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人様の骨

人前でよく前歯が落ちた。前ブレもなく、突然。

歯が落ちた理由とか説明してもしかたないし、
(もともと差し歯にしていたところがユルユルになったのが原因)大声出してもかえって目立つので、たいていの場合、

あっ
と落ちた歯の隙間から小さな声を漏らした後、

そっ
と落ちた前歯を拾って(なくしたら大変)、

そそっ
とトイレに駆け込んで(近くにあればラッキー)元あったところに歯を入れるのだけれど、

戻ってくる時がとても恥ずかしかった。

笑い飛ばしてくれる気心知れた仲ならまだ良いが、そうでもない「知ってる程度」の気取った集まりだったりすると、謝ったり言い訳をしなければならないのが辛かった。
おしゃれな場所で会食などしている時は、穴があったら入りたかった。自分の歯が抜け落ちた後の穴でも良いから入りたかった。

これはアメリカでのこと。20年も前のこと。
アメリカは特に歯に気を遣う国民性なので、
人前で歯を落とす技はビックリされこそすれ、
褒められたことは一度もなかった。

言うまでもないが、前歯が無いというのは、恥ずかしいだけでなく不便なものだ。硬いものや大きなものを噛みきれない。人前で大声で笑えない、食事ができない。(ごく親しい人以外とは)タバコを吸ったり、ストローをくわえたり、スパゲティを食べたりする時に、口を開けなくて良いかと試してみたが、実践には向かなかった。

というわけで、しかたなく大金をかけて前歯を入れることにした。金輪際、落ちないようにインプラントという方法を選んだ。歯茎ではなく、顎の骨にドリルで穴を開け、ネジを植えると聞いて腰が引けたが、2度と人前で歯を落としたくなかったから、覚悟を決めた。

最後の工程で、あなたの顎の骨は薄いので、ネジを植えるために、bone grafting (ボーングラフティング)をして厚くしますと言われ、その初めて聞く言葉を辞書で引いたら、骨移植と出ていた。

誰の骨?どのくらいの大きさ?
いろいろ尋ねたが、結局理解できたのは、「私(本人)の骨」ではないということ。
極々少量ということだった。(施術の時見たら骨というより「骨の粉」程度の分量だった。)

ドキドキして迎えた当日。
外国人の骨が私の上顎に埋め込まれることになったら(きっとそうだけど)外国語が喋れるようになるかしら、それならフランス語がいいわ、中国語も便利かもと妄想して、気を紛らわせた。

あれから、もう20年。
私の前歯(インプラント)は健在。私はまだ人様の骨と共生している。フランス語も中国語も話せるようになっていないが、おっかなびっくりとうもろこしをかじるたびに、会ったことのないどなたかに感謝している。

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