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僕は自分だけと会話した
新年あけましておめでとうございます(遅)
全然新年感を感じない桃山です。
てか地震速報ビビったね。地味に私は宮城県出身で東日本大震災のときは仙台にいたので色々思い出してしまったよ。
年末年始は親友とそのお友達さんとの3人でタメ飲み会をしてカラオケオールという独身万歳★ミラクルハッピーな年越しをしてたんだけれども。
今回地震があったのはお友達さんが離脱したあと親友宅で親友と2人、まったりディズニー上映会をしていた矢先の出来事でした。
ご存知私はメンタル少々不安定。親友にバレないように、より不安になったときに飲む薬を飲んでもなおソワソワが止まらなかった。
テレビをつければどこも津波や火事のニュースで。本当にあの時みたいだった。
親友も同郷で、且つ親友は津波が当時の勤務先の2階にまで押し寄せるのを見ているので余計にしんどかったと思う。2人でただただ被災地の被害が最小限で済むことだけを祈ることしか出来なかった。
ここからは昔語りになる。今回の震災とは関係のない、昔の地震と私と家族と家族の大切な人の死の話。ただただ身勝手な私の話。津波で亡くなった人の話が出てくるので注意。
皆ご存知であろう東日本大震災。
私の母の故郷は海辺の田舎だったから見事に何もなくなった。教科書でしか見たことないような、戦後みたいな瓦礫の山。
実家に良い思い出なんか無かったけど故郷のあのような惨状は心臓がバクバクして気持ち悪くなったと母は言っていた。
そして母はこの震災で大切な人を失った。
その大切な人は毒親育ちで、けれども両親を捨てきれなかった。両親の元へ走った矢先に津波に呑まれて亡くなったと推測される。
なんで母の元に駆けつけてくれなかったんだろうと今でも思う。我が家は津波の被害を受けずに済んだ地域だからそうすれば助かったかもしれないのに。
父亡き後、母のために生きてくれるのはその人だと私は勝手に思っていた。身勝手だけど私はその人に母を託したかったのだ。
今でも母は父よりもその人の思い出話をよくする。私は何とも言えない気持ちでそれを聞くことしか出来ないのだ。大切な人を2人も失い、尚も気丈に振る舞う母を心の底から凄いと思う。
そしてそんな風に強く在ろうとする母だから強く見える母だからきっと誤解されたんだ。この人なら大丈夫だろうと。
父は遺書で私達兄妹を母に託して自殺した。母になら託せると、自分が居なくなっても大丈夫だと思ったんだろう。
我が家は誰も助けてが言えない。頼らない。弱音を吐かない。地獄に蓋をして悩みなど無いみたいに楽しそうに振る舞うのがうまい。父も死ぬまでそうだった。
私は疲れてそこから離脱した。だって生きていたくもないくせに楽しいフリを続けるのは限界だったんだ。そこに居続ける限りは変われないとも思っていた。人は保護色の生き物だから。
強い人間に見えることに得など無い、と私は学んだ。いざというとき優先されるのは結局弱者なんだって。
こういう時、自分がとことん打算的な生き物なんだと痛感する。私はこれらの経験を経て適度に弱さを演出する術を身に付けたのだ。
過去にも少しだけ書いたが私は、強く優しい報われない人を沢山見てきた。そしてそんな人達に救われながら生きてきた。
けれども私は報われないのならば何もしたくなかったからそれらの人々を反面教師にして生きてきたのだ。
そんな自分の汚さが浮き彫りになるのが嫌だから私は母の元から逃げ出した。何も求めず照らし続けてくれていた太陽に背を向けるような気持ちだった。
どんな目に遭おうとも清く正しく美しく在る母の傍にいるのが辛かった。報われない報われることを望んですらいない強さと優しさが私には理解できなかった。そして報われない様を傍で見ているのもしんどかった。
だからこそ誰かに母の傍にいてほしかった。
母の為に生きてくれるような人に。
それを震災が奪ってしまった。
父が死んでも「出来ることは全てやったから悔いは無い」と言い切っていた母が、その人の訃報を知ったときには小さく膝を折り畳み廊下の隅で泣いていた。
父の死を思い出していた私は慰めてあげられなかった。当時の私にとっては結局家族にはなれなかった他人の死でしかなかったんだ。
あのとき母を慰めて寄り添えなかったことを今でも悔やんでる。そんな罪悪感からも逃げたかった。どうしようもない人間である。
今、私には恋人がいる。少し大きめな地震があると不安になる私にいつもいち早く連絡をくれ、今回も私がもし1人でいるならば私の元へ来ようとしてくれていた。
そうしたことがあるたびに、恋人への感謝と共に母を置いて亡くなってしまった父とその人を思い出す。そして何とも言い難い感情に襲われるのだ。
強く優しい人達が全て報われる世界ならいいのに。けれども真に強く優しい人達は報われたいとすら思っていないのだろう。
そんな人を傍で支えてあげられたらいいのだろうけれどそうすると私の精神が死ぬ。もう私は己の汚さ醜さを痛感させられる場所には身を置きたくないのだ。
報われるべきは私のような打算的に生きる人間ではなく母のように清く正しく美しく強く優しく在ろうとする人間だと思う。
報われるべき人が報われず打算的にずる賢く生きる人が報われる世界に絶望する。けれどそんな世界だからこそ私は報われたという事実もある。矛盾していて苦しくなる。
ダメだ。眠剤飲んで寝ます。やっぱり夜中に起きてるのは良くないね。生活リズムを正さなければ。新年一発目がこんな記事になってしまい申し訳ない。
それではまた。おやすみなさい。
://Hello
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