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健康生活の原理-活元運動のすすめ by野口晴哉

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野口晴哉の本を小見出し事に書いきました。動画もありの保管庫。
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#愉気

「愉気」ということー二人以上の人間関係-2

人間の生活で親子兄弟は当然、仲良く暮らさなくてはならない。ところがお母さんに一言言われるとイライラしてくる、お父さんがそばに来ただけでなんとなく厭になってしまう、他人になら話ができるのに、兄弟では話し合うことができない、というようなことがざらにあります。そして自分では右を向うと思っているのに、理由もなく反発して左を向いてしまうということもまたよくあることです。 この間も、病気がなかなか経過しないで、だんだん重くなり、しまいには歩けなくなってしまった子供がおりました。小児麻痺

「愉気」ということー意志に背いて動いてしまう心-3

人間というのは言葉で言う前に、もう嫌いなものは嫌い、いいものはい、心配は心配、不安は不安と感じている。どんなに俺は平気だと思っていても、不安な人がいるとみんなに不安が伝わってくる。そして不安になっている人も、自分では不安になると考えてもいないのに不安になっている。自分が蒼くなって震えようとか、あるいは硬くなってものを言おうととか、そんなことは考えてもいない、けれども不安があればそうなってしまう。 この間も、有名な歌手で長年歌っているから、さぞ舞台度胸がいいだろうと思った

「愉気」ということー動く以前にある「気」-4

ある人がある人のそばに行こうとすると、その人もすっと近づいて来る。それは好きだという事を現している。あべこべに、すっと離れてしまう人がある。 嫌いだと言う、怖いと言う。父親の悪口を平気で言ってる子供がおりました。よく観ているのです。欠点も知っていれば、やることも知っているのですから、怖い理由がない。ところが親父がそばに来ると、ものが言えなくなって脇ばかり向いている。そして離れてしまう。 人間そういう「気」といいますか、心が動く以前に、体を動かす以前に、そういう「気」と

「愉気」ということー行動の元は漠としたもの-5

易者に占ってもらおうと思うことは、その前に自分でその易者を占っているのです。あの易者なら信用できそうだ、あの易者上手だろうと、自分の占いによって決める。その占うものは何かというと、「気」なのです。大道のいる易者の過去を精密に調べてそこに行くわけではない。なんとなしに「あの人なら大丈夫だ」、「あの人は嫌いだ」と思う。理屈ではない、後からつければ理屈はつくけれども、その前にあるなにかえでそう感じてしまうのです。 なにか漠と感じた事が人間の中心になって行動している。右の道へいこう

「愉気」ということー本能の中にある衛生の働き-6

判らないことの一番の王様は神様とか仏様とかいうものです。判らないけどそれがあるといわれ、信じるようにいわれるとその気になる。病気でも、悪魔でも、そういったようなものなのです。黴菌が人間を病気にしてしまうにだったら、大勢に人が集まって、その人の吐いた息を吸うことは恐ろしい。握手をするのも、接吻するのも怖くてできない。もちろんそれは不衛生なことですが好きだとやってしまう。しかしそのために病気になるとは限らない。 自分の中に黴菌を殺す力があるのです。天然痘に対する抵抗力でも、コレ

「愉気」ということ-自然に保たれている平衡-7

健康に生きるという事は、人間の本能です。怪我をしても自然に傷が繫がってしまう。お腹が痛いと言っては押さえ、歯が痛くても押さえてします。なぜ押さえてしまうのか判らないし、なぜ押さえて治るのか判らないのに押さえる。 これも本能的なもので、誰にでも備わっているのです。またエネルギーが足りなく成れば空腹を感じ、過剰になれば鬱散したくなる。みんな自然に平衡を保っているのです。 それなのに、衛生だ衛生だといって怖がっているのです。 養生のための、可し、可からずが何万あるか判らない。

「愉気」ということー間違った健康観-8

ー庇い補えば丈夫になるかー

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「愉気」ということー人間の実体は気である-9

自分の体を保つために、自分の心では大丈夫だと思っても無駄なことがある。口では「大丈夫だ、怖くない」と思っていても、手が動かなくなる。肩が下がらなくなる。大丈夫だと思っていても、そうならないことがある。やる気になると普段の倍の力が出るのが、気が滅入ると普段の力も発揮できなくなってくる。 結局、生き物というのは、物として存在するというより、生活している人間同士が二人以上でお互いの気を受け取り合って生活しているのですから、人間はある意味では、気によって生きているのです。物として見

「愉気」ということー気の交流-10

人間の中にはいろいろな可能性があって、それを発揮しようとしている。いや、不可能を可能にしようとする、そういう意欲で人間が生きているということもできます。弱くなったら弱わくなったで、今度は強い自分を作り出そうとする。ところが、心で努力しても、体で工夫してもできないことが、「気」ではできるのです。 自分の言うことを聞かない子供を、スパルタ式の鞭とか叱言ちかお菓子で、家畜を訓練するように考えている人がいますが、そういうのはどんなに訓練しても、そばへ行くだけでさっと逃げてしまう。

「愉気」ということー気の動きで変わる人間の行動ー11

その「気」が、今までの人間研究には全く無視されていて、人間はものとして生活し、1日三度食べなければならないとか、三杯食べればお腹がいっぱいになるとか、栄養物を食べれば栄養が充ちるものだとか思い込んでいるのです。 ところが、お酒を飲んでみると、三杯で陽こともあれば、五杯飲んでも酔わないこともある。この間も、ある人に「どれくらい飲んだか?」と聞いたら、「三合ほどです」という。それにしては肝臓が腫れ過ぎているので、「一体何を三合飲んだか?」と聞いた。三合だと言うから、わたしは日本

「愉気」ということー体の中の自然の働き-13

病気自体は体に中の自然の働きで、体に悪いものがあるから下痢するのです。黴菌が入ると困るから喉が腫れて熱を出すのです。それは大掃除の働きなのです。それを気張って辞めさせようなんて言うのは可笑しい。 どんなに気張っていても、人間は自然に年を取るのです。そういう体の働きに喧嘩をふっかけるのは可笑しいし、まして体に働きである病気に喧嘩を売るのは可笑しい。 妊娠しても9カ月経たないと生まれて来ないのです。それがもし三カ月だったら育たない。早いのがいいのではない。体の自然では妊娠すると一

「愉気」ということー丈夫に育てるには自分の力で経過させるー14

病気させないにがいいのではなくて、病気をしても、それを子供自身の力で経過させるということが正当な育児法です。病気になっても、それを自分の力で経過し、全うするのでなくては意味がない。 それを、治さなくては治らないのだよ決めている。怪我をしたところで、その人の自然に繋がる体の働きがあって、その働きで繋がらなくれは治らないのです。 傷口を縫っても貼っても、それは早く繋がるように仕向ける事であり、それで早く治るかどうかも判らないのです。 けれども縫ったり貼ったりしただけでは治ったので

「愉気」ということー体が一番よく知っているー15

旅行して水が体に足りなくなってくると、パンがパサパサして旨くない。握り飯の方が食べたくなる。それなのにサンドイッチばかり出てたら惨めです。どんなにいい食べ物でも、時機を得ないといけない。 おしることビフテキを一緒に口の中に入れたら、両方とも旨くない。別々なら旨いのに、それをなんでもみんな混ぜ合わせるとか、順序を考えないとか、そういう事を平気でやってしまうのは可笑しいのです。 喉に煙草の粉が入ると咳が出てくる。鼻に入れるとクシャミになる。眼に入ったら涙が出てくる。同じ物であっ

「愉気」ということー僅かな差からー16

男と女の色素の数は一つしか違わないが、男と女を比べると随分違います。第一、男は女にように豪胆ではないし、厚かましくないし、度胸がないのです。女の人はみんな強いのです。 色素が余分にあるし、自然に恵まれていて、月経などでちゃんと掃除しているが、男はやけ酒飲んで喧嘩したところで月経なみなのです。 それを女は弱い振りして、男は横暴だというが、ほんとうは男よりも女の方が優秀なのです。 自然適っているから、栄養もどんどん吸収出来るし、芋の尻尾からでも大根の葉からでも吸収してしまう。