ラジオを聴いていたら 「加齢による傲慢」というショッキングなワードが飛び込んできた。 老害と言う言葉を耳にする事があるが、それはまさにこの「加齢による傲慢」がピタリと当てはまる事に気がついた。年齢を重ねて素敵になる人と、そうでない人の違いは、この傲慢にあるようだ。 3年ほど前、哲学の勉強会へ参加した事がある。 参加者は、事前登録とカフェ代だけの徴収という軽い集まりで、20名弱の20代~70代の実に幅広い年齢層のメンバーだった。なんのヒエラルキーも無いフラットないい
10数年前に両親が他界し、稼業を継いだ。 「電話の消毒」という超マイナーな電話のお掃除サービスだ。 かなり昔、日本で結核が流行った時に、電話の送話口から菌がうつると言われ、北里大学の研究者の方と考案された電話口装着型の医薬品を取り換える。 東京で始められた「電話の消毒」は、職場の衛生に安全性をもたらし、多くの企業が採用していた。 私の両親は、岐阜エリアを受け持ち、貧しいながらもその稼業で私と姉を育ててくれた。 10年位前、両親が他界した時、私は、そのビジネスを継承す
「考えている事がよくわからないです」 そう言われる事が、昔から何度もある。 若い頃は、傷つきすぎて「わからない方が悪い」くらいの勢いで受け止めきれなかったけれど、今は「言葉の選択と生き方の違い」だと素直に思う。 年を重ねるのも悪くない。 本音を言えば、ほんのちょっぴり心がちくっとするのだが、それでも私は、人とのコミュニケーションを自分からあきらめる選択をしたくないと思う。 自分の見えなかった世界を相手が持っている事実。 そして、相手が見えなかった世界を私が持っている
「ママ、抱っこしたい!」 久しぶりに電車に乗ったら、「ママ、抱っこしたい!」 と2歳位の男の子が叫んでいた。 バギーに乗せようとする若いパパさんママさんに、必死で抵抗し 「ママ、抱っこしたい!」 「ママ、抱っこしたい!」 を繰り返していた。 あまりにも大きな声で繰り返すのでママさんは、 バギー乗せを諦め、ボクを抱き上げる。 すると、ボクは、ママを自分の方にぎゅっと抱きしめた。 ママを強く引き寄せる小さな手が、ママへの愛情を物語っていた。 大人になると愛情は、
高円寺の銭湯、小杉湯の3代目の平松さんのお話を聞くオンラインイベントがあった。 コロナ時代、地域のコミュニティの場である銭湯がどんな存在であるのか? など沢山、興味深い話が聞けた。 銭湯のお話を聞くうちに、突然、記憶の中にある光景が浮かんできた。 幼い私の背中をギュッと絞ったタオルで、ゴシゴシ垢すりをする母。 「痛い!」と叫ぶワタシ。 銭湯になじみの無い人も若い世代は多いと思うが、銭湯に通う事が当たり前の家庭が昭和の時代は多かった。 家は裕福ではなかったので自宅に
ワーケーション体験で尾道に来た。 東京から福山までのぞみで約4時間、福山から尾道まで行くのに在来線に乗り換えようとホームで待っていた。 そこに現れたオレンジとグリーンにJRの文字の書かれた列車。 「この光景、絶対見たことがある!」 そんな事を考えながら列車に乗る。 濃い茶色の直角椅子にレース模様をビニールコーティングした白のヘッドカバー。 手で上げ下げするアナログな日よけカバーのストライプ。 網棚の感じやドアの形も全部同じだった。 尾道は、大林宣彦監督の出身地
一週間くらい前、愛犬リクが左の前足をケンケンするように歩いていた。 その朝散歩では、走っていたので心配になり、すぐに近くの病院へ連れて行くと獣医さんから「肉球に傷があるから、当分は、出来るだけ安静に」と伝えられた。 ご飯より公園散歩が好きなリクには申し訳ないが、軽いご近所散歩に切り替えるしかなく、毎朝の野川公園のお散歩は、私だけの日課になった。 幸い、ケガはそんなにひどくなくケンケンは、初日だけで、1週間ほどすると、たまに左の足裏の肉球をなめるくらいに落ち着いていった。
久しぶりに都内で打合せがあり、休憩時間に飲み物を買いに出た時、たまたますれ違った20代くらいの女性が青信号なのに渡たろうとしなかった姿が目に入った。 「どうしてだろう?」 彼女の事が気になり、夕暮れ時だったことも手伝い、少し離れたところからそっと様子を見ていた。 するとあることに気が付いた。 彼女は、足の甲が両足とも内側を向いていて杖を持って歩いていた障害を持った方だった。 まだ若いその女性は、ほんの30センチ歩くだけでもすごく時間がかかっている様子で赤信号の間、横
見ず知らずの誰かに助けられた事は、きっと多かれ少なかれ誰だってある。 落とし物を届けてもらったり、迷子になってしまったら丁寧に道を教えてもらったり。 しかし、ここに子供が関わってくると、事態はシンプルにはいかなくなる。 今朝の情報番組で「道で泣いている女の子がいたら声をかけますか?」 というインタビューにほとんどの方々が「声をかけない」という答え。 理由は、こんな内容。 ・誘拐などの冤罪リスクがある ・面倒な事に巻き込まれたら人生が破滅に追い込まれるから 「もしかし
スポーツや演技に秀でたイケメンアスリートやイケメン俳優が 最近、相次いで自爆するように謝罪会見をする場面をよく目にします。 皆一応に、拘留され、出てきたときは黒いスーツを着て、髪も黒く清潔にセットされ「申し訳ありませんでした!」と頭を下げる。 この光景を見るたびに、「これは、既にプログラム化されているのではないか?」と思うほど皆、一応に同じ行動を繰り返します。 最近、謝罪された俳優さんやスポーツ選手など特に嫌いな人も好きな人もいませんが、全員がその世界では実力のある方ば
少し、人に親切にされた時、心がほんわり温かくなるのはきっと私だけではないでしょう。 昨日の事ですが、ふらりと都内から1時間半くらいのところにある川のせせらぎが聞こえる日帰り温泉へ行きました。その場所からすぐのところにあるおやき屋さんにへ3時位に行くと既に売り切れでした。 ここは、見晴らしのいい場所にあり知る人ぞ知る美味しいお焼き屋さんみたいで何度行っても買えない事が続いていました。 その事を話すとおばちゃんは、"もう一度作るよ!"と言って3個の注文を取り、私たちは夕方6
あっちもいいけど、こっちもいいな。 洋服も旅行先もカフェでのメニュー決めもついつい迷ってしまう。特に美味しそうなメニューが並ぶお店ではついつい時間をかけてしまいそう。 ですが、この意思決定のスピードに脳疲労の蓄積に関わっているってご存じでしょうか? 大袈裟ですが、人生は選択の連続です。 少し歩くと道が二つに分かれていて、また少しあるくと道が三つに分かれ、続いていたとおもっていた道が途切れて、、、 そんな時は、途方に暮れてしまいますが、何かを決めるという事は、別の選択を
この不安定な世の中で、ずっと「いまの私にできること」を考え続けていました。 それは、シンプルに丁寧に毎日を生きることです。 曲をつくったり、イラストを描ける特技はないけれど いまの私ができる事は、誰かに向けて言葉を残す事です。 過去の日記を後から読み返してみると意外に頑張っている自分に出逢えてなんだか勇気がわいてきた事があります。 書いた記事が、すぐでなくても何か月後か、はたまた随分老いてしまった後でも誰かに見つけてもらえたら嬉しいし、それでまだ見ぬ誰かの気持ちが少し
何気なくコンピューターに向かっていたら 「過去に生きてはいけない」というタイトルがうかびました。 「いやいや、過去になんて生きられないし。。 今にしか生きられないでしょ?」 と突っ込まれそうですが、あえて今日は、”過去に生きてはいけない”を掘り下げてみようと思います。 「過去に生きてはいけない」それは、言い換えると 「今、この瞬間を生きる」という事。 何か美味しいものを食べたり、マッサージがめちゃくちゃ上手い整体師さんに出会ったら、その快感が忘れられず 「また、そ
周りから見てどんなに幸せそうでも、その人の気持ちや状況は、当事者である本人にしかわからないものです。 突然のさよならに言葉を失ってしまうニュースを最近よく耳にし、ショックを受けていらっしゃる方も多いかと思います。 コロナウイルスが蔓延し、世界の一人一人が見えない負担を強いられているいま、それをどう切り抜けたらいいかを考えて見ました。 このくらい頑張れると思っていた事も、心のピースが外れ、バランスが取れなくなる様に、ほんの些細な事がきっかけでバラバラと全てが崩れてしまう。
悔しくて納得出来ない理不尽な事が起きたら そこにとどまるか 手放して先に進むか そのどちらかを選ぶ事は 「誰でも」、「どの瞬間に」でもできます。 悔しくて納得出来ない理不尽な事を目の前にして 無理にポジティブになる必要はありません。 ただ、悲しみや怒りの感情の渦に巻き込まれ、気付いたら行きたくない場所にいたという事は避けたい物です。 生きている時間が長くなればなっただけ、嬉しい事やハッピーな事も多くなるけれど、悲しみや怒りの経験値も上がります。 楽しく、ハッピ