見出し画像

ミスについて知っておきたい3項目~芳賀繁『失敗のしくみ』感想 

 校閲はミスを拾う仕事である。拾えなければ「失敗」である。それを防ぐために「失敗学」の本を読んだ。
 まず、失敗(エラー/ミス)を起こしやすい人とそうでない人との違いについて本書を見ていこう。


個人の差よりも、ある個人の「時による差」の方が大きい

私は、エラーの起こしやすさについて、個人間の変動よりも、個人内の変動の方が大きいと考えています。

平均より少しばかりエラーの確率が高い人や低い人がたしかにいるけれど、その確率のばらつきよりも、ひとりの個人がエラーを起こしやすい状態にいる時とエラーを起こしにくい状態にいる時の失敗確率のばらつきのほうが大きい

錯覚しやすい情報は誰もが錯覚するということ。錯覚は人間の側の要因ではなく、環境の側が持っている特性によって引き起こされる

本書24ページ、32ページ

 具体的には、ひとりの個人が「人間関係の問題、家族や恋人の問題、仕事や金銭上のトラブル、加齢や病気、ストレス、仕事の忙しさ」といった要因を抱えると失敗を起こしやすくなる。とうぜん「睡眠不足」や「ちょっとした体調不調」も影響するだろう。そのような変動の幅のほうが、個人間の差よりも大きいということになる。
 つまり、ミスを減らすためには個人内の変動幅をできるだけ狭めるのがよい。自分の心身をいかに安定した状態に保つかが最重要だ。
 さらに、校閲者とは「一文字にかける時間を平均する」ことを求められる職業である。牟田都子『文に当たる』にあったが、ある文字を〇.四秒で見るとすれば、どの文字も〇.四秒かけて見る。これが校閲者のやり方だ。ここからも、「安定」が何よりも大切とわかる。
 校閲者はそれを知っているから、自分の心身のメンテナンスには相当注意を払っているし、実行している。わたしもストレッチや筋トレをし、エアロバイクを漕ぎ、心理学を学んでメタ認知を高めるなどしている。
 だがもう一歩進んでみたい。とくにメンタルが影響を受けたとき、自分をニュートラルな状態に戻せるようにしておきたい。怒りが込み上げてきたり混乱したりしてきた瞬間、瞑想やジブリッシュ(口からでまかせ、でたらめに、意味のない音を発する。詳しくは https://gibberish.jp/ を参照)の体制に入れればよいのだが、自分はまだそこまで行っていない。今後の課題である。

パターン・マッチングは大切だが……

 人間は持っている知識を鋳型にして外部からの信号を認識します。パターン・マッチングです。「理解する」ということは、情報が自分の持っている鋳型にぴったりはまって「ああ、こういうことか」と合点するということです。鋳型を持っていない(知識がない)場合、新しい鋳型を作るところから始めねばならないので、時間もかかるのです。

本書38ページ

 これは、間違いの「鋳型」つまりパターンを多く持っている方が、ミスを発見しやすいと言い換えられるだろう。たとえば「『型』と『形』は意味も音も字も似ているため間違えやすい」がひとつのパターンとする。こういうパターンは多く知っていた方がよい。
 だが、そこにも落とし穴がある。「似通った鋳型」を持っていると、逆に認識を間違えてしまうというのだ。著者は「芳賀」という姓だが、電話でホテル等の予約をとるときに「羽田」「加賀」「多賀」「原」などと間違えられることが多いという。聞いた側が、「ハガ」と聞いて、自分の持っている鋳型にないため、似た鋳型に当てはめてしまうからだと著者は述べている。
 これを校閲者に当てはめてみよう。間違いパターンは多く知っているに越したことはないが、すぐ「あれだ!」と飛びつくのは禁物だ。パターンを多く知った上で、虚心坦懐に校正刷りを見る態度が求められる。
 無論そうしているつもりではあるが、つねに脳を空っぽにしてから校正刷りと向き合わねばならないと改めて知った。とくに、同じ著訳者の著訳書であっても、「これはあのパターンだ!」とコメントを入れたり、逆に流してしまうのも危険である。

なぜ「ミスの隣のミス」を見落としやすいか

 注意はサーチライトです。頭の中でも自分の体の一部でも、自分の外にある外界でも、何かに焦点を当てて詳しく調べたり、ある場所に光を当てて対象を探したり、光軸を動かしたり光の当たる範囲を広げたりして敵や危険を察知したりします。
 注意の光量には限りがあるので、光が当たる範囲を広げると光が弱くなります。一ヵ所に強く当てると他の場所は暗くなります。そして、光の当たらないところが不注意になります。注意と不注意は同時に起きる現象なのです。

本書48ページより

 ある一か所に注意を向けると他の箇所への注意は届きにくくなる。校閲者なら誰しも、要コメントやミスの箇所を見つけると、すぐ隣のミスに気づかず、見落としてしまったことがあると思う。注意のサーチライトが当該箇所に集中しており、その隣が暗くて見えない。そのための見落としである。
 もちろん校閲者はこの落とし穴をわかっている。一か所赤字やコメントを入れたら、その周辺にサーチライトをぐるぐる回すイメージで見直す。それでも、見落としゼロにはならない。ほんとうに難しい。

チェックリストは有効か

チェックリストもあまり長くなると、確認がおろそかになります。絶対に忘れてはいけない事項と、できればやっておいたほうがいい程度の事項とが同列に並んでいると、途中でひとつかふたつ飛ばしてしまったものが、たまたま非常に重要な事柄だったという事故も起こり得ます。

(リストは)20項目を超えない方がいいでしょう。

試行錯誤を経験した人は応用力があります。経験を活かして、非常時にも臨機応変に対応できます。

本書98ページ、150ページより

 翻訳チェックや翻訳校閲では、わたしはリストを作ってチェックしている。だが、チェックリストは作り方がたいせつだ。著者が述べているように、重要度で分ける必要がある。
 リストを作ったら、優先順位で分類しておく。優先順位が高い順に「絶対に見なければならない(例:誤訳・訳抜け)」、「やったほうがよい(例:用語を統一する)」、「できればやったほうがよい(例:わかりづらい訳文の箇所に代替案を入れる)」の項目にそれぞれ分けておくということだ。
 チェックリストは意味がないという人もいる。慣れてくると「チェックするという動作」を手が覚えてしまって、脳は働いていないのに手が勝手にチェックマークを入れてしまうというのだ。
 たしかにそういうことは起こる。それでも、チェックリストは作った方がよいとわたしは思っている。
 一番大切なのは「作る」ということにある。その作業に必要な項目を脳内から棚卸ししてくる。そして分類する。ここが大切なのである。
 本書では、「試行錯誤で作ったという経験が、チェックリストが通用しなくなったときにも生きる」という。
 現在のリストは条件Aを前提として項目aを入れた。だが事情が変わって条件Bになった。だから、いまのリストを作るときに捨てていた項目bを今度は入れてやってみよう、などと考えられるとある。
 たしかにそうした頭の働きは、チェックリストやマニュアル作りの経験から生まれてくる。同僚や先輩のミスから学ぶことが難しいフリーランスこそ、自分でチェックリストを作ろう。そして、時々作り直すことで、作成の過程を忘れないようにしておくことが大切だ。

いいなと思ったら応援しよう!