「待つ」は苦しいことだけじゃない
1年ぶりにUSJに行ってきたのだが、まーーー待ち時間の長いこと。
USJではファストパスに課金するとスイスイ乗り物に乗れるのだが、金額がチケットよりも高かったのでケチってしまった。
まず、USJでも人気トップ2を誇るフライングダイナソーとハリウッド・ザ・ライド(バックドロップ)が各120〜150分待ち。
冷静に考えてみるとアトラクションの時間は2〜3分程度なので、たった一瞬のために辛抱強く並び続けるという行為はスゴい。
待っているあいだ、まわりを見渡してみるとみんないろいろな暇つぶしをしている。リズムゲームをしたり、歌を歌ったり、人狼ゲームをしたり。
私たちは、というと待ち時間のあいだに普段は話もしないような話題で盛り上がったり、くだらないことで爆笑したりしていた。
それに、別に普段は話す必要がないようなことも、「話す」しかやることのない状況なので、なんとなく口からこぼしてしまう。時たま真面目な話や悩み相談なんかにもなったりした。
そして帰路についた今、思い出すのはアトラクションの楽しさだけではなく、会話のやりとりでもある。
そういえば、並びながら話していた話題のひとつに、「前にディズニー行ったとき、あんな話でめっちゃ笑ったよね!」というのもあった。
アトラクションに乗ったことよりも、待ち時間での出来事のほうを鮮明に覚えていたのだ。
以前、タピオカに女子高生が列をなしているのがアホらしい、といったような意見があったが、私は彼女たちは「待ち時間」を含めてタピオカを楽しんでいるんじゃないかとすら思う。
タピオカは美味しいけれど、友だちとわちゃわちゃ一緒に飲むともっと美味しくて楽しいのだ。
テーマパークもそんなところで、待ち時間の会話のやり取りも含めてテーマパークなのだろう。
無論、脚はパンパンになるが、結局思い返してみると今日は待ってばかりで4つくらいしかアトラクションに乗っていないから、つまるところ乗っているあいだの10分を除いてほとんどが待ち時間だったわけだが、やっぱり最後に残るのは「楽しかったなぁ」という思いなのである。
待ち時間に生まれるもの。それは他愛のない思い出。