信号を渡る時間について
久しぶりに都内で打合せがあり、休憩時間に飲み物を買いに出た時、たまたますれ違った20代くらいの女性が青信号なのに渡たろうとしなかった姿が目に入った。
「どうしてだろう?」
彼女の事が気になり、夕暮れ時だったことも手伝い、少し離れたところからそっと様子を見ていた。
するとあることに気が付いた。
彼女は、足の甲が両足とも内側を向いていて杖を持って歩いていた障害を持った方だった。
まだ若いその女性は、ほんの30センチ歩くだけでもすごく時間がかかっている様子で赤信号の間、横断歩道の正面に向き直し、青信号になるのをじっと待っていた。
私は、彼女が横断歩道をちゃんと渡れるか心配になり、声をかけようか迷っていた。
「声をかけるって、なんて?」自分に自分で答えのない突っ込みを入れながら状況を見守っていると「ピッポ・ピッポ」という音が青信号に変わったのを告げた。
信号が変わると彼女は、先ほどの歩くテンポから考えられないほど、スピードをマックスにして横断歩道を渡り始めた。
杖をつきながらの小走りは、かなり体力を消耗する様子で、横断歩道の真ん中までいくと肩で息をしていた。
中央分離帯あたりで、大きく一息し、「なんとか青信号中に渡るんだ」と背中に書いてあるほど一生懸命、点滅がスタートする中、白線を渡り切っていった。
青信号を渡る時間についてなんて、考えた事がなかった。
信号の「ピッポ・ピッポ」という音に関してもあまり気に留めたことがなかった。
自分の知っている事や経験は、本当に限られたものだと突き付けられた気がした。
知っていると自負していることは、怖い。気が付かずに誰かを傷つけたり、小さい世界に自分を閉じ込めたり、いい事なんて全くない。
だから、毎朝散歩し、太陽にむかって自分自身を天日干し。すると、少しエゴが蒸発して軽くなる気がする。
勘違いでも、いいと思う。
変化し続けて、身軽に生きていきたいのだから。
今日も、お読み頂きありがとうございました。