軽やかさが心地いい🪶

曇りの日はずっと同じくらいの時間帯が続いてる気がする。太陽が見える日は分かりやすく“いい日”、雨が降ると“いやな日”そして、曇りは極端に嫌われることも好まれることも少ない天候のように思うが、私はこの素朴な『曇り』が意外と好きなのだ。
今回は私の生活そのものでもある“何もない”が、最高すぎるということとつなげて話をしたい。

私はつい一年前まで、自分に何もないことをひどく嫌っていた。堂々と名乗れる職名や打ち込めるものがないこと。正確には、それを一度手にしていたのに、失ってしまったことに。
仕事=趣味みたいになってたから、なんだろうけれども、日常の大半を過ごす学生なら学業、卒業して以降はどこかに勤めて毎月決まった金銭を得るというスタンスが、何よりも立派で年相当の役目を果たしているような感覚だったためである。
実際に2022年の3月まで、私はこの価値観の中で生きて来た。世間の「立派」と足並みをそろえた、一見何のヘコみもない20代としての自分がかつては好きだった。

紆余曲折を経て、無職となったわけだが
無職とは“一般ルートを外れてしまった人間のかわいそうな状態”といった偏見があったため最初、本当に彩りも価値もないような感覚になった。まさに“無色”になった気持ちだった。やることがなくて、ただ時間だけがたっぷりと永遠にある。この終わりのない、果てしなさにうんざりとも言える恐ろしさを感じていた。
(この時の心情や、辞めた時期の話についての詳細は別ページにて話しています。)

だが、今どうだろう。
この“何もない時間”がなければ、私は人生が嫌になってしまうと思う。人に会うのも毎日は好まないし、会いたい人もそう多くはない。やりたいことは自分の手の届く範囲で叶えられるし、大きな目標や壮大な夢なんてものも持ち合わせていない。命を懸けて守るべきものもまだなければ、この人と一生をともに生きたいという人が見つかったわけでもない。職も趣味も特段ないのだが、この『ない』の軽やかさが、今の私から見える景色を色づけてくれているのだ。何かに固執するものや使わなければならない時間のないことが、現在の私の豊かさを生み出している。

曇りは先の光が見えないし、なんとなく気分が明るくならないと感じる人もいるだろうが、私とっては太陽と毎日対面をすることはその眩さゆえの刺激に少し疲れてしまうだろうし、ずっと雨でも湿度で体調が波打ったり外出しづらいなどとなる。だから「晴れ」と「雨」のあいだに『曇り』という天候があってよかったと心から思うのだ。

日時生活がスケジュールでつまっていると、やりがいや楽しさといった分かりやすい刺激に没頭できる、という利点はあるが、こういう時は何よりも肝心な“自分の心”というものが見えにくくなる。常に「分かりやすい充実」だけが、人生を豊かにしているのではない。
楽しさや高ぶりじゃなく、哀しみや空しさでもない平穏な気持ちが続く体感は本当に心地がいい。その“刺激ではないプラス感情”は、こうした空間に身を置いてみたことによって芯から感じられるようになったのである。そして、こんな曇りの日にこそ、落ち着いた気分で自分と向き合えやすいと感じる。

静かに自分の五感を感じられる時間をすごすなかでしか得られない『本来の感覚』をつかめた。
これは可視化されないから共有しづらいが、私にとってとても大きな変化だ。空間も内面も軽やかになることは圧倒的な『生きやすさ』を体現できるようになった。そして『自分と向き合う』ことをこれまでのどの時期よりも適えられた年になっていると思う。

『しあわせ』とは、外側に纏う「何か」が与えてくれるものではない。自身の内側からの感覚が満たしてくれるものなのだ。

🔽“体の〇〇”が幸せの体感を決める。

🔽何を選んでいくのにも『心身の健康』が人生の土台となる話。


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