視点が、違う人と関わる事は、ハード。でも大切。
「考えている事がよくわからないです」
そう言われる事が、昔から何度もある。
若い頃は、傷つきすぎて「わからない方が悪い」くらいの勢いで受け止めきれなかったけれど、今は「言葉の選択と生き方の違い」だと素直に思う。
年を重ねるのも悪くない。
本音を言えば、ほんのちょっぴり心がちくっとするのだが、それでも私は、人とのコミュニケーションを自分からあきらめる選択をしたくないと思う。
自分の見えなかった世界を相手が持っている事実。
そして、相手が見えなかった世界を私が持っている事実。
それは、同等に価値がある事だからだ。
自分の価値だけで、それ以外を切り捨てていく事は、自分の陣地を広げるというより、狭く狭くして、実は自由に動ける場所をせばめていく事に他ならない。
例えば、
一人暮らしを始めて、母親が口酸っぱく注意していた事の意味や、学生時代の先生の言葉が、就職してから突然響いてきたり
人は、受け取った言葉の意味に気付かずに生きている時期がある。
意味ある言葉は、熟成される時間を挟んで何年後かに突然、腹落ちする瞬間があるものだ。
自分にとって遠いものは、近くに来た時点でないと理解もできないし、共感もできない。それくらい、人間は新しい考えや自分にとって都合の悪い考えを無意識に追い払っている。
言い換えれば、それらの言葉が瞬時に効いてくる事の方が稀だといえる。
人と、違う事に意味がある。
人と、すぐにわかりあう必要はない。
ただ、何がわからなくて何が必要だったのか?を考えるだけだ。
まだまだだと、思い知らされた夜は、赤ワインでも飲んで犬の寝顔を見て癒される。
頭で整理できてもハートは、やっぱり気弱になる。そんな時は、ちょっぴり自分に愛を浴びせれば、また明日も頑張ろうと思える。