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#育児日記
第一子。吊り橋を、手を取り合って渡るかのように。
第一子は慎重派だ、という話はよく耳にする。
我が家も漏れなく、第一子である長女はとても慎重派だ。
このことを改めて思うようになったのは、第三子である次女と外出することが増えたからだ。
次女は1歳4ヶ月になり、だいぶアクティブに。公園へもよく出かける。2人きりで次女と過ごす時間は、この上なく幸せなひと時だ。
こんな風に過ごす中でふと思い出すのは、長女が1歳の頃、同じように公園に通っていた日々。
親バカでありたい!子供への肯定感高めな育児日記。
親バカかもだけれど…と一言添えて子供を褒めること。
家族以外にはあまりしないけれど、実は、夫婦間や、両親へ向けてであれば、そんな話親バカトークをすることもある…笑
それから、親バカとは言葉に出さなくとも、「この子であれば!」、「我々の子供であれば!」という信じる気持ちから、何かを挑戦させてみることもある。
これは、最近気づいた判断軸。この子ならできる!この子なら大丈夫!と、子供への肯定感が
休日の食卓は、好きと楽しいで彩りたい!
3連休が2連続。
連休続きで嬉しいような、子供とべったり少し疲れ…るような?笑
そんな2回の連休も本日で終了。過ぎれば、少し寂しくも感じます。
休みといえば、大事であり、けれども大変となってくるのが食事問題。毎食考えて、子供を見ながら作るのって本当に大変。
3連休に限らず、休日とあれば毎度頭を悩ませます。
けれど、毎週末悩んでいたらストレスにもなる。もっと気楽に考えてもいいんじゃない?と最
人に大いに頼った結果、子供の信頼できる大人が増えた話
子供が生まれて、時間的、体力的、身体的限界を知る場面が多い。
それは、ただ自分の限界を知り嘆くこと、限界を超えて心身を削るというような意味ではない。
限界を知ったからこそ、さぁそこからどうするか?という思考を深め、広げ、さまざまな技を手に入れるという、新しい自分に会える経験となったのだ。
我が家の場合、とにかく人に頼ることを覚えた。
第一に家族であり、友人であり、保育園やシッターサービスな
年齢を重ねる毎に、自分らしく、生きやすくなる日々
生まれてから三十数年、今が一番自分らしくいられているような気がする、のは気のせいだろうか?
少なくとも出産前までは、否、第1子の出産後くらいまでは、あぁなりたり、こうなりたい、こんなふうにしなきゃとか、理想を追い求めて、そして、その理想にいつかなれると信じて過ごしていた気がする。
20歳過ぎには、就職活動もあり、もちろんここで、いわゆる自己分析もしてきたのだが、出来たようで形だけに終わっていた
ようやく見えて来た、あの時の、あの人の気持ち。だから今こそ・・・
育児をしていると、何度も自分の幼い頃を思い出す。
幼い頃の思い出を懐かしむこともあれば、当時の社会環境や、どんな友達がいたか、幼稚園でどんなことをしていたか等様々だ。
そして、最近ふと考えることと言えば、子供が体調を崩した時の親の気持ちだ。
子育をする中で大変な時は多くかるが、中でも子供が体調を崩した時の大変さは群を抜く。第一に、子供がどうなるか心配。そして、一日中看病をするため疲れる。さら
シッターさんを呼んで得られた、ありそうでない経験。
今日は日曜日。我が家は、今、ベビーシッターさんを呼んで、上の子2人は遊んでもらい、私は別室で、0歳児の3人目を抱っこしながらこの文章を書いている。
我が家は、月の土日に1、2回程ベビーシッターさんを呼び、上の子達を遊んでもらっている。(3人見てもらうのは物理的に大変、あと、上の子たちも思いっきり遊べなくなるので、3人目は親元におり、2人のみ見てもらっている)
その時間は約2時間ほどなのだが、夫
ふわりと感じた、子供が手を離れた後の寂しい気持ち。/子供が教えてくれたこと
未就学児3人の毎日綱渡りの生活。ここ数週間は、子供の体調不良に加え、夫と私も高熱が出るほどの体調不良のため、本当に苦しい日々が続いた。
いつまでこんな生活が続くのか。早く落ち着きたいな、という気持ちがいつも心のどこかにある日々だった。
だが、ようやく体調が落ち着き始め、ふと心に余裕ができるようになってきた。ここ数日は、お風呂もさっとシャワーで洗い流すだけだったり、誰かしらに助けに来てもらったり