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鬱になったら本屋に行く。

おはようございます。
昨日は日曜日でしたが4時間ほど休日出勤をしていました。
検体に菌の有無を確認する為です。
培養してきました。
結果報告日から逆算すると、日曜日に植えないといけなくてね。お疲れ様でした。


クリーンベンチの中で作業します。




会社の勤怠はカードで「ピッ」とするが、
念の為上長に出勤時刻、退勤時刻をラインで報告する。
よく聞くslackは使った事が無く、よくわからないが
ラインは便利だ。
便利故に、ニュースもラインニュースで閲覧して終わることもしばしば。情報収集源として、1社に偏るのもなんだなぁと思い立ち、朝日新聞デジタルのアカウントもフォローしているが、やはりラインニュースの方を見てしまう。
当初は一日に一回の配信だったが、最近は一日に何回も配信がある。

そのなかでこんな記事を見つけた。


本当はリンクを貼りたかった。


「書店 消える」で検索すると、経済産業省から出ている記事も見つけた。


情報収集の手段が多様化し、スピード感が上がり、余暇の時間をインターネットやSNSが奪っていく。

らしい。
たしかにそうだ。
わからないことは調べればすぐに答えがわかる。
自分が小学生の時、わからないことは、図書館か書店に連れて行ってもらい、借りるか買うかしていたものだ。
そうしないと得られなかった情報たちは、今は自宅にいながらして得られる。
YouTubeでは、専門家が難しい分野を噛み砕いた言葉で説明してくれさえいる。とても便利。


しかし、これは「自分が情報を取りに行く姿勢」
が無いと成立しない。
検索エンジンに単語を入れないと、欲しい情報は目に入ってこない。


自分が意図せずしてまだ知らぬ情報に出会う機会を損失している。

と思う。


*****


私が小学生の時、よく図書館へ連れて行ってもらった。特に夏休み。読書感想文を書く上で読む本を探しにいったものだ。どれがいいかよくわからないから、課題図書、あるかなぁと。
買うとお金がかかる。
習い事の帰り道にも、漢検とりたいから、テキストを探しに行きたい!とねだって連れて行ってもらったものだ。
どの級を取ろうかパラパラとめくり、三級は中学校卒業レベル。なんか頑張ったらイケそう。
だから一つ上の準ニ級を取ろうと思った。
だが、準ニ級のテキストだけ無かったのだ。
ニ級しかなかった。

母親に「準ニも二級も似たようなもんでしょ。」
「やればできるんじゃない?」
と言われた。
やらない本人がよく言うよ。と思いながら、買ってもらう側としては文句は言えないので、渋々ニ級のテキストを買ってもらった。
四字熟語とか、まぁよくわからん言葉がわんさか。
苦労はしたが、小学生には時間があった。
知らないことを知る感覚は好きだったので、案外のめり込んだ。
そうしたら一発でとれた。
やればできるもんだなぁと。
今思うと、本屋に準ニ級のテキストが売り切れていたお陰で、堂々と履歴書なんかに「漢検二級」と書ける。ネットでテキストを注文していたら、間違いなく二級は取れていないし、自分には、



やればできる力


があることを感じることも無かっただろう。



図書館しかり本屋さんに行くと、予期せぬ良いことがある。
もちろん目当ての本を借りる、買うために向かうのだが、仮にお目当ての物が見つからなくても、

・あ、これなんだろう?
・最近はコレが流行ってるの?
・え、なにこれ可愛い。

パラパラとめくり、立ち読みができる。
本屋からしたら、買ってくれないと利益がでないので迷惑かもしれないが、意図せずに、自分の興味の有無とはまた関係なく、知らないジャンルの情報を手に入れることができる。

手に取らなければそれまで、ではあるが表紙は見える。
大人の男性の趣味ゾーンとかね。
「あぁ、大人の男の人は、車とかバイクが好きなんだなぁ」と子どもながら思ったものだ。



今でも仕事で失敗したり、もやもやと悩むことがあったら本屋に行く。
そういえば大学院の時、論文の締め切りが迫っているのに測定データが飛び、ぱぁになったときがあった。やっていられなくなって、研究室までの行きの電車内で泣いた。
こんな顔で研究室へ行き、「大丈夫?」なんて優しい言葉をかけられたら、拭いきった涙と抑えた感情が、また吹き出してわんわん泣いてしまいそうな気がした。だからその日は研究室を休んだ。



その時、何を思ったか本屋さんへ足が向いた。
どうしたら、この状況を抜け出せるか。
色々見て回って出会ったのがこの本。
今でも人気がある。


「20代で得た知見」
表紙にうっとりした。
やはり表紙は大事。
本の顔だ。

定価で物を買うことはほとんど無いのだが、これは


「手元においておきたい」


そう思った。
文字の羅列が苦手な人でも読みやすいと思う。



生きていると、答えのない問題とたくさん出会う。
そんな時は本屋さんに行ってほしい。
自分のもやもやとした心を晴れやかにしてくれる一冊が、必ずあるから。
でも、そんな本屋さんがなくなってしまったら、
どうしたら良いのだろう。
私の心の支えが、拠り所が、無くなってしまう。

どうかお願い。
AIが発達しても、本屋さんを無くさないでくれ。
本屋さんが救えるだろう可能性を、
無くさないでくれ。

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