コロナによる繰延べが明けて、2年目のくんち。 庭見せや人数揃い、本番、フィナーレと見て回ったが、その時々に強くよぎったのは、今年は踊町じゃない町の静けさと、踊町だった時の様子だ。賑やかな踊町に向かって歩いていると、去年や、その4年前、さらにその前に踊町だった町を通る。すると、その時に賑わっていた様子や、あるいはコッコデショについて回った時のことが、鮮明によみがえる。小さいころからずっと見てきて自分の中にメモリーされている、くんちのいろんな場面が呼び出される感じ。 この感
10月に入り、くんち庭見せ、人数揃いと見て回った。 この夏はあまりの暑さやらなにやらで、日常生活を送るのがやっとで、ついに稽古を見に行くことができなかった。しかし庭見せと人数揃いを見ながら、あぁ、いいなぁ、と素直に思った。 くんちは、好きな人は好きだし、はっきりと嫌いな人もいる。関わりかたもさまざまで、人生の時期によって濃かったり離れたりもする。踊町の人ならば、まさに人生をくんちでカウントすることもあるだろう。 私にもこれまで、いろんなくんちがあった。踊町に住んではいたけれど
ほんとに寒かった。夜中雨が降って、どんどん寒くなった。起きても半袖ではいられず、長袖を引っ張り出す。 いい知らせと、困りごとがやってくる。 いろいろ考えるが、あまり名案も浮かばず。どうすりゃいいんだか。 明日は庭見せ。いまさら御花の手配。
10月。なのにぜんぜん涼しくない。なのに明日は10℃も下がるという。10月だからって10℃下がらなくてもいいのに。10−10。かなりささやかな大谷感。 リビングの窓際に置いているテーブルのライトがあまりにも活躍しないので、撤収しようとコンセントを抜いたら、その周辺が大変なホコリだらけになっていたので掃除する。そして掃除スイッチが入ってしまい、さらにテーブルを片付け、床の拭き掃除まで。 みんなが寝たあと、そのライトだけをつけて本を読んだり書きものをしようなんて思って置いていた
庭用の手袋は、ワークマンの「棘を通さない性能最強」のやつだ。これだと、大抵の草や枝は手で刈れる。手袋をして庭に出ると、ついつい草をむしってしまい、そこからさらなる作業に発展し、長い時間が溶けることも多々あるので、庭の空気を吸いたいだけの時には、手袋をしないで出る。 うちの庭はけっこうワイルドなので、素手ではなにも触らない。暖かい〜暑い時期は、ほんのちょっとの時間でもネット付き帽子やアームカバーも欠かさない。絶対に刺される。絶対にだ。蚊ならまだいいが、ある夏の朝、草刈りをし
長崎の「長い岬」の先端、もとの県庁があった近くに、イタリア料理屋さんがある。前に行ったのはもう何年前だったか忘れたくらいだったが、ある日のお昼「いま行くべきはそこしかない!」と入った。ラザニアのランチセットを頼む。濃いめの味の茶色いものを想像していたら、トマトスープみたいなのがやってきた。ふわん、とろん、としていて、優しい味で、ゆで卵の刻んだのも見える。その時は心身ともに疲れていたのだが、一口食べるごとに、ありありと体にしみわたっていくのがわかった。 イタリア人といえば、
年末。 今年は、冬にユキヒロさんが死に、春に坂本さんが死に、夏に息子が転校&上京し、秋にはるちゃん(猫。15歳)が死んだ。 元テクノ少女とかあちゃん、過去と現在の自分それぞれと分かちがたく存在していたものが、一気にいなくなった。 さすがにはるちゃんが死んだあとは、どことなく抜け殻感に包まれてしまい、力の入らない日々が続いた。 そして最近、完全に滞っていた数年来の原稿が、少しずつ書けはじめている。
年に一度、珈琲人町さん主催の、沖縄のアダコーヒーを飲む会へ行く。 もう11年目らしいが、たぶん、皆勤賞。もしかしたら一回休みもあったか?くらい。別にコーヒーマニアではないんだけど「目の前の風土から生まれるものを大切にしながらなにかを作り、人に手渡す」ということを、アダファームの徳田夫妻と、人町さんと梨沙さんのその時々のありようを通して、私自身、年に一度定点観測し、点検し、肝に銘じる時間にしている。 古い時間や人の思いやできごとは、土や海の中に埋もれているという点では、野
遠い空の下の息子が18になり、クレカを作ったというので、さっそく?だの、気をつけて、だの、つい小言を発出したら、こっちに来てからしっかりやってる、と返された。たしかにそうだ。バイトのこととか、とにかく、なにを聞いてもしっかりした答えが返ってきて、しかも有言実行してる。私より、はるかにしっかりしてる。 家にいたころと、目に見えるところを単純に比較したら、ぜんぜん違う人みたいだけど、それは目に見えてる薄皮みたいな部分の話だ。そのすぐ下には、はちきれんばかりの「しっかり野郎」が
息子が生まれたあと、突然、洗濯物が増えた。新生児はバスタオルやらなにやらあるから、当然といえば当然なのかもしれないけれど「こんなに小さな人間なのに、ほぼ倍になった!」という驚きは大きかった。 それから17年と10ヶ月、息子は家を出た。すると、洗濯物が半分になった。半分以下と言ってもいい。娘もいるのに半分以下とはどういうことだと思ったけれど、毎日洗濯するのに洗濯機はスカスカで、いつも無理やり洗うものを探す。たしかに、かなり厚手のパーカーやらズボンやら、一度着たら洗いやがって
息子が上京して、ひと月半が過ぎた。息子は洋服にうるさい人で、東京に行ったらたくさんバイトして、好きな服を買うらしい。大量の服を「もう着らん」と置いていった。ダボッとしたトレーナーとかパーカーとか。 昨日、ふと見ると、夫婦ふたりと娘、3人ともが息子の服を部屋着にしていた。
1614年の禁教令では、宣教師の国外追放が命じられた。しかし1618年、とっくの昔にいないはずの宣教師とそれを匿う宿主に対して「捕まえたら生きたまま焼き殺す」というお達しが出た。つまり彼らは歴然として存在していたのである。アビラ・ヒロンの『日本王国記』の(現存する)最終章「奉行・権六が首都へ出発するまでにこの市〔長崎〕で起こったこと」には、まさに宣教師と宿主が次々と捕まっていく様子が記されている。 十二月十三日聖女ルチアの祝日の夜十一時と十二時の間に庄屋 joya の屋
長崎に滞在していたスペイン商人アビラ・ヒロンによる『日本王国記』は「大航海時代叢書」の11巻に、ルイス・フロイスの『日欧文化比較』とともに収められている。二十六聖人の殉教や禁教時の聖行列などの「現地レポート」が丹念に書かれていて、歴史的なできごとが生々しく迫ってくる。 しかし、収録されているのは1615年の3月の分までで、本当ならあと4年分が存在する。「11月18日を歩く」を作った段階では、それはまだ探し出せないままだった。よりによって徳安とモラレスが捕まった日で途切れて
1619年11月18日に、長崎の西坂で殉教した5人の足取りをたどったZINE『11月18日を歩く』は、「本屋ウニとスカッシュ」「MAKIJAKU製作室」によるZINEイベント「UNI✖️MAKI✖️ZINE 2022」で、たくさんのかたが手に取ってくださった。『長崎手帖をよむ』に続く完全自家プリント手製本で、しかも『よむ』に使っている11号針ホチキスはまったく歯が立たず、事務クリップによる製本となった。本文92ページになったのは、挟口19ミリのクリップの限界がそれだったから
毎日がどんどん過ぎていく。夏休み、お盆、お盆明けの連休など。 お盆はさておき、みんな、自分が休みだからといって、私も自動的に休みだと思うのやめてほしいなー。 自宅就労母ちゃんの悲哀である。 このnoteの「長崎歳時記」もぜんぜん更新できないままで心苦しいが、体がひとつで、しかもその体が五十路をのぼるのに苦労していて、夏の暑さと湿気にも太刀打ちできず、すぐバテる。仕事もあんまりなくて、貯金の減りだけが超順調で、その方面でもかなりしんどい。息子にかかる大小の経費がものすご
季節感を深呼吸! いまにつながる江戸時代の暮らし「長崎歳時記手帖」 第10回 ひなまつり、浜遊び いまに伝わる年中行事や風俗習慣を、江戸後期の長崎で生まれた「絵」と「文」ふたつの歳時記を中心に、一年かけてご紹介していきます。今回は、ひな祭りとそれにまつわるお話、そして浜遊びなどの風景を見ていきましょう。 「絵」は、町絵師で出島出入り絵師の川原慶賀が描いた「長崎歳時記」のシリーズで、原則として長崎歴史文化博物館のウェブサイト内にある「川原慶賀が見た江戸時代の日本(I)」か