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そもそも人間はパターンに分類できるものなのか〜本当に好きなものは分類しない〜

人は分類できるか

人を分類する方法は、
実は結構あって、

それは何で分類するかによりますが、
最近何かと聞く、
"陽キャ"と"陰キャ"

陽は"明るい"キャラクター、
陰は"暗い""おとなしい"キャラクターで、
目の前の人をそのどちらかで判断する。

もちろん私はそんなことないと思っていますが、
大まかに人々を分類する例として、以下のようなものがあるらしいです。

あとは、
血液型、星座、干支、偏差値、国や地域…
それらの前提によって、
私たちはあらゆるデータ上の一つの値にさえ成り得ます。

まるでその前提の人たちが全て、
同じ傾向があるかのように。

パターンは思考停止のもと

例えば、
A型の人は几帳面で、
O型の人は大雑把。

であるとして、

目の前のO型の人がすごい几帳面だとしたら、
『O型なのに…』のような前提がつくんだと思います。

『O型の人』という、自分の中の『O型の人』像に対して、目の前の人を比べたり判断したりするということです。

あくまで基準は自分の『O型の人』像。
目の前の人を見るスタートは『O型の人』像。
その人と話してもいないのに、あたかもその人のことを知っているかの如く『O型の人』像に当てはめます。
つまり、目の前の人を分類します。
それで、あたかもその人のことを知ったような気になります。

人を知るとは

私は分類することが、
その人を知ることにつながるとは、
全く思いません。

別にその人のことを知らなくてもイイし、
娯楽でやる分には、
その人の勝手だと思いますが、

目の前の人を知るという目的で、
分類するというツールは使えないと思っています。

そもそも自分が好きなものは分類しない

なぜならば、
人は自分が本当に気になっているもの、
自分が本当に好きなものに関しては、
分類なんてしない
からです。

好きな人を、
どこにでもいる『O型の人』像に当てはめますか?
好きなお菓子を、
どこにでもある『お菓子』類として見ますか?
好きな観光地を、
どこにでもある『場所』として認識しますか?

自分にとって特別なもの、
あるいは特別にしたいものというのは、
そもそも初めから分類なんてせず、
その特徴を探そうとします。

いわゆる、『その人』『そのお菓子』『その場所』なんです。

そーなると、
自分が普段分類しているものというのは、
自分の中でそれほど重要と思っていないこととも捉えることができるのかもしれません。

でも、自分が重要だと思うことや、
思いたいことなのだとしたら、
もっと"そのもの"にフォーカスすることで、
その本質を見ることができるのかもしれません。

今回は『そもそも人間はパターンに分類できるものなのか〜本当に好きなものは分類しない〜』について書かせていただきました^ ^

また、明日ね😊✨

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