ゆるくどこかに所属していること
高円寺の銭湯、小杉湯の3代目の平松さんのお話を聞くオンラインイベントがあった。
コロナ時代、地域のコミュニティの場である銭湯がどんな存在であるのか?
など沢山、興味深い話が聞けた。
銭湯のお話を聞くうちに、突然、記憶の中にある光景が浮かんできた。
幼い私の背中をギュッと絞ったタオルで、ゴシゴシ垢すりをする母。
「痛い!」と叫ぶワタシ。
銭湯になじみの無い人も若い世代は多いと思うが、銭湯に通う事が当たり前の家庭が昭和の時代は多かった。
家は裕福ではなかったので自宅に内風呂がなく、母の自転車に乗せられて
姉と三人で近所のお風呂屋さんへよく行った。
暑い日も、寒い日も必ず連れていかれた銭湯。
そして、「しっかり、洗いなさい」
と言って必ずタオルをぎゅっと絞り、母は、垢すりをしてくれたものだ。
ちゃんと肩まで浸かって大人しくしていると、お風呂上りに脱衣所で瓶のフルーツ牛乳を飲ませてもらえた事が嬉しかった。
幼い頃の私は、銭湯を好きでも嫌いでもなかったけれど
水には、気持ちを洗い流す効果があるのだろうか。
学校で先生に注意されたり、テストの赤点で落ち込んでいても
帰路では、ほっぺが赤くなり、必ず心まで温かくなった物だ。
考えてみれば、コミュニティは、力を入れて作るものではなく
緩いお付き合いの中で自然に形成されていくものだ。
「あ、気持ちいいな」
「ここにいても大丈夫な気がする」
そんな、心地よい緩さの中で守られている感覚は、人間の
どこかに属したいという本能からきているのかもしれない。
会の終わりに司会者から質問があった。
「守りたいものは、何ですか?」
平松さんは、
「小杉湯という建物を守りたいです。
昭和8年から立っている建造物は、もはや神社仏閣に近い感覚です。」
とおっしゃっていた。
その建物がそこに存在するだけで心が和ぎ、優しくなれるそんな場所。
そして、それを守っていくという強い決意。
昭和を知らない平成生まれの人達には、他人との線引きがあいまいだった昭和の時代。そこに、ぼんやりとした憧れがあるという。
だからこそ、その時代の恩恵を受けた者は、後世に伝えていく責任がある。
実家に帰省した時に見る、お風呂屋さんの跡地が駐車場になっている光景。そんな寂しさは、少ない方がいい。
平松さんの言う「場所と人との関係性の編集」が小杉湯を通して「守る」事を実現にされている事。
尊い建物を個人の物と捉えず地域の、コミュニティの礎と捉えられている姿があるからこそ、小杉湯人気は高いのだと思う。
昔にタイムスリップしに、一度是非、小杉湯を訪れたいと強く思う。