何だったのだろう?
雨に沈んだ後、濁水に浮かぶ。これが恐らく「過程」だろう。
「透過」の意味を改めて認識したい。
透過(とうか) の意味
1 すきとおること。また、通り抜けること。
2 光や放射線などが物体の内部を通り抜けること。
「濁水に浮かぶ」には「透き通ってたら」というフレーズが何度か繰り返される。だから私は「透過」の意味を「透き通ること」だけだと誤認していた。
「透過」とは「光が差すこと」でもあるのではないか?
そう、光が差す、それがきっと「透過」だったのかもしれない。
このライブではひたすらその「過程」が示されていたとしたら。
アンコール
Encore
1.イルミネイテッド(通常ver.)
2.Escalate(バンド編成ver.)
「イルミネイテッド」「Escalate」
対象的な2曲を最後に持ってくる。
彼らは光に照らされ、少しずつ・・・少しずつ・・・
そして、「雨に沈む」「濁水に浮かぶ」の物語は、三部作の三作目に続いていく・・・。
サポートメンバー紹介
G.yuyaさん
「Develop One's Faculties」
ギター、ボーカルを担当。作詞作曲も彼が行っている。「雨や雨」の楽曲制作にも多く関わっており、ミックス、マスタリングなど、技術面からもサポートされている。Hitomiさんのことを「ひとみん」と呼ぶ。
私は現在、Hitomiさんに「さん」「くん」を付けず、呼び捨てどころか「ひとみん」と気軽に呼ぶ方は私は彼しか知らない。
B.進藤 渉さん
フリーランスで、ベース演奏、そしてモデル等、幅広い分野で活躍されている。美容師資格を持ち、貸し切りヘアサロンなどもされている。この公演では、ピンヒールを履いて、エンドピンをいっぱいに伸ばしコントラバスを演奏。衣装なども独特の感性の持ち主。
Ds.篤人さん
Hitomiさんがボーカルをつとめていたバンド、Moranメンバー、SIZNAさんと、Sugarというバンドでドラムを担当していた。その後サポートや、自身もバンドを持つ。私はドラムの技術について詳しくないが、高度なテクニックをお持ちの方らしい。
観て聴いて欲しい。
今回、あまり歌詞について深く掘り下げて考えるのをやめたのは、近いうちにこの「濁水に浮かぶ」の完全解説がされるからだ。
もちろん、世に放たれた作品を自分なりに捉えるのは好きだ。
でもやはり、その世界を描き出したHitomiさん、おおくぼけいさん、2人の世界に直接触れるのが正解なのだろう。
彼らの描|《 えが》き出す世界に、少しでも興味を持たれたら・・・。
本公演を配信したアーカイブがある。
2021年9月21日(火) 23:59 まで視聴可能だ。
配信は#chordさんが担当。演出がライブに華を添えています。
視聴特典として、限定配信ツイキャス、
◆完全解説、「濁水に浮かぶ」
10月1日(金)22:30〜(アーカイブ有)
こちらも楽しみなイベントだ。私が求めていた「濁水に浮かぶ」についての全ての真実が語られるだろうか・・・。
そして、2021年10月10日、彼らは東京タワーに姿を現すはずだ。
夕刻、東京の夜景を見渡すのはいかがだろうか。
メインデッキ1階、Club333。18時30分~
ほんの少し、彼らの世界に触れられるのではないかと思う。
最後に
彼らの想いは届いた。理解したいは業だ。
人と人がわかりあえる世界など、それこそ偽物かもしれない。
誰だって「貴方を理解しています」と言われたら・・・。
ほんのちょっとの抵抗を覚えると思う。
ただ彼らは、私にそっと掌を寄せてくれる。
私はそれで充分だ。
時々思うことがある。
私はいつまでライブハウスの呪いにかかっているのだろうと。
でもこれは呪いなんかじゃない。
ライブが終わる度に、不安な気持ちは消え、期待した以上の祝福を受けたような気持ちになる。そう、祝福なのだ。
恐らく、Hitomiさんがステージに立っている限り・・・。
生きてさえいれば、杖をついてでも彼の描き出す世界を見に行くのだろう・・・。生きてさえいれば・・・。