悔しくて納得出来ない理不尽な事が起きたら
悔しくて納得出来ない理不尽な事が起きたら
そこにとどまるか
手放して先に進むか
そのどちらかを選ぶ事は
「誰でも」、「どの瞬間に」でもできます。
悔しくて納得出来ない理不尽な事を目の前にして
無理にポジティブになる必要はありません。
ただ、悲しみや怒りの感情の渦に巻き込まれ、気付いたら行きたくない場所にいたという事は避けたい物です。
生きている時間が長くなればなっただけ、嬉しい事やハッピーな事も多くなるけれど、悲しみや怒りの経験値も上がります。
楽しく、ハッピーな事は、もちろんポジティブな影響を与え、記憶に刻まれるのですが、悲しみや怒りなどの方が圧倒的に深く深く心の奥に刻まれるのはどうしてでしょうか?
それは、楽しく、ハッピーな事は、
「そのエネルギーを自らの潤滑油として容易に変換し使えたり、自分の心の奥にポジティブなエネルギーとして保管できる燃えカスが残らない状態」
に似ているかもしれません。
一方、悲しみや怒りの感情は、自分のキャパシティーを越え、そのエネルギーを使って燃焼しようとしても、完全燃焼できず、燃えカスが残るすっきりしない嫌な感じです。
この歓迎したくない、自分を苦しめるマイナスの感情は、その人の深層心理に刻まれ、思考癖としてその後の人格形成やメンタルに多大な影響を与え続けます。
このマイナスの感情を意識して自分の外に出している場合は、まだいいのですが、他人に悟られないよう、悲しみや怒りの感情を心の奥にしまい込んでしまうと、本人さえも気が付かないうちに、表面上浮かび上がってこない様にしてしまいます。
これは、自分を騙しながら重荷を抱え続けるという事になり、気が付くと精神的に自分を身動きできない状況にしてしまいます。
これは、無意識の自分が自分を守る為に起こす行動ですが、重荷をずっと背負って生きるというのは大変です!
悔しくて納得出来ない理不尽な事が起きた時「そこにとどまる」必要はありません。
しかし「そこにとどまる」選択をしたくないのに「手放して先に行く」事が出来ない時もあります。そんな時は、
出来事と出来事の間にスペースを置いてみたらいかがでしょうか?
具体的には、意識して
「その出来事を脇に置いてみる」といいかもしれません。
理不尽な事に振り回される感情を、一旦起きた出来事として自分の脇に置いて距離を取る事で、自らの感情からも距離を取る事ができます。
すると、その出来事に呑み込まれる前にその後の行動を選択する余裕が生まれます。
最近読んだ、脳科学系の本に物事を判断する時に、プラスの感情よりもマイナスの感情の方にコントロールされやすいという記述がありました。
人間の脳は、マイナスの感情ほど記憶されやすい。よって上手く行った事おり上手くいかなかった事が記憶されやすい。私達人間は、記憶力が良すぎる為、過去データに感情支配をされている。
たしかこんな内容だったと思います。
悔しくて納得出来ない理不尽な事が起きた時、マイナスの感情にコントロールされて生きるのもそれに惑わされず新たな選択をするのも自分です。
「誰でも」、「どの瞬間に」でも新しい自分に出逢う事ができると自分が信じれば、きっといい流れを掴めるもの。
疲れたら、川のせせらぎの音が心を癒してくれますし、自然の中を歩けば誰も自分の事を責めないと感じる事もできます
世界中が大変な時期だからこそ、自分が自分をいじめないで
癒しながら過ごしていきたいものです。