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「愉気」ということー行動の元は漠としたもの-5

易者に占ってもらおうと思うことは、その前に自分でその易者を占っているのです。あの易者なら信用できそうだ、あの易者上手だろうと、自分の占いによって決める。その占うものは何かというと、「気」なのです。大道のいる易者の過去を精密に調べてそこに行くわけではない。なんとなしに「あの人なら大丈夫だ」、「あの人は嫌いだ」と思う。理屈ではない、後からつければ理屈はつくけれども、その前にあるなにかえでそう感じてしまうのです。

なにか漠と感じた事が人間の中心になって行動している。右の道へいこうか、左の道へ行こうかと迷ったらいつまでも迷っている。

私はよく車を運転して道に迷うのです。「迷った、判らないからこっちに行く」と言うと、隣に乗ってる家内が「こっちに行くと何処へ出るの」と訊く。それが判るのなら迷ってはいない。けれど「何処に出るのか判らないとなんだか不安だ」と言う。「じゃ、どっちにするか」と言うと、「左の方が道がよさそうね、轍(わだち)がある」とかなんとか言うなけれども、右に行くにしても、左に行くにしても、特別な理由があるわけではない、漠然とした何かでふっと行動してしまう。

健康生活の原理
活元運動のすすめ、、より
ー晴哉はつづくー

☆彡・邪気を吐くと欠伸が出てきます、欠伸が出る迄数回行います、欠伸は弛んだと判断します!(イラストはお借りしました。)

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