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「ほんとうのコト」って?ちょっと長めの文

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この世ってなんだろう? 生きてるってなんだろう? 非二元ってなんだ? についてのちょっと長めに書いた文
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#哲学

欲の話

欲の話

欲望は善か悪か?

結論から言うと、「どうとも言わない。」という姿勢を貫きたいのですが、

欲があると言うことは、

今の現状に満足してないのであり、苦であることは間違いがないわけです。

それが食欲だとしても、尿意だとしてもですよ、
どちらも仕方のないことなのですが、
現状を変えたい!
と言う思いには変わりがないわけです。

人間は動物ですから、自然の一部なわけですから、
食欲がわき、尿意が湧く

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欲の話 続き

欲の話 続き

逆から言ってみよう。

欲は生きるということの原動力であると言えるのではないか?

食欲があるから、食す。
尿意が湧くから、トイレへゆく。

じっとしていると自然と動きたくなるものである。

全て欲と言える。

欲が湧くから動くのである。

動くということが「生きている」ということの定義であるとしたら、
欲は生きるということの原動力である。

「生きる」ということが「善きこと」というのならば、

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今ここは「点」という話

点は描いてしまうと点ではなくなってしまう。
点はあるけどない、ないけどあるものなのだ。

「今ココ」は「点」と同じなのだ。

あるけどない。掴めないものなのだ。

真実と事実の違い〜私はいるのか?〜

真実と事実の違い〜私はいるのか?〜

真実と事実の違いとはなんだろう???

辞書で調べてみると
事実:実際に起こった事柄。
真実:嘘や飾りのない、本当の事。

事実は起きていることそのままのこと
真実は起きていることの解釈

とざっくりというとそんな感じだろうか?

その違いの例えるとしたら
「百代は旦那のビールを断りもなく飲んだ」のは事実だが
「百代は旦那のビールを飲んだが、後で補充しようと思っていた」
のは真実だ。

みたいな。

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防衛システム

防衛システム

あるYouTuberさんへの質問で、モモ哲さんの言ってる事はどうですか?
という質問出てたよ。という話を聞きました。

うわぁ。何言われるんだろう?怖い〜🤣
と思ったんです。

この「わー…怖い」は完全に自己防衛システム、自我の働きであると言えますね。
でもこれは要らん防衛ですね。

なぜならば、ここにいない誰かに何を言われていようと、
この体という存在を脅かされることはありませんから。

しか

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依存と問題と勘違い

依存と問題と勘違い

何かに依存してしまうのは、
それを扱ったりそれと共にある時に、
問題が解決されたように思えたり、
問題を忘れられたりするから。

問題とは物事をジャッジして、その物事を「問題」だとラベルを貼ってるだけ。

「問題だと思う事柄」があると、身体には不快感が起きる。
身体が過去に不快感を感じた物事は、これは「危険」である。と察知され、
不快感を起こさせるのだ。

不快感が起きると身体は不快感を取り除こう

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生かされている

生かされている

よく「生かされている」って言いますね。

もし、「ああ、生かされてるのだから、私、きちんとしよう」とか、
「ああ、生かされてるのだから、私もちゃんとしよう」とか、
そういう思いが湧くのなら、
きっと、「生かされている」の意味が理解されていないかもしれません。

「生かされている」とは、「私には何もできることがなく、今までもこれからも私が何かをしたことがなかったんだ」とわかることだから。

私がちゃ

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善悪のラベルと全ての赦し

善悪のラベルと全ての赦し

究極の真理として、「全ては赦されている」と言いますよね?
「無条件の愛」だとか。

じゃあ、善悪はないのか?
究極的にいえばありません。全て赦されているんですから。
善悪はそれぞれの中にしかありません。

善悪のラベルを貼っているというのはどのような状況かというと、

どんな遊びをしてもいいグラウンドの中。(無条件なわけです。)
ボール遊びをしている子供達がいたとして、
その中の一人がドリブルを始

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現れては消えてゆく

現れては消えてゆく

いつもと同じ風景?
いつもと同じ電車?
いつもと同じ道?

同じ音は今までもこれからもありませんね。
同じ感触は今までもこれからもありません。

同じ瞬間は訪れないからです。

いつも知らないうちに現れて知らないうちに消えてゆきます。

一期一会。。。。

自分の体を見てください。
昨日と同じはないんですね。
昨日と同じ長さで同じ質感の全く同じ髪の毛はもう会えないんです。
昨日と全く同じ旦那にはも

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「私」が「考えて」いる?

「私」が「考えて」いる?

私が考えている。
私が感じている。
私が行動している。
私がやっている。
私が聞いている。
私が見ている。
この「私が」という感じ。
おそらく、こういう風に思っていると思う。

考えているのが「私」である。
感じているのが「私」である。
行動しているのが「私」である。
聞いているのが「私」である。
やっているのが「私」である。

この違い、わかるだろうか?
先立つものがどちらか?
というような視点

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アートvsデザイン

アートvsデザイン

私たちの体はある一定のデザインによって
現れている。

一つ一つはよく見ると異なっており
アートである。

大きな流れ(環境)の中で、
その体達はデザインされた常識を取り込んでゆく。

しかしながら、常識の取り込み方はそれぞれなので、結果アートになってゆく。

どんなにデザインしようと思っても
人の手から生み出されたもの
(もしくはその過程)は
結果的にアートになってしまう。

思考は秩序を好む

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A=Bは本当か?

A=Bは本当か?

A = B 
AはBですか?

AはBというのが普通に理解できてしまうので、私達は

「私達は命だ」

というのを「私達」を保ったまま理解してしまう。

非二元の指し示すところは
「私達」という主語が抜けたところだ。

「命」だけなのだ。

それは、すなわち認識されるものも認識するものもいない「空」だ

全て私ということは

全て私ということは

「全部、自分である」とか「全て、私である」とかよく聞こえてきますね。

上記の言葉は真実だと思いますが、実は何も言えてない。のですけど、
どういうことかというと、

「全部」といった瞬間に

その「全部」という言葉は「全部」という概念により、

「自分」「私」という言葉が宙に浮いたようになりますね。

「自分」や「私」は他者がいるということを前提に成り立つ言葉ですから、
「全部が自分」「全てが私」

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信用と信頼の違いとは?

信用と信頼の違いとは?

「信用」とは

字の如く、信じるを用する。
「用する」とは「必要にこたえる働きのあること。役に立つこと。また、使い道。用途。」と辞書にはある。

つまり、「信じる」ということを「使う」のである。

「信頼」とは

字の如く、信じるに頼る。
「頼る」とは「助けてくれるものとして、よりかかる。たのみにする。」と辞書にはある。

つまり、「信じる」ということに身を委ねているのである。

全く違うのだ。

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