やっぱり波はある | 転職8ヶ月目の記録
こんにちは、みつまめです。
8月の受診時、新しい抗精神病薬を試すことになりました。
3年半飲み続けた薬はそのまま継続し、さらに新たな薬が加わりました。
減薬を目指したいのに何故…と少し悲しい気持ちになりました。
ただ、先生の説明を聞いて、増薬する事自体はあまり抵抗なく受け入れることができました。
受け入れることができたのは、6月頃から明らかに不安定だったと、やっと自覚したからです。
転職した直後
生活リズムの変化、新しい人間関係の構築、新しい仕事を覚えることなど、大きな環境の変化は誰でもストレスがかかります。
精神的なストレスの尺度を点数化したものをたまに見ますが、「転職」は「親友の死」に次ぐストレスなのだそうです。
私は躁鬱人(双極性障害Ⅱ型疑惑)のため、
転職後の環境に適応しようと頑張りすぎる→躁→反動によるうつ
の流れを恐れていました。
しかし、心配していたような事は起きず、明らかに落ち着いていました。
転職してから初めて、前職のストレスは相当大きかったんだと自覚したんです。
休職までするほど辛かったのに、辞めてからやっと気づくなんて…笑
間抜けにも程がありますが、それだけ必死だったのかもしれません。
そんな「転職」を上回るストレスがかかっていた前職の環境だったから、転職後「憑き物が落ちたかのように落ち着いた」と感じていたようなのです。
3ヶ月目、波は落ち着いたという認識
うつサインは出ていた
波が落ち着いていると感じていたからか、はたまたプライベートが多忙すぎたからなのか。
気づけば自分の心の動きを振り返り、観察する時間が減っていました。
8月の受診時に改めて「転職後の日記」(つぶやき)を遡ってみると、6月頃〜7月にかけて、「不安」「ソワソワ(焦る)」などのワードが頻発。
気分の波が現れていたことに気づきました。
「不安」が背後に居る感覚、ヒソヒソ話す様子が私や部署への悪口に感じてしまうこと。
集中力が切れ切れでぼんやりしてしまうこと。
思考がうまく回っていかない感じ。
そういえばいずれも、私のうつサインでした。
うつサイン集(備忘録)
入社5ヶ月頃まではゆるく軽躁だった?
いまから思うに、入社5ヶ月程度は軽躁気味だったのかもしれません。
「新環境に適応しようと頑張りすぎない」と自分に都度言い聞かせながら仕事してきたし、そこそこ上手くコントロールできていたとは思います。
ただ、自分ではどうにもならない部署の変化に引っ張られて、「私も頑張らなければいけない」と無意識のうちに考えてしまっていたようなのです。
部署の変化に伴って「私も頑張らなければ」のタイミングは3月末と5月末。
社内外のセミナーや異業種交流会の機会が増えてきたのが5月末から。
さらに子どもたちの学校行事や試合、PTAなどで土日もフル稼働していたのが1月〜7月前半あたり。
不安が顔を出すようになってきたのは、6月〜7月にかけてです。
5月頃まではゆるい軽躁で活動しつづけていて、高めのまま。
その反動で、ゆるやかに下降してきて、以前ほどではないにしても波があるということなんだと思います。
いま思えば、仕事を抑え気味でキープしきれずスピードを出しすぎてしまった事や、チーム運営に口出ししたくなってしまっているあたりが兆候だったのかも。
軽躁サイン集(備忘録)
波はある、と認めること
私の気分の波は、やはり仕事と連動しているようです。
前職では仕事の忙しさに波はあるけど、ほぼ終わりがない状況でした。
だから、仕事の波と気分の波は明らかに連動していて、その波の振れ幅も大きく、ひたすら振り回されていました。
現職は前職と比較すると、かなりゆったりした空気が流れています。
忙しいと感じることもありますが、ゆったりの時期に少しずつ準備ができているし、常に締め切りに追われる事もありません。
ピークで忙しい時も、大体1週間〜2週間程度しか続きません。
しかし、こうして振り返ってみると波はあきらかにありました。
とくに軽躁の波は「チームがピンチだから私が頑張らなければ」と考えるような状況下で現れ始めるようです。
そしてうつの波は、プレッシャーのかかる仕事の前には特に現れやすいようです。
今後もプレッシャーがかかる仕事はやってきますし、その準備で忙しくなることはどうしても出てきます。
私は仕事をしている以上、気分の波がなくなる事はないようです。
でも、気分の波があることは別に悪いことではないし、病気ではない人にだってあること。
病的な程の波は服薬で抑えられている訳だし、ある程度コントロールも出来てはいる。
躁鬱人だからといって、仕事をセーブしなければならない程ではないのかな、と。
私は私なりに仕事をしていく。それで良いのだと思います。
一方で、波があることに「気づいていなかった」ことには問題があったと思っています。
先生が薬の切り替え(一時増薬)を提案する程度には、うつに差し掛かっていたのに。
躁鬱人である自分をすっかり忘れていたというか、「気分の波は前職のせいだった」「実は適応障害が長引きすぎただけじゃない?」とすら思っていました。笑
(注意深く自分を観察する機会が減るくらい、今の仕事に慣れたのだとも言えます)
波があるという自覚なくして、気分の波は乗りこなせません。
そうした意味では、仕事がある日のつぶやきを続けてきた事は正解だったのだと思います。
こうして後からでも、自覚できたので。
実はnoteとのお付き合いの仕方に悩んでいます
毎日のつぶやきに埋め尽くされたnote、正直なところ「私のnoteはなんてつまらないんだろう」と感じています。
私は元々、こころの動きを記録するためにnoteを始めました。言わば「自分のため」のnoteです。
一方で、私自身が色々な方のnoteに救われたことから、私の書いたものも誰かの心を軽くできるかも、という気持ちもあります。
「恩返しの気持ち」と表現するのが一番近いかもしれません。
「自分のため」の機能は果たしていて、今回もnoteのお陰で気分の波を認識しました。
ただ「恩返し」の意味では、私が心を軽くできるかも、と考える相手が今私のnoteを見てどう思うのか…。
今私のnoteは、私が届けたい方に届くnoteにはなっていないと思うのです。
「誤読」とどう向き合うか
現在は「自分のため」にしか機能していないnote。140文字に収まる範囲で、自分にしか分からない端的な表現になります。
そうなると当然「誤読」と感じるコメントもつきます。誤読までいかなくても、どうにも引っかかるコメントがつくことも。
noteもSNSですから、色々な考え方の人がいますし、利用する目的も違います。
SNSではない場面でも、どんなに言葉を尽くしたところで、伝わらない事は当然あります。
そして発信している以上、感想は受け取り手のものであって私がどうこうできるものでもありません。
でも、「伝わっていない」結果を感じ取ってしまうことは、私にとってストレスにもなります。
そもそも私の記事が伝わらない理由は、やはりマトモに読む気にならない、つぶやきに埋め尽くされている現状にあるのかな…と感じます。
「つまらない」noteをどうすれば良い?
私はコンテンツに関わる仕事をしています。
だから、noteでは自分が書きたいように書き、心地よくないことはしない、というのが私のポリシーです。
基本的にnoteのPV、スキの数、コメントの数は見ていません。
でも私が楽しく書いたものは、比較的色んな方にも楽しんで読んでもらいやすいんだ、という実感はあります。
私が「つまらない」と感じている状況は、今のnoteとのお付き合いの仕方には違和感があるということ。
さて、どうするのが「私にとって心地よいnote」になるのか。
そのちょうど良いところを、探す必要があるかもしれません。
自分の気持ちという「刹那」に自覚的であること
気持ちって、自分にしか分からないものであるし、自分だけのもの。
でも時折、「悲しんではいけない」「嫌いなんて思ってはいけない」「頑張らなければいけない」なんて、自分で自分に蓋をしてしまうことがあります。
休職する前よりも、気持ちに蓋をすることは減りました。
でも、転職してからの私は新しい環境に馴染むことに精一杯で、蓋をするどころか、自分の気持ち自体をどこかへ置いてけぼりにしていたようです。
前より職場環境が良くなったのは事実ですが、それに伴って「精神疾患も良くなった」「私はもう病気ではない」と思い込みたかったのかもしれません。
10月には、部署にまた新しい変化があります。
先日の面談で「ゆくゆくはマネジメントを任せたい」と上司から言われています。
これからは自分の中にしまい込んでいた「マネージャーの私」をまた掘り起こし、稼働させていく必要があります。
前職と比べれば、気分の波はコントロールできているから、あとは「気持ち」にどう自覚的であるのか。
そのあたりが、前と同じ轍を踏まない鍵になると思うのです。
noteにつぶやくことで気分の波の整理はできているので、そこから置いてけぼりな「気持ち」のカケラを拾っていくのもまた、noteで出来るのではないか、という気がしています。
先日お邪魔したブックカフェイベントのレポートで、参加者のくまさんがイベントを「刹那」と表現されていました。
そこにある「いま」は1度たりとも同じ形にとどまらない「刹那」である、と。
くまさんは、その常に移ろう「いま」そのものを丸ごとつかまえて、ことばで表現されていました。
ブックカフェイベントに参加された方はもちろん、参加していない方も同じ「刹那」を体感しているような、あまりにも素晴らしいレポートでした。
私は「刹那」って、ことばでつかまえておけるんだ!と感動しました。
それって文学そのものかもしれない、とも。
ずっと同じかたちを保たない「気持ち」もまた刹那。
私もその「刹那」を捉える表現がしてみたいなぁ、と思うのです。
「刹那」を捉えるのに私はまだまだで、なんだかまとまりが無くなってしまいました(笑)
転職8ヶ月目のいまの私は、そんなことを考えています。
久々の長文、ここまで読んでくださった皆さま、ありがとうございました。
どんなに忙しくてもnoteをやめるという選択肢はないので、これからもぜひご贔屓に。