人はいずれ死ぬ。だからわたしは引っ越したい。
よく「世界一周して人生変わりました!」と言う人を見て、ふふん、そんな世界一周したくらいで人生なんて変わらんやろ、と斜に構えていたが、イタリア旅行中に事件は起きた。
それは、バチカン市国の城壁を見上げていたときだった。
何故かふいに、「あ、私死ぬんだ」と思った。
こんな立派な城壁を作った人も、美術館に飾られている美しい絵を描いた人も、もう死んでるんだなぁ、と思ったらそんな考えに行き着いてしまったのかもしれない。
とにかく、「自分が死に向かって歩いている」ことをハッキリと自覚したのだ。
その瞬間、「さっさと引っ越さなきゃ!」いう想いが芽生えた。
今、わたしはユニットバスのある部屋に住んでいるのだが、まぁユニットバスがあまり好きにはなれなかった。お湯を貯めて入ることもあるが、「さーて、お風呂に入るぞー!」とウキウキ気分で入ることはあまりない。浸かっているあいだも目の端に映るトイレがなぁんか、気になる。
何が嫌なんだかわからないが、なんだか居心地が悪いのだ。
そして、今の家はまぁまぁ家賃を抑えているので、引っ越しをすることもできる。それを何となく、家賃を上げるのももったいないし、まぁ普通に住めるし、部屋はそんなに嫌いじゃないし、でなぁなぁにしていたのだ。
しかし、「死ぬ」とわかった瞬間、「なんでわたしは死ぬまでの貴重な時間を狭いユニットバスでモヤモヤ過ごさなきゃならないんだ?」という気持ちになった。
我ながら極端だが、自分にとってお風呂というのはかなり優先度の高いものだったらしい。
それ以降、「貴重な今をどう過ごすのか」という考えがつねに頭のどこかにちょこんといるようになった。
無駄に我慢していること。無駄に頑張っていること。苦労してでも叶えてあげたいこと。
死ぬまでのあいだの自分を少しでも幸せにしてあげたい。