2024年3月 インド旅行記⑥ つながる~旅の終わりに
インド旅行記最終回です。
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最後の朝
一睡も出来ないまま、鳥の声と猿の飛び跳ねる音で朝になったと感じ、のそのそとベッドから出て、バルコニーの椅子に座った。4時ごろだったかな。
ハリドワールのホテルではバルコニーの椅子にばかり座っていたけれど、ここでは他のゲストたちとの交流に忙しくて1人でゆっくりとする暇がなかった。私にしてはとても珍しく、社交が心から楽しかった。でも同時にとても疲れた。
ぼーっと庭を眺めていたが、日本から持参したドリップコーヒーがあったことを思い出し、お湯を沸かして淹れてみた。1杯飲んだら止まらなくなって、3杯飲んでしまった。
この行為がまったくアーユルヴェーディックではないことは知っている。
ここでの記憶を少しでも書き留めておこうと、ジャーナリングをして過ごした。いくらでも書きたいことがある。何をした、だけでなくどう思った、どう感じた、誰と何を話したなど。自分のための記録だったから、それを元にしてこのような記事を書くとは、その時は予想していなかった。
一つ一つの行動は、すべてなにかしら未来に繋がる選択なのかなと思う。
インドに来たのも成り行きというか、これまでに無意識に積み重ねてきたことの偶然であるし、更に別方面でたまたま英語を勉強していたから、ここでは国際交流を楽しめた。もし英語を話せなかったらみんなが仲良くなっている間に、1人でぽつんと過ごすことになっていただろうなと思う。
基本、帰りたくない気持ちが強いが、清潔で便利な水回りと浴槽が恋しく、それが日本へ帰るモチベーションとなっていた。
ここで出会った人たちと離れるのも寂しく、複雑な気持ちでバルコニーに座り、考え事をしながらジャーナリングをして2時間ほど過ごした。
ゆるゆると荷造りも始め、いらない物をすべて整理して(使い切れなかったシャンプーとか)捨てる。そういえば、チェックインした時に部屋のトイレの掃除がいまいちで、なんだか汚く臭いも気になって(日本の基準だと)、でもスタッフの人たちがみんな優しく良い人たちだったから、そのような文句を言いづらかったため、持ってきたボディソープを洗剤代わりにしてトイレットペーパーを使い、自分で掃除したのだった。
今度は部屋を使わせてもらった感謝をこめて、どうせ捨ててしまう残りのボディソープを全部使って次の人のためにまた掃除をした。ついでに水回りを全体的に磨き上げて来た時よりもキレイにした。4日間ありがとう。
そうこうしている間に毎朝恒例の散歩の時間。今回はいつもと違う出口から違うルートで山の方へ向かった。
初日にたくさん話したドイツ人のJさんとはその後あまり接する機会がなかったが、最後にゆっくり話すことができた。彼女はヨガ資格取得のコースなので3週間の滞在。あと7日ほど残っているとのことだが、次々と私のようなリトリートの客たちが来ては帰っていくという特殊な経験をもう2週間も繰り返している。
私の初日から2日目前半は他のリトリートのゲストがいなかったので、2人で過ごす時間が長かった。私のちょうど半分の年齢だが、テニスやサイクリングの好きな健康的な女性で、背が高く180センチ以上あり、モデルのような外見、でも話すと結構素朴でゆったりしており、一緒にいると気楽で安心できるタイプだ。
年齢よりも大人っぽく、落ち着いて見え、自立し、明るく前向きであるが、純粋な雰囲気もあり、差し引きで年相応なのかなとも思う。彼女以外はみんな30代以上なので(20代はいなかった)ずっと年上だが、変に遠慮したり距離を置くこともなく、自然に全員と話しており、対等な接し方をしていてとても感じが良かった。
最終日だけれど、ハイキングの帰り道には、ムンバイ在住のHさんとたくさん話せてよかった。たぶん、代々上位カーストの出身である、相当裕福なインド人女性で、2人いたアメリカ人のうち1人(インド系)のお友達。正直、現地のインドの方々の平均よりもこの2人の肌の色はずっと白い。カーストに比例して肌の色が変わるということは知識として知っていたし、20年前にインドを訪れた時にも感じたが、今回あらためてそのようなことも目の当たりにした。
Hさんは少し年上だけれど、だいたい同世代で、ムンバイで夫と2人で暮らし、カフェを経営している。そのカフェは、広々としていてセンスが良く、驚くくらい洗練されており、和食も含めた世界中の料理を提供している有名な場所のようだ。彼女は昨日の鼻うがいのようなことなど、インドの伝統的な儀式や哲学に関してよく知っている一方で、よく海外旅行にも行くようで、国際的な感覚も強い。服がいつもおしゃれだった。
同行しているアメリカ人(インド系)のPさんは、その親友Mさん(テキサスの方)を連れて、インドにいる親戚の結婚式に参加するため、インドに帰省するついでに、ムンバイのHさんにも声をかけて一緒に旅行しているとのこと。
Hさんは結婚式には出ず明日帰宅するそうだが、アメリカのお2人が明後日参加するというインド式の結婚式は、3日ほど続く大変盛大なものであり、300人以上になるという招待客も含めて10回くらい着替えをし、そのたびに髪、メイク、靴、ジュエリーまですべて変えて豪華絢爛に行うとのこと。絶対楽しいだろうけど疲れそう。でもちょっと様子は見てみたいなと思った。
Hさんと2人で話しているところにイタリア人のVさんも合流。年齢もライフスタイルも近い3人で話していると、眩暈とふらつきで一瞬倒れそうになった。それを見逃さなかった2人。大丈夫?と心配されるが、さすがに一睡も出来なかった後にコーヒーを3杯飲んだからとは言えず、ちょっと石に躓いたと言って胡麻化した。
早朝とは言え、気温は30度ほど。山道を登って下って結構な運動量。ハイキングに水を持ってくるのを忘れたのもあり、体調が悪かった。
スケジュール表にはハイキング後、休憩をはさんで朝食と書いてあったから、少しまたシャワーを浴びて汗を流して身体をクールダウン。服を片づけたりして荷造りし、朝食かなと思って外を見ると、みんな屋外でヨガをしていた。
何故来なかったの?とスタッフの人に聞かれたが、私のスケジュールには今日ヨガの予定がなかったし、先ほどの眩暈とふらつきからの体調不良(寝不足に加え、軽い熱中症?)でヨガに途中参加する気分でもなかったため、再びバルコニーに座って見学したり、ベッドで横になっていた。
つながる
ここで仲良くなった他のゲストたちと最後に一緒に過ごす時間である、朝食。今回同じテーブルになったのは、テキサスから来たMさん、ドイツ人Jさん、イタリア人Bさんという珍しい組み合わせ。炎天下の中、屋外でヨガをしたせいか、なんだかみんなお疲れモードであまり会話が弾まず。でも、Mさんの3人の子どもたちや日常の話とか、夫との馴れ初めの話とかを残りのメンバーで聞いていた。イタリア人Bさんとドイツ人Jさんは今はパートナーがいないけど身軽で楽しいとか、ガールズトークのような内容も。
この後はそれぞれアクティビティや講座に参加するため、みんなとは本当にこれでお別れ。1人1人とハグをして、言葉を交わす。いつか、またどこかで会えたらいいね、と言いながら。
WhatsApp(海外のLINEみたいなもの)で連絡を取り合おうという話になったが、私は数年前にやっていたものの、やり取りする機会もなくなったのでスマホから消しており、wifiの弱いこの施設内では再ダウンロード出来ずに困っていた。
先程ゆっくり話したHさんと、インド系アメリカ人のPさんが、私だけつながれないことを気にかけてくれ、とりあえず電話番号と、念のためメールアドレスも交換して、どうにか連絡を取れるようにしてくれた。
自己主張が激しく我の強い彼女たちが最初は苦手だなと思ったし、英語が下手でパッとしないアジア人の私はなんだか存在感がないと思われていたようだけれど、最後の最後まで私とつながろうと努力してくれたのはこの人たちだった。
アメリカやインドに住んでいる限り、ちゃんと自己主張しないと生きていけないのだと思う。おとなしくて目立たないと相手にされない。だから、彼女たちの性格がキツいとか、意地悪だとか、そういうことでなくて、環境の影響で気質にも影響があって、最初は久々に海外に来た私には振る舞いがキツく見えたのだろうなと思った。
デラドゥーン空港
ラストはここの施設のオーナーであり、哲学や瞑想のGURUでもあるRさんに最後の儀式をしてもらい、滞在前に質問メールにも対応してくれてずっと親切だったスタッフのKさんに見送られて、空港への車へ乗り込んだ。
45分で着くと書いてあったが、相変わらず渋滞がひどく、2時間半以上かかった。それを見込んで早めの時間に車を手配しておいてよかった。
箱根の山道のようなリシュケシュ近くの道で車酔いし、薬を飲んだら眠くなった。そのままウトウトしていると空港に到着。
デラドゥーン空港には、いかにもヨガをしていそうな外見の欧米人がたくさんいた。ハリドワールの街では、私は珍しい外国人で目立ってしまったが、ここでは埋没できて楽だ。しかも、空港のスタッフやセキュリティーチェックをしていた警官の中には日本人や韓国人のような見た目の人たち(メイクがインド人っぽいけど)も何人かいた。ここはヒマラヤに近いし、チベット系や、中華系、山岳の少数民族の方なのかなと気になった。
そして、相変わらずいちいち列に並ぶたびに、前の人とお腹がくっつくくらいに距離を詰めるインドの文化にはパーソナルスペースという言葉はないのかなと不思議に思った。外交的なタイプが多そうであるし、あまり気にしないのかな。パーソナルスペースの存在なんて、気にしない方が絶対幸せに生きていける気がするから羨ましいとも思う。
インドドラマでいつも大好きなキャラである、女性警官たちの制服姿の凛々しさやカッコよさに惚れ惚れして見ていると、セキュリティーチェックで止められる。先程部屋で几帳面に小さいポーチ類に分類して整理した、充電器やらコードやらを、すべて出して見せろ、とのこと。また片づけるのが面倒くさいなと思いながら一つ一つ開けて見せると、私の持っていたポータブル扇風機にスタッフたちの目が留まる。結局使わなかったが、念のため持っていったもの。これを動かして見せろと言われた。それってセキュリティーのためじゃなく、あなたたちの好奇心のためでしょ?と思いながらも、ゲートに行けないと困るため、しぶしぶ見せようとしたら充電切れ。残念。というか、職務乱用でなないのか。
ようやくゲートにたどり着き、お土産屋でガネーシャのマグネットをゲットし、飛行機を待っていると、デリー行きの便は遅れているとの放送。
概要は分かったが、空港の音質の悪いアナウンスでインド訛りの英語だったため、詳細を聞き取れず。かつて、リスニングのテストで冷や汗をかきながら歯を食いしばって聞き取ろうとしていた状況をとっさに思い出す。
小さな空港なので人が溢れてカオス。列もわけが分からない状態になっているし、デリーでの乗り換え時間は2時間半程度だったため、あまりに遅れていたら困る。このような状況が苦手ですぐに焦る。
とっさに、近くにいた男性に、遅延の詳細が分かるかどうか聞いてみた。結局詳細という詳細は発表されておらず、ただ天候の関係で遅延、とのことだったが、その人もデリーでドバイ行きに乗り換え、ロンドンに向かうようで気を揉んでおり、なんとなくそのまま一緒に列に合流しながら会話。
ロンドンに住んでいるようだし、話し方からしてイギリス人かなと思ったが、容姿がイギリスっぽくない。聞いてみると、イギリス在住のエジプト人で、母親はベネズエラ出身とのこと。国際的。
幸い遅れは30分程度にとどまり、大した影響もなくデリー行きの便に乗れた。それぞれの席へと向かい、その男性とも会話終了。
航空券を予約した時に選んでいたがすっかり忘れていた機内食のチキンサンドを食べて(インドに来て初めての肉食、スパイシーで美味しかった)、そのまま寝落ち。
再びデリー
あっという間にデリーに到着し、預けていたスーツケースを受け取ろうと待っていると、先ほどのロンドン在住のエジプト人と再会。私は酔い止めの薬の影響で眠くてぼーっとしていて、別のターミナルに移動するのが不安だったため、少しホッとした。
何故か同じタイミングで荷物が出てきて受け取ると、エジプト人がいつの間にか持ってきたカートに2人分の荷物を載せていた。どうせ同じ国際線のターミナルへ行くし、荷物を持ってもらうくらいどうってことないと思い、そのまま移動。
ここまでは良かったが、そのエジプト人はなにか勘違いをしているらしく、妙に距離を近づけてきたり、私を女性扱いしてレディーファーストのような行動を取ったり、急に私の外見を褒め始めたり、奇妙な展開になってきた。私より10歳くらい年下だと思う。なんか申し訳ない。
私は男女関係なく人と接してしまうことがあり、それが勘違いを生んだのは悪いが、いやいやいや、そういうのは要らないよ、と思い、少し距離を取って口数を減らす。無事国際ターミナルに着いたが、エジプト人の暴走が止まらなくなったので、母親がベネズエラ人だからスペイン語も分かると言われた会話の流れで使用言語を英語からスペイン語に切り替えて、そのままスペイン語で勘違いを制止。
私にその気がないのが分かると、エジプト人はあからさまによそよそしくなった。わかりやすすぎる。荷物を運ばせておいて本当に申し訳ないし、別ターミナルへの移動がスムーズにいき助かったが、そのくらいで勘違いしないで欲しいし、そもそも住んでいる場所が遠すぎるのだから、どうするつもりだったのか、謎。
いや、そのエジプト人は富豪かもしれないし、そのまま夢のロンドン生活もありかな、なんて一瞬だけ妄想w アホだ。
そのままそれぞれの航空会社のカウンターへ行き、アホな妄想も終了。袖振り合うも他生の縁というやつか。助けてもらったし、まぁいいか。
羽田へ
私が乗る羽田行きの便の情報を確認すると、ちょうど30分遅れていたため、焦る必要はなかったと分かり、ほっとした。
とりあえずトイレに入ると、1人使用するたびに掃除が入り、めちゃくちゃキレイ。日本の駅のトイレなどよりよっぽど清潔で嫌な臭いもない上、チップをせがまれることもなく快適だった。
20年前にインドを訪れた時は、空港であっても公共のトイレは床がびしゃびしゃに水が溜まっており、普通に汚い上、ペーパーがなく、掃除をしている人に小銭を渡して買う必要があった。
少し郊外に行くと水洗トイレがなく、電気がない真っ暗な中で懐中電灯を頭からかけて汲み取り式(?)を使ったことがあり、臭いも凄まじく、汚物の溜まった穴に落ちたら終わり、という恐怖があった。
この20年でのインド変化や発展は目を見張るものがあり、そう聞いていたものの、実際に自分の目で見て大変驚いた。既に幾つか持っていたが、帰国してからインド関連のETFや株、投資信託を買い足した。私の老後を支えてくれるだろうか。
実は結構楽しみにしていたデリー空港での乗り換えタイム。お目当てはショッピング。今回のインド旅行では買い物をする時間と機会がほぼなく、前半のハリドワールで服とストールを買ったくらいで、友人や知人に渡すお土産がまだなかった。それを買う最後のチャンスがデリー空港なので、乗り換えの時間が短いことに焦っていたのはある。
まずはヨガの先生に頼まれていた、アーユルヴェーダの歯磨きペーストを買うというミッション。パタンジャリという、ヨガスートラを書いたとされる伝説の人物と同じ名前のブランド。
先生に頼まれていたものは、ノーマルなタイプの歯磨き粉だったが、面白いと思い、幾つか違うフレーバーのものも買ってみた。他の友人用や自分用含めて20本くらい購入。歯磨き粉バイヤーのような、あやしい日本人。
次はインドの雑貨を売るお店へ。置物や飾り系、陶器や服など色々売っているが、値段は日本のデパートくらい。高すぎ。やめた。
雑貨店の反対側にお茶のコーナーがあり、これも日本のお高めの店と同じくらいの値段だったが、ルピーが余っていたし、いいやと思って物色。
パッケージを見て考えていると、店員のお兄さんが近づいてきた。細かく説明してくれるが疲れで言葉が頭に入らず。他のものを手に取るとそれもまた詳しく説明。ずっと張り付きで解説。またここでもパーソナルスペース問題がしんどい。
色々説明ありがとう!ちょっと考えたいから1人にしてくれます?と言うと、少し離れてくれたが、基本的に1メートルくらいの距離感で見張られている感じ。全然1人にしてくれない。
で、また寄ってきて説明が始まる。私は普段の買い物でも決断する時は1人が良い。誰かと一緒だと判断力が鈍り、ノリで変なものを買ってしまったりし、よく後悔する。
万引きを心配しているのか、売上のノルマがあるのか分からないが、張り付かれていると思考が止まる。
お願いだから、スペースをくれませんか?1人で考えたいんです。決めたら声をかけるので、それまで話しかけないでもらえますか?
とはっきり言って、少しクールダウン。
友達やお世話になっている人、1人1人の顔と好みを思い浮かべながら、それぞれに合うお茶を選ぶ。
1人はチャイ、もう1人はトゥルシー(ホーリーバジル)、また別の人にはダージリン、アールグレイ、アッサムなど。それから自分用にも。
頭が働かず、お金の計算まではする余裕がなかった。足りなかったらクレジットカードで払えばいいし、と思い、先程の店員のお兄さんに声をかけてお会計をお願いする。面倒くさいけど、お兄さん嬉しそうだったから、売上に貢献できて良かったのかな。
大きな額のお札を出したが、お釣りが戻ってきて、ルピーがまだ残っている。
そういえば飲み物を買っていなかったなと思い、本屋兼お土産屋のようなお店に入り、ミネラルウォーターを手にしながらなんとなくお土産を見ていた。
すると、なんだか神秘的な輝きを持つ美しいベルが目に入る。鳴らしてみると邪気を払うような、凄く心惹かれる音。値段もよく分からないけど、カードがあるし、まぁいいかと思い、ミネラルウォーターと一緒にレジに持って行った。
お会計の金額を言われて、財布の中の持ち金のルピーを見ると、一番小さな単位の小銭も含めてちょうどぴったりな額だった。
そんなことってあるだろうか?
こうして私は両替したルピーをすべて使った。そして、偶然にも一生もののお守りを手に入れた。
そんなラストに訪れたミラクルに驚きながら、搭乗ゲートの方へ向かった。
そして未来への決意
そこからはすべてがとても早かったように感じる。
飛行機に搭乗するや否や眠りこけ、機内食を食べてはまた眠り、あっという間に羽田に到着。体感30分くらい。
スーツケースの受け取りを待っている間にWhatsAppをダウンロードし、まだインドにいる仲間たちとつながることができた。
あの施設で出会ったメンバーたちとの絆をこれからもつないでいきたい。1人でも欠けていたり、1日でも滞在がズレていたら、それぞれにとって違う時間になっていただろうと思うと不思議だった。そして、また世界のどこかで再会できたらいいなと思う。
最寄駅の隣まで連れていってくれるバスに乗りながら、ヨガをずっと伴侶にしていきたいなと、ぼんやりだけれども、あらためてちゃんと決心した記憶。
しっかりとした収入にならなくても、そんなに大勢に知られなくても、認めてもらえなくてもいいから、自分が良いと確信したものを、シンプルにそれを必要とする人たちにただ届けていきたいと、思った。
そのためにはまず自分を整えて、つながるエネルギーを育てていかなきゃなと決意。
そんな熱い想いを抱えながら帰宅し、最初に向かったのはお風呂場。温かいお風呂に入りながら、幸せは近くにあるものだな、と青い鳥のようなことを思った。
~完~