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暗いところでも、よく目が見える。
ほんの半年足らずやらせていただいたお仕事。
私の過去とも将来とも線でつながることなく、
故に私の中では点でしか存在しないこの体験が記憶に鮮明な跡を残している。
カリフォルニアにある日本車の会社でやった通訳・翻訳の仕事は私にとってそんな体験だった。私なら私をこの仕事に雇うことは絶対に無いと断言できるくらい、お粗末なクオリティで散々迷惑をおかけしたが、通訳の現場でなければ聞けなかった貴重な話を聞くことができた。
そんなエピソードのひとつ。
その道20年余、現地仕様の車の開発に携わってきたベテランの技術部門責任者(日本人初老の男性)が
白人は、
・暗いところでも、よく目が見える。
・食いだめが効く。
・血が早く止まる。
と、言ってのけた。
どんな場面、なんの通訳をしていた時かは忘れたが、この言葉にとても驚いたことを覚えている。「狩猟民族のDNAだな。」と彼は締めくくった。
この時、ベテラン技術者は何らかの科学的根拠を示したわけでもなかったが、現場で絶大な信頼を得ていた彼の言葉には一定の説得力があった。「日本国籍の車をアメリカ現地仕様で作る」という仕事の最前線で培われた彼なりの体験から生まれた知見と思われた。
そんな彼の説を私自身、通訳の現場で目撃することがあった。ある新車のダッシュボードのデザイン案がプレゼンされた時のこと。出席者は、提案する側のデザイナー(全員日本人)と、提案される側の経営陣(全員白人系アメリカ人)のミーティング。3回目のプレゼンだったか。
「前回の指摘がまだ改善されていない」
とアメリカ人。「ダッシュボードの照明がまだ明る過ぎる。」「これでは夜間運転中、ダッシュボードの明かりに目が行き過ぎて、むしろ危険である。」と不満を訴える。
「随分明るさを落としたつもりだったのに、、」と首を傾げる日本人デザイナー。
おお、このことか!
私の中で納得ランプが点滅した。
日本人の目には適正でも、アメリカ人(白人系)の目には眩しいのだ。光がきついのだ。
そう言えば、、
私自身アメリカに住み始めた頃、訪問したどの家庭も「なんだか薄暗いな」と感じていたことを思い出した。日本のように天井にひとつドカンと大きな照明がつくことなく、室内に点在する間接照明に私の目は慣れていなかった。
彼らは時折、その間接照明さえ It’s too brightと眩しがっていたっけ。
同じく、アメリカ人大好きな「蝋燭の明かり」を楽しむ習慣も初めてだった私は「アメリカ人って日本人よりロマンチックなのかしら」と呑気に思っていたが、、
なんだそうか、目の仕組みの違いなのかも。
ここでひとつ、
私にはまだわからないことが残っている。
電気という文明が採用される以前の日本では
「障子」という天才的な照明があったというのに、なぜ「天井から1つの大きな照明ドカン」方式の直接照明が圧倒的多数になってしまったのだろう?部屋全体を柔らかな光で均一に包み込むあの伝統照明を日本人は何代にも渡って身体で覚えていたはずなのに?
謎だ。
目の仕組みの違いなのか?