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「愉気」ということー二人以上の人間関係-2

人間の生活で親子兄弟は当然、仲良く暮らさなくてはならない。ところがお母さんに一言言われるとイライラしてくる、お父さんがそばに来ただけでなんとなく厭になってしまう、他人になら話ができるのに、兄弟では話し合うことができない、というようなことがざらにあります。そして自分では右を向うと思っているのに、理由もなく反発して左を向いてしまうということもまたよくあることです。

この間も、病気がなかなか経過しないで、だんだん重くなり、しまいには歩けなくなってしまった子供がおりました。小児麻痺の経過をたどりだしたのです。父親が困っていましたので、私が看に行きますと、親が一生懸命、心配して看病している。一生懸命に心配するから、子供は親の心配するようになろうとしている。なろうとしているわけではないが、大人の知恵をいつも押し付けているから、「その利口な大人が心配するのなら、自分の病気は悪いに相違ない」と思う。そして大人が耳の聞こえなくなることを心配したり、歩けなくなることを心配したりすると、今度はそのようになってゆく。

大人の考えるように自分は歩けないと思い込む。そしてだんだん歩けないのがひどくなりました。

それではグアムが悪いので、私はその子供といろいろ話してみました。話していると、ピストル型の古いライターを持って行って「こてやろうか」と言ったら、喜んで「欲しい」という。ところがそのライターで一日中悪戯をしている。お母さんが遠くへ片付けておいたら、それをこっそり取りに行く、歩けない筈のが這って取りに行く。おやは食欲がないと心配しているけれど、お腹が空くと冷蔵庫も開けに行く。とうとうガスライター一つを転機に病気の方を忘れてしまい、それを悪戯する方に集中してしまった。危ないからとお母さんが隠すとあちこち探し出そうとする。そんなことを繰り返している内に歩くようになってしまいました。お母さんは火事が心配で仕様がないと苦情を言うから、「まあ、歩けなくなるよりはいいじゃないか」と話したのです。

親と子でもそんな違いがあるのです。


健康生活の原理

活元運動のすすめ、、より

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