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怒る人には「役割」がある
この前「イラッ⭐︎」なことが立て続けに3回ほど起きて、発狂しそうになった。
とりあえず、誰かを攻撃しないように一度そっとスマホを閉じ、お茶を飲んでクールダウンした。カルシウム足りてないのかしら?と反省しつつ、ホントに怒らない人はすごいなと思った。
物事にイライラせず、スマートに対処できて、仏のように笑う。
そんなところに行き着くまでに、あとどのくらい徳を積まなくちゃいけないんだろう。
そんなことを考えながら、小学生のとき、半年に1度ほどのペースでブチギレる先生がいたことを思い出した。
その先生はサングラスをつねにかけており、もういるだけでも怖いのだが、さらにいつも木でできた棒のようなものを持っていた。基本的には黒板に書かれた文字を指すために使われる棒なのだが、生徒が何かやらかすと、罵声とともに教卓にバァン!とやるのでめちゃくちゃビックリする。
とにかく怖くて、罵声が教室に響き渡るたびに、絶対に先生を怒らせるまいと思ったものだった。(しかし記憶する限り少なくとも4回は怒られている。体育の授業の終業チャイム後も辞めずにバスケを続けて遊んでいたとき、練り消しで友だちとテレビを作っていたとき、ちゃおの付録のリップグロスを学校に持ってきたとき、その他友だちとふざけていたとき…あっ全部覚えてるわこれ…)
しかし、基本的に怒らせなければその先生は大変に優しく、面白かった。ギターを弾いて歌ってくれたり、交換日記をしてくれたり、テストの裏の落書きにコメントをくれたり、お願いすると側転をしてくれたり。だから、わたしも別に先生のことは嫌いではなく、むしろ好きだった。
しかし、思い返してみるとそのブチギレ具合は尋常ではなかったと思う。何度か棒は折れ、そのたびに瞬間接着剤とテープで補強していた。ひとたび怒らせれば授業は潰れ、1時間くらいクラスには静寂が訪れた。まさに「雷」である。「早くチャイム鳴ってくれ〜」と祈りながら項垂れていたのを覚えている。
果たして、そんなに怒らなくちゃいけないようなことだったんだろうか。
他のクラスでも授業を聞いていない生徒はいたが、先生が軽く注意すれば大丈夫で、罵声を浴びせる必要があるとは到底思えない。
今思うと、あれが先生の「役割」だったのかもしれない。
先生は基本的に高学年しか面倒を見ないのだが、田舎の小学校の高学年というのはそれはもうヤンチャで、すでにグレている者もいた。他の2クラスの先生が女性という状況で、早くも「何かやらかすとえらいことになる」という危険を生徒に察知させたのはこの先生である。
おかげで、わたしの知る限りでは大きないじめもなく(というかそんなことをしたら雷が落ちる)、暴れる生徒も少なく、比較的真面目に授業を聞く生徒が揃う学年になったように思う。
そういえばあの先生は演劇をやっていたな、と思い出した。
きっとあれは、怒りたくて怒っているのではなく、他の先生たちのために、そして生徒のために「鬼の教員役」を買って出ていたんだろう。
先生に久しぶりに連絡を取ってみたら、「おじいちゃんだからFacebookがうまく使いこなせなくてね」と拍子抜けするようなやわらかい言葉が返ってきて笑ってしまった。
やっぱり「必要な怒り」だったのかな。答えはわからないけど、わたしはやっぱり未だに先生のことは別に嫌いじゃない。
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