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大河ドラマ「光る君へ」第41回~和歌考察と清少納言評

こんばんは、もちまるです。

今回も「光る君へ」の和歌解説です。

今回は、4首も和歌が登場しました!
早速考察していこうと思います。

長くなってしまいましたので、興味のある箇所から見てみてくださいね。


彰子の和歌


まずは、彰子のこの和歌から。

見るままに 露ぞこぼるる おくれにし 心も知らぬ 撫子の花

見ていると涙がこぼれる。父に先立たれたことも母の哀しみも分からない、この無邪気な我が子は、あの人が撫でて可か愛わいがってくれた子なのだ。

https://steranet.jp/articles/-/3699  

引用先の記事には、以下のように記載されていました。

撫子の花を室内の瓶かめに挿さしていたところ、彰子の息子で東宮の敦成親王が散らかしてしまいました。そのいたいけな様子を見て、彰子が思わず口にした和歌です。

このとき敦成親王は、満年齢ではまだ3歳になっていません。物心もつかず、彰子が亡き夫の供養にと飾っていた花にいたずらしてしまったのでしょう。無心な我が子を目にし、花の名の“撫子・・・・”を思うにつけ、彰子の心に哀しみがこみあげたのでした。

https://steranet.jp/articles/-/3699  より

「撫子の花」に「あの人(一条天皇)が撫でて可愛がってくれた子」という意味合いを添えているのでしょうか。
まだ3歳にも満たない子を遺して亡くなった一条天皇の気持ちはどれ程だったでしょうか。

実際に、彰子が深い哀しみにいる境地を表している和歌であると感じました。

もっと詳細を知りたい方は、引用先のこちらの記事をご参照くださいね。


赤染衛門の和歌


今回は、和歌の会が開かれていました。
勿論和歌の解説をしていきます~!

秋の和歌ばかりなので、今の季節にぴったりです🍁

まずは、赤染衛門の和歌。

(詞書)
(紅葉見に歩きしに、ひとり見るに飽かず覚えしかば)

(紅葉を見に歩いたけれど、一人で見るのは惜しく、物足りない気がしたので)

誰にかは 告げにやるべき もみぢ葉を 思ふばかりに 見む人も哉

誰に告げたらいいのだろう この美しい紅葉を心ゆくまで一緒に見る人がいてほしい

http://www.misawa-ac.jp/drama/daihon/genji/bunken/akazome.html  より

詞書(和歌の前にある説明文のようなもの)も一緒に記載しました。

どこの紅葉を観に行った時の和歌なのでしょうか。
きれいなものを見たらすぐに誰かとその美しさをシェアしたいと
思う気持ちは平安時代も現代も変わらないのですね。

衛門さんの姿をイメージしながら、和歌を楽しみました😊
(凰稀かなめさん演じる衛門さんのファンです)

紫式部の和歌


続いては、紫式部の和歌。

何ばかり 心づくしに ながめねど 見しに暮れぬる 秋の月影

それほど思いつめて眺めていたわけではないのに
見ている間に涙に暮れてしまって、秋の夜長の月影も暗く沈んでしまった
(やはり物思いの身であったのだ)

『紫式部日記』南波浩 校注より

紫式部らしい!
陰キャな感じが好きです(褒め言葉です)

『源氏物語』からも感じていましたが、紫式部はどちらかというと
憂いの文学であるような気がします。

この和歌を詠んだ時は、何を憂いていたのでしょうか。

でもこういう事って今の私たちにもよくありますよね。

ふとした時に自然の情景に心動かされる。
今も昔も変わりませんね。

和泉式部の和歌


続いては、和泉式部の和歌です。

憂きことも 恋しきことも 秋の夜の 月には見ゆる 心地こそすれ
(辛いことも 恋しいことも 秋の夜の澄んでいる月には映って見えるような気がする)

http://www.misawa-ac.jp/drama/daihon/genji/bunken/i_uta.html  より

なんかオシャレ……!
さすが和泉式部です。

やはり和歌には、個性が出ます。

「月には見ゆる 心地こそすれ」という視点が最高です✨

中々このような表現を歌で詠めないなぁと思い、
やはり和泉式部も素敵な才の持ち主であると感じました。

以上、和歌考察でした。

一見、和歌というと難しそうというイメージを持つかもしれませんが、
こうして見ていくと、とても楽しいものなのですよね。

少しでも古典や和歌に関心を寄せてくださる方が増えたら嬉しいです。

番外編:紫式部の清少納言評(『紫式部日記』より)


さて、ここからは番外編です。

ドラマ内で紫式部が清少納言について、書物に記載している場面がありましたよね。
(清少納言の変わってゆく姿に悲しみ😢)

何を書いていたのか『紫式部日記』を見ていこうと思います。

ここでは、ソフィア文庫ビギナーズクラッシックの現代語訳を掲載しますね。

それにつけても清少納言ときたら、得意顔でとんでもない人だったようでございますね。あそこまで利巧ぶって漢字を書き散らしていますけれど、その学識の程度ときたら、よく見ればまだままだ足りない点だらけです。
彼女のように、人との違い、つまり個性ばかりに奔りたがる人は、やがて必ず見劣りし、行く末はただ「変」というだけになってしまうものです(以下略)

ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 紫式部日記 紫式部/山本淳子=編 より

この後も紫式部の酷評は続きます……

ドラマはまだライトなもので、実際はかなり酷評でした。

引用先の本を編集した山本先生は、この紫式部の酷評について、
以下のように解説しています。
(一部を抜粋しています)

『枕草子』が世にある限り、定子は生き続けています。それは千年後の私たちがはっきり感じるところです。
が、彰子女房であり『紫式部日記』作者としての紫式部にとっては、『枕草子』は目の前に立ちふさがる大きな壁でした。この作品が美しく再現し続ける定子文化を越えなくては、中宮彰子はいつまでも二番手のままなのですから。そこで紫式部がとった方法は、清少納言を、単に清少納言個人としてだけでなく、そのあたりかたももろともに全否定することでした。(以下略)

ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 紫式部日記 紫式部/山本淳子=編 より


この評価を読んで、なるほど!となりました。
ドラマでは描かれていない部分だったので、非常に興味深いです。

なんというのでしょうか、こういった人間の心の動きのようなものを文学を通して考察するのがすごく好きなのです。

史学科や英文科がどのような考察を行うのかは分からないのですが、
日本文学科の面白さ、醍醐味はこの複雑な人間の感情や思いを文学という視点から考察出来る事です。

今、考察していてこの楽しさを思い出しました。

まるで土を掘って宝箱の蓋を見つけた時のようなワクワク感があるのです。
やった事はないですが、発掘作業と似ている気がします。
(研究するフィールドが大地か机上&本かという違いですかね)

まとめ

……という事で、今回はたくさん考察をしてきました。
ふぅ🍵

ボリューミーかつ最近疲れていたので、数日に分けて書きましたが、
後半はワクワク。
やっぱり平安文学が好きなんだなぁと思いました。

とても長くなってしまったのに、最後までお読みいただき
本当にありがとうございました!
感謝、感謝です💐

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