見出し画像

継続する理由を【誰か】にしない〜他人に期待することはギャンブル〜

誰かの反応が気になる


誰かに何かを伝えたい
誰かの心に響く言葉を書けるようになりたい

そのようなことはもちろん私も思っていますが、それがメインになる事がnoteを中心としたブログ等での発信の習慣化を妨げてしまう一つの要因になると考えています。

例えば、誰かにプレゼントを渡すとして、それが信頼関係が成り立っている人同士なら、それをもらうこと自体が既に嬉しいですよね。
気が知れた人が自分のためにプレゼントを選ぶ時間を割いてくれた。自分の時間を割いて働いたお金を支払ってくれた。そして渡す時間を割いてくれた。
要は人生の時間を自分のために使ってくれたと言う時間ベースの考え方で言えばその価値は実はかなり高いんじゃないかと思っています。

しかしそれが赤の他人ならどうでしょう。
そうなった時に価値観は一変します。
いや、誰とでも仲良くなれる才能をお持ちの方以外の人は、いきなり赤の他人からプレゼントを渡されたら驚くでしょう。別のサプライズ。

話は戻って、

誰かの心に響く記事を書きたい、
誰かにスキしてほしい、

それを自分に置き換えた時、
誰かの記事で心が動く時はどのぐらいありますか?
誰かの記事をスキしたくなる時はどんな時ですか?

心が動く人は動くし、スキをしてくれる人はスキをしてくれる

実はそれは自分ではコントロールできないことなんだと思っています。
自分がコントロールできないことに期待を寄せると言うのはギャンブルのようなもの。

ただそれがギャンブルとわかってギャンブルをするのと、ギャンブルとは知らずにギャンブルするのでは、事前の期待度が異なります。

事前にギャンブルとわかっていれば結果的に期待を下回っても切り替えができるかも知れませんが、それとは知らずにいつまで経っても期待を上回らないのではストレス度合いが違うのは明らかです。
そして今回は他人に期待すると言うのはある種のギャンブルであると言う私の考えをお伝えしています。

なので、ブログ等での情報発信での心構えとして置き換えるとするならば、心が動く人は動くし、スキをしてくれる人ばスキをしてくれると構えておくのがイイんじゃないかと思っています^ ^
ここでいう構えておくというのは、決して力む状態ではなくてどちらかと言えば自然体でいるという事です。

他人に期待せず自分に期待する

過去と他人は変えられないが、
未来と自分は変えられる。

そんな言葉があります。
でも実はどれも変えることはできると思っていますが別の記事で。

ただ、期待を寄せる対象として考えるならば、過去と他人というのは適さないと思っています。
期待するなら、未来と自分。

自分が思ったことを書いてみましょう。
自分が思ったことを話してみましょう。
自分が思ったように1日過ごしてみましょう。

きっとそれをどこかの誰かは見ていてくれて、結果的に誰かの心が動くのなら、それはそれで誰かの役にたったと言えるのだと思っています^ ^

今回は『継続する理由を【誰か】にしない〜他人に期待することはギャンブル〜』について書かせていただきました^ ^

また、あしたね😊

いいなと思ったら応援しよう!