優しさは、誰からもらってもいいじゃない
少し、人に親切にされた時、心がほんわり温かくなるのはきっと私だけではないでしょう。
昨日の事ですが、ふらりと都内から1時間半くらいのところにある川のせせらぎが聞こえる日帰り温泉へ行きました。その場所からすぐのところにあるおやき屋さんにへ3時位に行くと既に売り切れでした。
ここは、見晴らしのいい場所にあり知る人ぞ知る美味しいお焼き屋さんみたいで何度行っても買えない事が続いていました。
その事を話すとおばちゃんは、"もう一度作るよ!"と言って3個の注文を取り、私たちは夕方6時までに取りに行く約束をして別れました。
すっかりリフレッシュしてから5時半くらいにおやき屋さんへ行くと
"6時の人へ、向かいの喫茶店にいますので訪ねてください”と玄関に張り紙がしてありました。
"張り紙にメッセージとは、なんとも懐かしい感じだな"と思いながら、おやき屋のおばちゃんを探しにいくと
「早かったね。来てくれたんだね。ありがとう!」とニコニコしながらお店に連れて行ってくれました。
そして、袋に入った約束のおやき3個渡してくれました。
私:「幾らだっけ?」
おばちゃん:「お金は、要らないよ。来てくれたからそれでいいよ。」
私:目が点になる・・・
私:「ダメだよ、お金払うよ」
おばちゃん:「本当に要らないよ、それなら、又来てくれる方がうれしいから」
おばちゃんは、本当にお金を受け取らず満面の笑みで私を見送ってくれました。ほんの5分のやり取りです。
嘘のような本当の話ですが、車の中でほおばったおやきの素朴な甘さが心に染み、とてもいい映画を見たような豊かな気持ちになりました。
宣伝とか広告とかしなくてもおやきを食べた人が「美味しい」以上の何かを受け取りそしてまた、訪ねてみたくなる。ちょっと心が疲れたら食べてみたくなる。滋味深く心まで豊かにしてくれるこの場所は、なんだかパワースポットみたいな気がしました。
誰かと喧嘩したり、心が乾いてしまって人に優しくなれない時、ついついその相手に対して望んだ行動を求めてしまいますが、優しさって、特定の誰かからしかもらっては、いけない事はないのです。
「私は、私」ばかりで自分の陣地だけを考えてしまう癖が付いてしまうと「他者からの優しささえ受け取る事」も忘れてしまう。
”こっちからは、私の領地だから入らないでね。”
そんな線引きが必要な時ばかりではありません。
世の中には、優しい人や心が豊かな人はたくさんいます。
欲しい優しさは、誰から受け取ってもいいのです。
優しさを受け取る事ができる人は、優しさを手渡すことができる人になっていきます。
ほんの少し心が疲れたら、お出かけしてみてください。
きっと何か素敵な事が待っているかもしれません。
本日もお読み頂きありがとうございました。
追記
お店の名前を書きたいけれど書きませんでした。
おばちゃんに迷惑がかかるかもしれないのでお許しください。