小野トロ

大阪在住。 目標は学校を設立すること。 その先の夢は「生きづらさの無い社会」の実現。 …

小野トロ

大阪在住。 目標は学校を設立すること。 その先の夢は「生きづらさの無い社会」の実現。 趣味はサッカー観戦、ラーメン巡り、読書、歩き旅。 夢について、教育について、小説、エッセイなど自由に書いてます。

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  • マガジン6 #小説「はっぴぃもぉる」

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    教育について書いた記事をまとめています

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    現代人が抱える様々な「生きづらさ」について調べ、学び、考察することで、それを減らしていこうと日々記事投稿をしています。このマガジンはその「生きづらさ」に関する記事のまとめになります。

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生きづらさ研究日記 001

不登校、引きこもり、ニート、自殺、鬱、孤独死、etc。 様々な社会問題。 これらの当事者が共通して抱えていることとして浮かび上がる一つのキーワードとして、 「生きづらさ」がある。 私が生きる目的そのものが、この生きづらさを撲滅、もしくは減らし、皆が生きやすい世界を作ることである。 冒頭に挙げた様々な事象を無くしていく為に、生きづらさを減らす。 その為に教育の仕事に携わり、少しずつそれを減らしていく。 簡潔に述べるとこれが私の人生におけるミッションだ。 であるからして、この「

    • 苦しさは「なう」では語れない

      以前の記事にこんなことを書いた。 しかし、今になって思うことがある。 本当にしんどい、苦しんでいるときは文章など書けない。 当たり前のことなのかもしれないけれど、 この気付きはイコールで 「本当に苦しかった記憶は『なう』では語れない」ということである。 本当に苦しいときは苦しいなんて言えないということは、 その記憶や記録は、どうしても進行形ではありえない。 今もこうして、文章が書けるくらいには回復したからこそ書いているのだ。 何が言いたいかというと、 僕が皆さんに

      • あいみょんと反骨心と太陽の塔

        2022年11月5日。 去年の今頃、僕は甲子園にいた。 「あいみょん 弾き語りライブ2022 サーチライト」 西宮市出身のあいみょんの凱旋ライブ。 滅多にアーティストのライブを行わない阪神甲子園球場でのライブは、武道館やドームツアー、スタジアムツアーなどとはまた違った高揚感があった。 あれから1年近くが経ち、あの日のライブ音源がストリーミング配信されるようになった。 いわゆるサブスク解禁というやつだ。 そのあいみょんの甲子園ライブで、あいみょんが号泣しながら歌っていた曲

        • 適応障害で退職し、転職した職場を3日で辞めた僕がヒモから主夫になり起業するまでの話012

          自分に賛同、同情してもらえるような話し方をしてしまうことがある。 例えば前職を辞めた話を友達や家族にする時。 「それはその上司が悪いよ」 「そんな会社は辞めて正解だよ」 「辛かったね、しんどかったね」 そんな答えが返ってくるように仕向けているように、自分で思うことがある。 それに対して罪悪感を持っている。 本当は色んな側面があって、多角的に見れば僕も悪いし色んなことが複合的に組み合わさって先ほどの例なら「僕が会社を辞めた」という事実はできあがる。 けっして白黒は付け

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          多様性の勘違い

          最近よく耳にする「多様性」。 確かに多様性は大事だ。 それは今更言うまでも無い。 そして、それを否応なく、ビジネス感覚やポリコレ的に押し付けられて嫌気が差している人がいることもわかっている。 けれど、今日はそういった話とは少し違った角度から書いてみる。 多様性という言葉が浸透しすぎると、 「他人の人生には干渉しない」 という意識が人々の間に根付いてしまうのではないかという問いだ。 多様性は確かに大事だけれど、SDGsが本来の意味目的と違った理解や扱われ方をしているのと同

          多様性の勘違い

          適応障害で退職し、転職した職場を3日で辞めた僕がヒモから主夫になり起業するまでの話011

          今日は、精神疾患で休職中に転職活動をする際に、その事実を面接先に伝えるか否かについて話していく。 僕はどうしたかと言うと、本当に迷った。 ネットで調べても、これだ!という答えには出会えなかった。 「聞かれなければ黙っておいて良い」 という意見もあれば、 「面接中にツッコまれ慌てて矛盾した回答をしてしまい不採用になる恐れも」 「源泉徴収票を提出した際にバレるから先に言っておいたほうがいい」 などの情報もあった。 総合すると 「後々面倒なことにならないよう先に言っておいた方

          適応障害で退職し、転職した職場を3日で辞めた僕がヒモから主夫になり起業するまでの話011

          適応障害で退職し、転職した職場を3日で辞めた僕がヒモから主夫になり起業するまでの話010

          僕の人生は逃げの連続だ。 幼稚園ではジャンケンでさえ負けるのが嫌で泣きじゃくって、優しい友達に負けてもらっていたらしい。 小学校では好きだった子に告白できずバレンタインでチョコを貰うことだけを希望に何もしなかった。 中学では学校に行くことから逃げた。 大好きだったサッカーも、レベルが高いチームの練習についていけず、 成長痛を言い訳に辞めた。 高校で付き合った子にも、自分から告白せず粘りに粘って相手からの告白を無理矢理に引き出した。 大学受験では、塾の先生から「もっ

          適応障害で退職し、転職した職場を3日で辞めた僕がヒモから主夫になり起業するまでの話010

          適応障害で退職し、転職した職場を3日で辞めた僕がヒモから主夫になり起業するまでの話009

          今日は休職中の求職の話。 転職活動について話していく。 前回にも話した通り、当初はあまり適応障害という自己認識は無かった。 その為、休職ライフをエンジョイでき、転職活動に対しても腰が重かったわけではない。 ということで比較的早い段階で転職活動を始めた。 しかし、ネットで調べると休職中の転職活動については賛否が別れるらしい。 「休職中 転職活動」なんてググってみると、 「休職中はしっかり休みましょう。休んでから復職、或いは退職が決まってから転職活動を始めるのが好ましく、現

          適応障害で退職し、転職した職場を3日で辞めた僕がヒモから主夫になり起業するまでの話009

          適応障害で退職し、転職した職場を3日で辞めた僕がヒモから主夫になり起業するまでの話008

          今日は僕が休職中にどんな1日を送っていたかについて話していく。 休職期間中の僕は、はっきり言って適応障害という自己認識がほとんど無かった。 仮面浪人ならぬ仮面休職とでも言おうか、会社が嫌で行きたくなくて、でもお金が無いから診断書を貰って傷病手当金を受給するために適応障害の仮面を被っていると思って過ごしていた。 通院も診断書を貰うために行き、診察室で流れ作業的に近況を簡潔にまとめて話す。 家では休職前にはできなかったことを全てやろうと意気込み、 時間を気にせず海外サッカ

          適応障害で退職し、転職した職場を3日で辞めた僕がヒモから主夫になり起業するまでの話008

          適応障害で退職し、転職した職場を3日で辞めた僕がヒモから主夫になり起業するまでの話007

          傷病手当金、というものをご存知だろうか。 今回の僕のようにメンタルの不調だけでなく、身体の病気や怪我などでも、 とにかく「心身の何らかの異常によりしばらく仕事を休まなければならなくなった場合」に受け取ることができる手当金のことである。 心の不調や不慮の事故などはある日突然訪れるものなので、 こういった制度はとても助かる。 そして、この傷病手当金は会社が支払うものではなく、会社が加入している保険会社から支払われるものなので、 もちろん人事の方に手続きなどで手を煩わせること

          適応障害で退職し、転職した職場を3日で辞めた僕がヒモから主夫になり起業するまでの話007

          適応障害で退職し、転職した職場を3日で辞めた僕がヒモから主夫になり起業するまでの話006

          今日はメンタルクリニックについてのお話。 ※今日話すのはあくまで僕個人の経験によるものです。 004でメンタルクリニックに行った話をしたけれど、 時系列をさらっとお話しただけだったので、 今回は実際クリニックの中身がどんな様子だったかについてお話する。 その前に、「精神科病院とメンタルクリニックの違い」と 「精神科と心療内科の違い」の2つについて触れておく。 まず、精神科病院とメンタルクリニックの違いについては、してもらえる対応はほとんど変わらない。 大きな違いは入院

          適応障害で退職し、転職した職場を3日で辞めた僕がヒモから主夫になり起業するまでの話006

          適応障害で退職し、転職した職場を3日で辞めた僕がヒモから主夫になり起業するまでの話005

          休職期間中に、大学の友達と飲みに行くことがあった。 卒業後も頻繁に会っており、親友と呼べる間柄の2人だった。 その飲み会の中で、大きなショックを受けた話があった。 2人の内1人は、、結婚式を控えていた。 必然的に結婚の話になり、続いて子どもの話になった。 1人は子どもをつくるつもりは無いと言い、 1人は子どもが欲しいと話していた。 その内子どもは是非欲しいという1人にその理由を聞くと 「働く意味やモチベーションが欲しい」と言うのだった。 それを聞いてもう片方は「確

          適応障害で退職し、転職した職場を3日で辞めた僕がヒモから主夫になり起業するまでの話005

          適応障害で退職し、転職した職場を3日で辞めた僕がヒモから主夫になり起業するまでの話004

          ※003とは時系列が異なります。 コロナ感染は最近ですが、この話は数ヶ月前のことで、 002からの続きです。 体調不良で1週間欠勤し、土日を経てさあ勤務再開だと意気込んだ月曜日。 僕は先週と全く同じことを繰り返していた。 まるで映画「メメント」を見ているような気持ちになった。 朝になると布団から動けず、タイムリープもののボスキャラがここにいれば「いま、何回目だ?」とでも言われそうな気がした。 なんとかスマホを手に取り上司に連絡すると、 「一度受診してください」 とのこ

          適応障害で退職し、転職した職場を3日で辞めた僕がヒモから主夫になり起業するまでの話004

          適応障害で退職し、転職した職場を3日で辞めた僕がヒモから主夫になり起業するまでの話003

          ここのところあまり聞かなくなった某ウイルスに感染した。 初めての感染。 多忙を極めていた頃はむしろ感染して休みたいという邪な気持ちさえあった。 感染リスクは、無職の現在より圧倒的に高かったはずだ。 マスクもせずにはしゃぎ回る小学生を捕まえて宿題をさせる毎日。 曜日によって違う公民館、小中学校に行く毎日。 なぜ感染しなかったかは未だに謎である。 感染したいとさえ思った時にそうはならず、 ほぼ生活の中からウイルスの存在が忘れられて来た頃に不意打ちで感染した。 しかも

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          適応障害で退職し、転職した職場を3日で辞めた僕がヒモから主夫になり起業するまでの話002

          それは突然訪れた。 恋愛小説の書き出しみたいだけれど、華やいだ話ではもちろん無い。 初回でも書いたように、僕は3年働いた職場にある日突然通えなくなった。 もう少し詳細を話すと、朝起き上がれなくなった。 頭では起きなきゃいけない、仕事に行かなきゃいけない、とわかっているのに、体が言うことを聞かないのだ。 どんな言葉を選んでも違和感と不足感を抱かざるを得ないけれど、 無理矢理言葉にするならばそれは「強烈な倦怠感」。 とにかく体が「ダル重〜」という感じだった。 そしてシンプ

          適応障害で退職し、転職した職場を3日で辞めた僕がヒモから主夫になり起業するまでの話002

          適応障害で退職し、転職した職場を3日で辞めた僕がヒモから主夫になり起業するまでの話

          1ヶ月の休載期間を経て、ONE PIECEの連載再開が近付いている。 色々なことがあった1ヶ月だった。 本来なら大好きなONE PIECEを1ヶ月も読めないなんて一大事である。 連載再開までの日にちを指折り数えて待っていたことだろう。 しかし、僕にとってこの1ヶ月は、「友情・努力・勝利」や「Dの意志」なんてどうでもよくなってしまうくらいに、激動の期間だった。 結論から言うと(僕はこの話法が大嫌いだけれど、手っ取り早い理解を促すためにも結論から述べる)、 僕は3年ほど働

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