原体験を思い出す
「ママ、抱っこしたい!」
久しぶりに電車に乗ったら、「ママ、抱っこしたい!」
と2歳位の男の子が叫んでいた。
バギーに乗せようとする若いパパさんママさんに、必死で抵抗し
「ママ、抱っこしたい!」
「ママ、抱っこしたい!」
を繰り返していた。
あまりにも大きな声で繰り返すのでママさんは、
バギー乗せを諦め、ボクを抱き上げる。
すると、ボクは、ママを自分の方にぎゅっと抱きしめた。
ママを強く引き寄せる小さな手が、ママへの愛情を物語っていた。
大人になると愛情は、大人から子供へ手渡す物だというバイアスがかかる。
私は、この男の子の言葉を「僕を抱っこして欲しい」と聞いていた。
幼な子は、幼な子なりに愛する者を守ろうとする。
すっかり忘れていたが、幼いころ姉と競い合うように母に愛情表現をしていた事を思い出した。
子供は、真っ直ぐだ。
自分の出来る事よりも、したい事に正直である。
随分前に柔道の柔ちゃんが、
「越えたいのは、幼いころの自分」
と言っていた。
あの頃の自分は、無鉄砲にただ立ち向かっている、その強さが欲しいと。
最近読み始めた「原体験ドリブン」という本が面白い。
シンプルな質問に答えながら、少しづつ記憶の奥に隠れている自分自身の原体験を探す本だ。
ヒプノセラピーという退行催眠を自分で自問自答しながらやるようなイメージで、過去に感情が揺さぶられた経験の人には、思い出したくない過去に向き合う事になり、涙が出てきたりもする。
早速、試してみると自分に自分自答しながら向き合っていくとこんなにも自分の奥に感情があったのかと驚く。
自分の事は、自分が一番知っているのに筈なのに、実は自分によって書き換えられていた自分像にも気付いたりする。
他人と比べたり、小さな変化に一喜一憂したりして自らを苦しめたりしてしまう人間。ただでさえ、コロナや気候変動や不安定要素が満載のこの世の中で、今できる事は自分を苦しめない事が一番だ。
そこで自分に向き合ってみる。
自分の根っこに気付く事は、自分の素を思い出す事だ。
自分の根っこを温めながら生きていくことの大切さ。
精一杯人を愛する事を恐れない事。
電車の中のボクが大切な事思い出させてくれた。