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ゆぴの10分日記

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帰り道の10分間で書く独り言のような日記。よわっちくても生きてるだけでえらいえらい!
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#毎日更新倶楽部

自信がないあなたへ何度でも言う、『あなたはすごい』

最近周りの友達がバタバタと闇落ちしている。 いや、闇落ちという言い方は正しくないな。仕事に疲れて心を病んでしまっている。 それで、あまりにもひどいので 『早くエスケープしなよ…!』 と言うんだけど、テコでも動かないんだこれが。 なんでかと言うと、大体鬱になってしまう人は、『完璧主義』な人が多く、完璧な理想の自分と現実の自分の乖離が許せなくてもがいているうちにだんだん病んでしまうそう。 自分はもっとできるはずだ、自分なんかが鬱になるはずがない、って更にがんばってし

大好きだった部屋から飛び出したくなる日

今日、前に住んでいた部屋の立ち合いがあった。 部屋に残されていたものは全部で3つだけ。 ニトリで買った、一度も使わなかったステンレスのくせにサビてしまった物干し竿。 もともと部屋を借りたときに付いてきたテレビ台。 「色が気に入らない」という理由で白い木目のシートを貼った結果、買取業者に引き取ってもらえなかったひとり用のこたつ。 エレベーターのないアパートなので、それらを全部2階から下ろして、200円の粗大ゴミシールに名前を書いて2枚ずつぺたぺたと貼った。 一息つい

「まあるく」なるのは良いことでしょうか

「まあるくなったなぁ」と思う人が何人かいる。 そう思うってことはつまり、前までは「尖ってるなぁ」と思っていたということで、つまるところ良いことだ。 「まあるくなる」ってどういうことなんだろうと考えてみると、わたしは「承認欲求が満たされる」ことなのだと思う。 尖っているのは、まわりから自分の身を守るためで、守るのはすべての人が敵だと思っているからで、敵だと思っているのは誰も認めてないし、誰からも認められないと思っているからだ。 そんな受け入れてくれない世界だけど、そこに

「ふつうのしあわせ」を受け入れられない病

ずっと自分に自信がなかったので、「どうも自分は人よりもがんばらなくちゃいけないらしい」と自分に付加価値をつけるために動いてきたつもりだった。 こんな自分は誰にも好きになってもらえない。でも、価値をつければきっと大丈夫。という具合に。 「自分には価値がない」という思い込みが、わたしを突き動かしていたのだ。 でも最近、「無価値」な自分を好きでいてくれる人が出てきて、うっかり「自分には何もなくても良いのかもしれない」なんて思ってしまって、燃え尽き症候群みたいになった。 その

やわらかいところに触れちゃだめだよ

別に今日言われたわけじゃないけど、「悩みがなさそうだね」って言葉が嫌いだ。 何の気なしに言った言葉だというのはわかるけど、そんなこと言われたら、「まあね」以外に返せる言葉があるだろうか? でも、そんなところまで規制してしまったら、誰とも会話ができなくなってしまう。 そんなことわかってるけど。 前に、精神的に病んでしまった友だちがいて、それを別の友だちが慰めていたことがあった。 わたしも以前病んでしまったことがあるから、気持ちはとてもわかるのに、「あなたは大丈夫だよ」

どこまで信じていいですか

理由は定かではないけれど、ものすごく警戒心が強いので、つねに一歩引いて様子を伺う癖がある。 そのせいか、「どこか1枚壁を感じる」「何を考えているかわからない」と言われることもある。 きっと、向こうは「信じてほしい」のだ。自分はあなたを傷つける存在じゃないよ、って。 でも、わたしにしてみれば、信じることはものすごく怖いことでもある。 人の気持ちほど不確かなものはない。 今日はポジティブだった気持ちも、明日にはネガティブになっているかもしれない。ラブラブだったカップルも

自分と“守れる約束”だけしようね

最近稽古で怒られてばかりいるせいか、まわりの人が結果を出していて焦っているせいか、自信が3ミリくらいになってしまって、 「自信を持つにはどうしたらいいと思う?」 と友人に尋ねてみた。すると、やり方はふたつあって、わかりやすい結果や実績を生んでまわりに評価されるか、自分自身で決めた約束をきちんと守るか、だと言われた。 それを聞いて、大事なのは「自分で決めた約束」のような気がした。 つまるところ、自分で自分の目標を高く設定しすぎると、理想と現実の乖離が大きくなって、自分で

「はい」という言葉に意味はあるか

「はい」 何気なく使ってしまうこの相槌を再定義しなくてはいけないな、と思ったのは、言葉の意味が忘れられてしまったと感じたからだ。 厳しい稽古のなかで、ズバズバと指摘し続ける先生に対して、はい、はい、と真剣な顔で返していたらこう言われた。 「”はい”って言うのは、”わかった”とか”できる”って意味だからな」 何かを見透かされたような気がした。 ありがとうとか、ごめんなさいとか、すみませんとか、無意識に口を注いで出てしまう言葉はいくつかあるけれど、使えば使うほど言葉の意

“週末”は楽しみですか?

「転職するんだよねぇ」と友人が言うので理由を尋ねたら、「週末を楽しみにしている自分がいるから」と言っていて大きく頷いた。 1週間、7日間あるなかで圧倒的に多いのは「学校」あるいは「会社」で過ごす時間だと思う。 私の記憶する限り、週末を楽しみにしだすのは社会人からな気がする。 中高生の土日なんて大体部活で潰れているし、お金もないので遠出をする予定もない。そして、大学生は土日という概念もあまりなく、普通に授業もサークルもある。 一方で、社会人は「今日を乗り越えれば木曜日…

「待つ」は苦しいことだけじゃない

1年ぶりにUSJに行ってきたのだが、まーーー待ち時間の長いこと。 USJではファストパスに課金するとスイスイ乗り物に乗れるのだが、金額がチケットよりも高かったのでケチってしまった。 まず、USJでも人気トップ2を誇るフライングダイナソーとハリウッド・ザ・ライド(バックドロップ)が各120〜150分待ち。 冷静に考えてみるとアトラクションの時間は2〜3分程度なので、たった一瞬のために辛抱強く並び続けるという行為はスゴい。 待っているあいだ、まわりを見渡してみるとみんない

怒る人には「役割」がある

この前「イラッ⭐︎」なことが立て続けに3回ほど起きて、発狂しそうになった。 とりあえず、誰かを攻撃しないように一度そっとスマホを閉じ、お茶を飲んでクールダウンした。カルシウム足りてないのかしら?と反省しつつ、ホントに怒らない人はすごいなと思った。 物事にイライラせず、スマートに対処できて、仏のように笑う。 そんなところに行き着くまでに、あとどのくらい徳を積まなくちゃいけないんだろう。 そんなことを考えながら、小学生のとき、半年に1度ほどのペースでブチギレる先生がいたこ

人はいずれ死ぬ。だからわたしは引っ越したい。

よく「世界一周して人生変わりました!」と言う人を見て、ふふん、そんな世界一周したくらいで人生なんて変わらんやろ、と斜に構えていたが、イタリア旅行中に事件は起きた。 それは、バチカン市国の城壁を見上げていたときだった。 何故かふいに、「あ、私死ぬんだ」と思った。 こんな立派な城壁を作った人も、美術館に飾られている美しい絵を描いた人も、もう死んでるんだなぁ、と思ったらそんな考えに行き着いてしまったのかもしれない。 とにかく、「自分が死に向かって歩いている」ことをハッキリと

「やりたいことがありません」

そんなの当たり前じゃん!!!!!! 友人が「会社を辞めて海外に行くんだ!」という嬉々として言ったのち、「でも明確にやりたいことがあるわけじゃなくて、なんか話を聞いたときにワクワクしたからなんだよね」と呟いたので、そう返しておいた。 「やりたいことがある人なんて1%くらいしかいない」と北野唯我さんが『転職の思考法』で言っていた。その文字の羅列をなぞったとき、ほっとしたのを覚えている。 人生をかけて何か大きなことを無理やり成し遂げなくても、有名にならなくても、何かを変えなく

「失うモノ」を失ってしまった

(台風の前に書いていたんだけどさすがに真っ只中に投稿する勇気が出なかったnoteです。ご査収。) 地球最大規模の台風が来る。 いつもは「そんな大袈裟な」と、さして対策をしない私も、さすがに今回ばかりは怯えていた。 ひとり暮らしをしている今のアパートは小さいながらもまあまあ気に入っていて、住み始めてから2年が過ぎようとしている。 しかし、いくら内装を綺麗にしようが築30年という事実は揺るぎなく、何となく今回の台風で吹き飛んでしまうのではないかと思った。 念のため、ネッ