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kinarichanda
全て私ということは
「全部、自分である」とか「全て、私である」とかよく聞こえてきますね。
上記の言葉は真実だと思いますが、実は何も言えてない。のですけど、
どういうことかというと、
「全部」といった瞬間に
その「全部」という言葉は「全部」という概念により、
「自分」「私」という言葉が宙に浮いたようになりますね。
「自分」や「私」は他者がいるということを前提に成り立つ言葉ですから、
「全部が自分」「全てが私」という時、
「自分」とも「私」とも言えなくなってしまいますね。
「全部」という言葉の効力がなくなりますね。
結果、「全部」という概念に飲み込まれて、「私」もいなくなっちゃうわけですね。
なので、「全部、自分」「全ては私」というのは
「あるのか、ないのかもわからない状態」
を指していると言えますね。
もしくは「無」と表現してもいいと思います。
「全ては私」とは「無」を指し示している。
ということです。