中学校へ行きたくない息子の、体調不良から考えたこと
今週は、ゴールデンウイーク明けだったので、子どもたちの「学校に行きたくない」気持ちが強かった。特に、中学生になったばかりの息子。
気持ちが体にも出てしまい、涙が止まらなかったり、腹痛が出てしまったりして、本人から「休みたいから、学校へ欠席の連絡をしてほしい」と依頼もあったので、火曜日は欠席した。
学校の何がそんなに嫌なのか、という話をしたときに、彼から「軍隊みたいな行動を強いられるから、嫌だ」という発言が出て、なるほどと思った。そして、もし彼が昭和の時代に生きていて、より強く反骨精神を持っていたなら、バットでも持って窓ガラスをぶち破っていたんじゃなかろうか、と思ったりした。
私たち世代のいわゆる「ヤンキー」には、そうした「社会の押し付け」みたいなものに、壮絶な反抗精神を持っている子が、一定数いた気がする。
先生方も、今よりずっと無頼派で乱暴だったし、そうした大人に真正面から食ってかかる未成年がたくさんいた。
今の学校にも、昔は恐怖政治を布いていたベテランの先生方が在籍しているが、皆、昔のように生徒をぶん殴ったりすることはない。もし、そんなことをすれば保護者が黙っていないのは勿論だが、教育方針は変わり、「話し合い」もしくは「黙認」で解決するようになったし、先生へ乱暴な言葉を使ったり、ましてや殴りかかるような生徒はいなくなった。
その代わり、と言っては何だが、子どもたちは自分たちで、自らを律し、時には縛るようになったと思う。
一言でいうならば、「みんな、いい子」なのだ。
自分のやりたいことを見極め、それに向かって一途に努力するとともに、周りにいる「仲間」「大人」のことを考え、「不真面目」に見える言動へ嫌悪を表し、それができないと「他人ではなく、自分を責める」
そして、「もっと、努力しなければ」と自分を鼓舞する。
そんな姿勢を、決して公でなくひっそりと「教育」されている部分がある気がしてならない。
それは、もともとの日本人の国民性も影響しているだろう。田んぼの作業をするときに、周りと協力しなければ田植えができず、水の分配も「自分の田が潤えばそれでいい」という考え方では反感を買う。家族は家業を手伝うのが当たり前で、大勢が集まれば暗黙の人間関係や気の配り方が、どんな地域にも存在していた。
そして、平成の初期までは、そんな人間関係に嫌悪感を抱いたり、反抗する姿勢を示そうと思うと、引きこもりになるか暴力的になるか、極端な場合も多かったのではないだろうか。
大前提として、どんなときでも暴力はいけない。
話し合いで解決するべきだが、今の息子は、自分にも他人にも気を遣いすぎて、発散の方法も分からず、やり場のなくなったエネルギーが全て、からだの中で溜まり、渦巻いている。そんな状態に思える。
「たった一人でも、おかしいと思うことはおかしいと言う」
「一人ぼっちを怖がらない」
「他人からどう思われようと、嫌なものは自分から距離を置く」
それを徹底しようと思うと、その行動によって「誰かを傷つける」と思ってしまうし、そこまで他人を遠ざけたいわけでもないので、結局、自分の我慢が爆発し、涙が出たり胃腸の具合が悪くなったりする。
よく、「最近の子は、反抗期がなくなった」と聞くけれど。
息子の場合は、「からだに症状を出すことで、全身全霊で反抗している」と私は捉えている。親にきつい言葉を投げつけたり、無口で不愛想になれるほどの反抗心を、彼はまだ蓄えられていないのだ。「親を悲しませたくない」「親へひどい態度をとってはいけない」と、自らを押し込めているように思える。むしろ、親に「うるせえ〇〇ババア!」と言えるくらいの方が、彼の体は楽なんじゃないだろうか。
※ただ、息子に「ババア」呼ばわりされようもんなら、逆ギレして胸ぐら掴みかかりそうな自分がすぐ後ろにいるのを感じるが、それはまあ、その時が来たら考えよう。。。
🔵🔵🔵
水曜日は、やはり朝から腹痛が出てしまい、休む気満々だった息子だが。
学校へ電話したところ、配布物の存在を知らされ、「一日のどこかで構わないから、登校してほしい」と話をされる。
結局、腹痛も涙も、息子の代わりに私がハライタを起こしたり泣いたりして解決するもんではないので。。。
本人が、どうにか付き合いながら、「やるべきことはやっていくしかないのだ」と腹をくくるしかない。
こういうとき、親子だけだとどうしても、子の頼みごとを親がただ聞いてやるだけになってしまいがちだが、第三者から「あなたは、これをやらなければならない」と提示してもらうと、本人も「そうか、嫌でもなんでも、自分にできる範囲でやらなければ」と気持ちを切り替えられたりする。
しかもこの日、私は仕事で一日いなかったので、学校への顔出しは義母へお願いした。それも功を奏したのだろう。「義母へごねて、迷惑をかけるわけにはいかない」という気持ちが働いたのか、登校して配布物を持ち帰ってくることができた。
しかしこの日、教室へは行けず、いわゆる「保健室登校」をして終わった。
🔵🔵🔵
木曜日。尿検査の提出日だったため、やはり登校の必要があったが、朝から腹痛。相談も兼ねて、かかりつけ医を受診してから登校する。
かかりつけ医では、ストレス性のものと胃腸の不調とを判別するため、検便を提出するよう言われ、診断はお預け。学校へ向かう。
「友達にバレると気まずいから、外から行く」という彼の言葉をよく分からないまま鵜呑みにし、なぜか忍者のようにこそこそと、息子と学校の外壁を伝うハメになる。そして、職員室の前を通りかかったときに、担任の先生と学年主任の先生に忍び歩きを見つかり、めちゃめちゃ気まずい思いをする。
それでも、優しく受け答えをしてくれる先生方にうながされ、「どうしてもダメなら、迎えに来るので連絡をください」と送り出すと、息子は3時間目から教室へ入って行った。
そしてそのまま、教室で1日を過ごし、スクールバスで帰ってきた。
実はこの日、夕方から塾があり、ゴールデンウイーク前には「塾の手前まで行きながら、腹痛でキャンセル」したので、今回はどうなるだろうと思いつつも、「とりあえず向かってみよう」と彼をうながして塾へ連れて行った。
個別指導の塾で、先生は前回のキャンセル時に対応して下さった方。
「僕も、若いころにしょっちゅう下痢してて、すごくつらかったことがあるんですよ」「しんどかったら、無理しなくていいから、できるところだけやってみよう」とうながして下さり、息子は腹痛を抱えつつも個別ブースへ入って行った。ここでも、「どうしても無理だったら、迎えに来るのでご連絡ください」と先生へお願いしておく。
しかし、塾から呼び出されることはなく、終了時間まで授業を受けられた息子は「途中から、腹が痛いの治った」とケロリとしていた。
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「精神的に弱い」「お豆腐メンタル」
そんな表現でくくってしまうのは簡単だろうと思う。
実際、周りの同級生から息子は、そんなふうに思われているようだ。
ただ、そのことに傷ついて立ち上がれなくなるほど、息子は弱くもないと、私は思っている。
むしろ、今まで滅多に熱も出さず、怪我もせず、健康で生きて来られたぶん、若くて体力のあるうちに、体と心のバランスで苦しむ経験をするのは、彼の成長と、人としての幅を広げることに繋がると思う。
人によっては、私が「年長者として、上から目線で言っている」と思われるかもしれない。「息子の苦しみも知らないで」と非難されるかもしれない。
あるいはこのご時世、「発達障害的な特性があるから、そんなにつらいのでは?」「息子の特性について、もっと理解が必要なのでは?」そんなご意見もあるだろう。
実際、彼が自分で情報を集めてみたところ、HSPとADHDの傾向があるようだ。
ただ、どんな特性を持っていようと、大事なのは「人生をどのように生きるか」だと思う。
「自分が、どんな場合に、どんなことを感じる人間で、何を考えて、選んで、生きていくのか」を決めるのは、彼なのだ。
そのときに、例え様々な理由でつらかったとしても「このつらさは一過性だから、うまく付き合いながらやりたいことをやるしかない」と割り切れるかどうかは、彼にかかっている。
逃げるも向き合うも、彼の自由なのだ。
だから彼には、親や周りのせいにすることなく、存分に彼自身のからだと、心を知る経験をしてほしいと思うし、その自由を奪う余計な干渉を、親がしてはいけないと思っている。
腹痛も涙も、周りに理解してもらえないつらさも、「軍隊のような教育のプレッシャー」も、オロオロ&ウロウロするだけの親も、全部まとめて抱え込んで、のたうち回って、ドロドロに溶かして、激痛に歯を食いしばりながら羽化し、強くたくましい成人になってほしい。
そんな願いをこめて、息子の成長を見守りたいと思う。
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