ベビーカータブレット赤ちゃん
僕にとって衝撃だった話です。
ある種目撃証言になります。
その日もいつもと同じように、出勤するために塾の校舎に向かって歩いていました。
すると、向こうから赤ちゃんを乗せたベビーカーを押して歩くママさんが。
あまりベビーカー自体には詳しくないのですが、
きっとベビーカーって、前後ろどちら向きにも進めるようになっていると思います。
その赤ちゃんは、お母さんと向かい合う形でベビーカーに乗せられていました。
つまりは進行方向とは逆向きに座っていたというわけですね。
お母さんと赤ちゃんが向かい合ってベビーカーで移動している。
それ自体は何の変哲もないありふれた光景だと思います。
しかし、お母さんの手元を見ると何かがおかしいと気づきました。
そのママさんの手には、iPad、つまりはタブレットが握られていたのです。
何をしているのかと、すれ違う数秒の間に凝視してみると、
そのタブレットには動画が映されていることに気が付きました。
YouTubeを見せて赤ちゃんをあやしているんですね。
この画が皆さんの頭には浮かんでいますでしょうか。
説明力に乏しくて申し訳無いです。
今のママさんたちからしたら、激務?である育児のなかでタブレットやYouTubeはとても便利な育児グッズと化しているのかもしれません。
忙しいママさんたちを圧迫する日々の色んなストレスや疲労を考えると、即座に「けしからん!」「喝!」と叫ぶわけにはいきません。
きっとそこには家族や旦那さん、職場などの協力が十分ではない、生活環境や職場環境の不整備が存在すると思います。
つまりはそれはママさんたちに個人化される問題ではなく社会構造的な問題だということなのですが、
それでもとにかく僕は面食らってしまったのです。
遂にここまで来たか…と。
単純にずっと手にタブレットを持ちながらベビーカーを押し続ける労力も気になるところではあるのですが、
そこにママはいて、お子さんもいるのに、直接交わってはいないという事実が、
とんでもなく恐ろしい現実、ひいては未来を暗示しているのではないかと思い、
その2人とすれ違った後もしばらく考え込んでしまい、
これは記事にしなくては収まらないと思い、今こうしてお話している次第です。
確かにYouTubeは便利だし、教育の仕事をしている身としても、落ち着きのない生徒を黙らせておく手段として何らかの端末を与えることは1つの手段になり得ることは重々承知しています。
しかし、本当にそれでいいのか…
僕は未だにICT教育やGIGAスクール構想などには反対の立場を取っています。
EdTechなどもあまり良いものとは思っていません。
その違和感は色んな本を読んでもうすぐ自分の中に落とし込んで言語化できそうではあるのですが…。
前時代的だ、古い凝り固まった考えだと言われるかもしれません。
この話はまた別の機会にしたいと思います。
賛否、主に否を招きそうなテーマなので慎重にいきたいと思います(笑)
とにかく僕は「ベビーカータブレット赤ちゃん」に衝撃を受けました。
この赤ちゃんは、いったいどんな未来を歩んでいくのか…。
運良く親に絵本を読み聞かせてもらいながら育ち、感情豊かに?育った僕は、
なんだかとても悲しく、そしてこのベイビーの未来を案じてしまったのでした。
小野トロ
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