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「あと4年分」に対面

 長崎に滞在していたスペイン商人アビラ・ヒロンによる『日本王国記』は「大航海時代叢書」の11巻に、ルイス・フロイスの『日欧文化比較』とともに収められている。二十六聖人の殉教や禁教時の聖行列などの「現地レポート」が丹念に書かれていて、歴史的なできごとが生々しく迫ってくる。
 しかし、収録されているのは1615年の3月の分までで、本当ならあと4年分が存在する。「11月18日を歩く」を作った段階では、それはまだ探し出せないままだった。よりによって徳安とモラレスが捕まった日で途切れている記録である。なんでぜんぶ本にしてくれなかったの~?と思うのだが、載っていないものは仕方がない。無いんだろうと思い込んでいたのだが、いやいや、ちょっと待て、徳安の父・村山等安のことを書いた本に、1618年の彗星のことをヒロン氏が書いてなかったか?と思い出して、もう一度あれこれ調べなおした。わりとしつこい。それでたどり着いたのが、50年以上前の清心女子大学の紀要であり、春休みとコロナで学生がだーれもいない長崎外国語大学の図書館だった。
 閲覧申請すると、一瞬「デジタルアーカイブがあるのでは?」と言われかけたが、古すぎてデジタル化されていないのはわかっていた。職員さんが、ずいぶん奥の棚に案内してくださった。
 何十年分もびっしりと並んだ、大学紀要。大々的に売るためのものではない、地味な冊子の束。それぞれのページに、途方もない時間と思考が注ぎ込まれている。
 あらかじめ調べていた号を10冊ほどピックアップしてページをめくると、はじめの方のは、本に収録されている部分だった。そしていよいよ、昭和43年発行の16号掲載分からの「あと4年分」を開く。禁教が厳しくなった時代、ほとんどは、各地で起きた殉教についての記述だ。そして最後の章が、1618年の年末から始まる「第五十九章 奉行・権六が首都へ出発するまでにこの市(長崎)で起こったこと」だ。
 トクアン、ドミンゴ、コスメ……あぁ、いるいる! 本を作る時は、ずーっと彼らのことを考えていたから、また会えた!って感覚だ。5人の処刑を命じた奉行の権六さえも懐かしい。
 「大航海時代叢書11巻」の発行は昭和40年。今回私が対面した「あと4年分」は、昭和43年から45年にかけて発表され、昭和47年に幾らかの補足があり「これでアビラ・ヒロン全文の訳が完成したわけである(訳者・佐久間正氏)」。
 「11月18日を歩く」を作ったきっかけのひとつは、あとがきにも書いたけれど、私の誕生日が11月19日なので、なんだか「近い」と思ったことだった。5人が殉教した日が「5月23日」や「10月2日」だったら、ここまで調べなかったかもしれない。そう思うと、以前から読んできた『日本王国記』の最後、しかも「11月18日を歩く」に直接関係している章が世に出たのが、私が生まれた昭和45年だったということに、春休みの薄暗い図書館で、しばらくぼんやりした。


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