やりたいことや夢よりもあり方
塾講師という仕事柄、生徒たちと「将来の夢」や「やりたいこと」について話すことがあります。
以前の記事でも何度か書いたことがあるのですが、
僕はこの大人からの「やりたいことハラスメント」が大嫌いだし、今すぐに辞めるべきことだと思っています。
やりたいことが無いと生きづらいような、
大きな夢を持っている人が偉いような、
それでいてやりたいことが見つかりづらいような、
そんな世の中を形成しているのは僕たち大人の方なのに、
それを子どもたちに一方的に押し付け、
いざ「やりたいことなんてない」と言われると、
それに答える解答を持たない。
そんなことが許されるでしょうか。
以前から一貫して言っていますが、
やりたいことなんてなくていい。
これが僕の考えです。
やりたいことがあってそれに邁進する人もいれば、ただ一緒にいたい人といる幸せさえあればいい、なんならそれが自分のやりたいことだ、という人もいていいと思いますし、
ずっと1人で暮らしていたいという人でも問題なく生きられることが、
理想の社会だと思います。
やりたいことが見つからなかった人、諦めた人とやりたいことをやっている人、叶えた人の2種類の人のみで構成される社会なんて、面白みがないどころか、
競争に負けた時点で失敗の烙印を押されるようでとても生きづらい世界ではないでしょうか。
ここでも資本主義の弊害、その罪の大きさを感じますね。
では、いったい現状のどこが問題なのか。
それは、将来の夢ややりたいことを、職業や仕事、働くことを出発点に考えてしまうことだと思います。
学校の教室の壁に貼られる「みんなの将来の夢」はそのほとんどが職業ですね。
そこからスタートしてしまうから、それになれなかったときや、その中で1番或いは上位になれなかった時に、拠り所が何もなくなる。
自分って何の為に生きてたんだっけ。
自分ってそもそも何だ?
となってしまう。
生きるのがしんどくなる。
僕はそう思います。
ではどこを出発点に自分の人生を考えていけばいいか、
それはズバリ「どうありたいか」です。
どんな職業に就きたいか。
何になりたいか。
ではなく、
どうありたいか。
どう生きたいか。
これを考えていくことから始めるべきと思います。
これは現在完了進行形での作業になってきます。
過去から現在、そして未来へ。
今をどうあるかから考え、未来もどうありたいか。
そこには職業など侵入する余地はありません。
どんな職業、場所にいようが、自分はどう生きたいのか。どうありたいのか。どんな存在でいたいのか。
これを考えることは、すなわち自分がどのような状態を「快」と捉えるかを知ることです。
自分の心が「快」な状態を知ることで、そこから逆算して
「じゃあどんな人と過ごしたらいいか」
そして「どんな職業に就いたらいいか」が明らかになってきます。
「自分がどうありたいか」をベースに考えているから、
職種はあまり関係ありません。
転職しても、周りの人から見れば一貫性は無くても自分の中ではしっかりとした一貫性があるはずです。
そして、今これを僕が話すのは、自分がどうありたいかを考えないまま、或いは考える機会はあって曖昧なまま、或いは考えていたけれど期間が不十分で明確なものが形成されないまま社会に放り出されてしまった人が多くいると思うからです。
高校や大学の時期に「自分がどうありたいか」が定まっていないと、そのまま社会に出てしまうとしんどくなるケースがあります。
別に順番は逆でも良いのですが、
高校や大学といったある程度縛られずに自由に無責任に振る舞える時期にこの作業をしていないと、
一気に責任が降ってくる社会人になってからは、正直「自分がどうありたいか」なんて考えていられる余裕は無いでしょう。
僕は大学を休学したり、卒業後も日本各地を季節労働して回ったり、好き勝手に生きてきました。
この期間は僕が「どうありたいか」という問いに向き合うためのとても重要な期間になりました。
もちろん当時に現在進行形でそんな意識を持って生きていたわけではありません。
なので僕はとてもラッキーだったと思います。
ある種の本能が働いたとも思っています。
このまま就職してはダメだ。
このまま社会に出て行ってはダメだ。
そう思う何かが僕にはありました。
その本能に僕はとても感謝しています。
自分がどうありたいか。
自分がこの先転職や独立、職種の変更をしても変わらない揺るぎないものを手にすることができたから。
同世代のみんなと比べれば、社会的自立のようなものは未だできていませんが。
そこは周りの人にも恵まれていて、色んな幸運が重なって自分がここにいるということには感謝を忘れてはいけません。
しかし、周りのどんなサポートがあろうと、影響があろうと、この「ありかた」を汲み取ったのは他でもない自分自身である。
他の誰でもなく、その「ありかた」を選び取った自分自身への強い責任感がそこにはあります。
やりたいことや夢なんて僕には溢れるほどあります。
でもそれは、自分がどうありたいか、どう生きたいかを考えたあとに自ずから出てきたものです。
あくまでその順番なんです。
これを読んでいる教育関係者や子どもの親、そしてあらゆる大人の皆さん。
自分が関わる子どもたちに、やりたいことや将来の夢、何になりたいかを聞く前に、
難しいですが、
「どう生きたいか」「どうありたいか」
について考えてもらってみてはくれませんか。
これは提言というか、お願いです。
小野トロ
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