「学校」という縛り。「義務教育」という名の重圧。過去話

先日、「昔の自分の思い出的な物ってどれくらい残しているか?」という話を人とした。

5年ほどまえに、アルバムは小学生・幼稚園時代のものを除いて全て捨てた。
見返すことなどないからである。

自分と仲の良い友だちとの写真は、アルバムに凝縮すれば、ほんの1ページ分に収まるほどもないと思えた。ほとんどが関係のない他人の写真だ。

決められたクラスといった単位で過ごすことの息苦しさ。学生時代は、クラスと部活が主な世界の全てだった私たちにとって、そこから「はみ出さないようにつとめる」ことが何よりの任務だった。

学校を簡単に辞めてしまうなんて言えない。

大人が話す「大人になると大変だよ」は、仕事に追われて時間がないと言ったことだが、総合的にみて呆気ないほど見当違いだったと思える。

大人は自分で居場所を決めたり変えたりできる。仕事が合わなければ、意思を示し手続きを踏めば辞めることができる。そして、合う場所をその後いくらでも探しに行けるという選択肢がある。

大人の方が、“自分の世界”を自分で選びつくっていけるのだ。

あらゆることからの“現在の生きづらさ”とはべつで、
住まう場所や過ごす空間を選べる自由がある大人は、子どもよりも生きやすいと思える。
学生時代いつも外を眺めては、自転車で買い物の帰り道だろう人や犬の散歩をしている人を憧れの目線で見ていた。
「はやくあちら側にいきたい」と切に願っていた。

縛られた45分の授業時間は、すべて一週間分をそれぞれの科目コマに割り振られ決められている。
基本的に「教室にいない権利」などないのだ。

学校へ行かないということは、自分の生きる世界を放棄することと同等な感覚だった。それくらい「普通」や「みんな」の乗ったレールを外れることの怖さやとんでもなさは、幼いながらしひしひと感じていた。「普通じゃない子」になってしまうことを何よりも恐れていた。

「みんな仲良く」と教室に掲げられた聞こえの良いポジティブな言葉たちは、思春期の人間たちからすれば、表面ごとのお飾りだった。
「そういったことを重んじる風潮」は、何に役立ち、一体誰を救っていたのか全く分からない。

女子の行う、頭脳を使った要領の良い「いじめ」というものは、そんな言葉は掠りもしない上っ面の戯言だ。
先生からは「良い生徒」に見えるよう振る舞うことなんて、なんの手強さもない程に簡単すぎる。

クラス、そして放課後はクラブといった所属する集団の中で、「みんな」と息を合わせ、足並みを揃えて表面ばかりの笑顔を交わし合うことが続く毎日は、一人の人間を“義務教育の教え”や“概念”に染め上げてしまう。

そんな日々が6年、3年、また3年と続き、知らずの間にも「教育」に自分の個性を押しつぶされて、いつしか人は自分の『本来』を忘れていく。

そうしてたどり着いたのが今の現代社会だ。
年配の人はよく「今の若者は骨がない」という。
「人に迷惑をかけるな」と教えられ育った我々は、いざという時に誰にその顔を見せて頼ればいいのかが分からない。
追い詰めて、行き場をなくした人は、最後には自らをあやめてしまう。

「言ってくれればよかったのに。」「どうしてあの子が…。」と人は言うが、弱みを見せることにも慣れていない“良い人の面”を被り続けたこれまでの時間が、人をそうさせたのだ。
もともとは容易であったこと(嫌なものを嫌と主張すること等)が義務教育を過ごす毎日の中でいつしかその圧で押しつぶされていき、己の声をあげることが容易ではなくなってしまった。

「道徳」の授業なんて、なんの役にも立っていない。
「罵声」と言う授業を作り、1時間自分の気に食わないことを愚痴として吐き出す練習をした方がよっぽど将来のためになるだろう。

自分の将来など微塵も顧みてくれない他人である大人がつくったクラスという単位は、そのメンバーによって一年間の過ごしやすさが決まり、日々周囲から翻弄されながら『自分』を失ったいく場所だ。

先生の心を掴んだ一軍と呼べる地位に属する生徒たちが、そのクラスの全ての政権を握る。その一軍生徒が嫌いな生徒は、いじめの対象としてでっちあげられる。

学生時代のクラスという単位は、小さくて無差別かつ不平等で残酷な社会だ。

こんなに過ごしにくい世界はないだろう。


女子が群れれば必然的に派閥が生まれる。
女は複雑なのだ。
クラスに留まらず部活の中でも一軍は存在する。いくつかのグループごとでもめる時と、グループ内での喧嘩また時には学年対学年の対立など、常にメインの活動以外である人間関係によってどれだけ神経をすり減らして来たか分からない。

私自身、この部活動といった集団の中でいじめの対象になったことも、加害者側になったことも、はたまた外側から知らんぷりをして眺めていたことも、どのポジションもある。

3人グループの私以外の2人がなぜか突然仲が悪くなり、どちらもにもどっちつかずな対応をしていたこともあるが、これはこれでしんどかった。
私だけどちらとも仲がいいという、人と人との間にサンドイッチされる疲弊を知った。

思春期の女子の底力は恐ろしい。
小さな喧嘩から派生したやり合いは、先輩を交えた学年対学年の亀裂になり、たまたま辞めたかった子がそこに便乗してなど、最終的に顧問対学年のやり合いになったことがある。
全員で部活をボイコットして遊びに行ったし、話し合いという口論の末、顧問はうつ病になって辞めていった。

音楽を演奏しに行っているのか、人間とやっかみにいっているのか分からない時間だった。

こういう大人に反抗したことの記憶は、数少ない経験だったこともあってか、いまだにしっかりと覚えている。
それからどのようにしてことが落ち着いていったのかはあまり覚えていない。


女はなぜか、群れると問題が起きるのに、やたらめったら一緒に行動したがる。同じ膀胱を使っているわけではないのに、必ず誰かとともにトイレに行きたがる。不思議だ。

大学生になった時、集団行動を好かないタイプの女の子ばかりが学部にいて、とても過ごしやすかった。同じ講義を受けていて帰り道も同じなのに各々で帰宅していくのだ。
これくらいあっさりとした女の子ばかりだったから、無理に一緒に行動することもなく、どんどんひとり行動の楽さを体感していった。

言うまでもなく、現在も友だちとして繋がっているのも、そう言った“群れない”タイプの女の子しか続いていない。


学生時代の縛られた集団の過ごしにくさと、女の複雑さの話になった。

本当は講師時代の生徒とのエピソードを話そうと思っていたのだが、また次回にするとしよう。


🔽生徒から教えられたことの話。先生と生徒は「上下」ではなく『同等』に学びを得ている。


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