人生が100秒だったら: 3秒目
いつ吸ったらいいの
「人はね、考えるのを止めないんだよ」
どんなつもりで言ったのか、どんな言い方だったのか確かめる術はないが、それを言ったのは60歳のタミおばあちゃんで、聞いたのは4歳の私だった。言葉は、闇の中に光をつくり、私はサルが人間になったように、その光から後戻りできなくなった。
「ほんとだ。わたしいつも、かんがえてる。」
これは厄介だった。「人は死ぬのだ」ということが朧げにわかってきた年頃だったから。
「しんだらどうなるの?」
「わたしのことをかんがえてるわたしがいなくなったら、わたしはどうなるの?」
「ねているときは、かんがえてないけど?
わたしはどこにいるの?」
終わらない問いがぐるぐるまわり、寝つけなくなって(考えるのをやめないものだから)たまらず寝床から這い出して、お茶の間に行く。暗闇の向こう、襖の先の明かりの中にいる大人達に「しんだらどうなるの」と聞きに行くのだが、誰も相手にしてくれない。
いつまでも襖の向こうから漏れてくる大人達の話し声を聞きながら、どうしてこんな大変なことが大人は気にならないのか、不思議でたまらなかった。
「しんだらどうなるの」これが序の口になった。
生きている=息をしていることに、気づくのに時間はかからなかった。いろんなことに気を取られている昼間はいいが、夜、寝床に入るともういけない。「息をしている」ことだけに意識が集中して、いつ吸ったらいいのか、いつ吐いたらいいのか、わからなくなった。
いま、吸った。
いつ、吐けばいいのか。
いまだ。はぁーっ。
こんどはいつ。いつ、吸えばいいの。
疲れ切ってまたぞろ起き出して大人達に聞きに行く。
「いつすったらいいの」
誰も答えてくれなかった。もちろん。
あの時の暗闇、迫ってくる天井の木目、息苦しさの恐怖からどうやって戻ってこられたか。大丈夫って、誰か言ってくれたのだろうか。
60年以上経って、ふすまの向こうの明かりをつくっていた人達はみんな消えてしまったけれど、
夜中にふと目が覚めるような時、思い出すことがある。
夜は必ず明けるものだって、誰か言ってくれたのだろうか。