1歩ずつ確実に、夢がかなっている。
おはようございます。
今日は『日々のこと』ではなく、僕自身が抱く夢について少々述べたいと思います。
▼関連記事▼
僕は一番の到達点というかゴールに定めているのは『障がいの有無関係なく赤ちゃんから高齢者が過ごせる居場所づくり』をしたいと思っています。
これは大学生時代から抱いていた夢で社会人としての経験と合わせ少しずつブラッシュアップしてきた夢でもあります。約17年抱いてきました。
大学生の時にカリキュラムがなく学び合いを中心とした異年齢教育を行う『サドベリーバレースクール』について研究していました。
いずれ生まれ故郷である長崎市で『サドベリー(バレー)スクール』をつくってみたいと思っていました。
社会人になって、障害者の就労支援施設や「障害児の学童保育」と呼称される放課後等デイサービスの支援員として勤務する中で、考えがブラッシュアップされて健常者だけでなく『障がいの有無関係なく赤ちゃんから高齢者が過ごせる居場所づくり』をしたいと思うようになりました。
その夢を強く抱いた当時、勤務していた放課後等デイサービスでは主に身体障害を抱える子どもたちの療育に強いデイサービスでした。
しかし、発達障害や知的障害を抱える子どもたちも多く通所しているため、毎日が楽しくバタバタな日々でした。
その当時は、まだ僕自身、双極性障害(躁うつ病、双極症)と診断はされていませんでしたが、僕の躁鬱の波がやや大きく揺れ動き、心身ともに体調が思わしくなくなり退職することになりました。
僕が退職する際に子どもたちや同僚の方々が公民館で「お別れ会」を行ってくれました。勤務して1年と短かったものの、子どもたちが本当に可愛く、毎日が楽しく辞めたくはなかったです。
しかし、その当時は気分変調を、今よりも自己コントロールが出来ていませんでした。
子どもたちも、それぞれが別れを察してくれたのか不思議なゆっくりとした時間が流れ、子どもたちがみんな泣いてくれていましたし、僕も初めて退職するときに涙を流した職場でした。
そのお別れ会の最後に、僕から一言お話しさせていただく機会がありました。
僕は『いつか、みんながホッと安心できる居場所をつくりたい』と話しました。
それから、約8年経過し、その後も躁鬱の波などに翻弄されたり、自己対処法を学びながらも、職も転々としましたし人生、遠回りしてきました。
しかし、後日詳細は記事にアップしますが、長崎市で障がいの有無関係なく居場所づくりをされている事業所の所長さんから、『新年度から本格的に一緒に居場所づくりの運営に携わりませんか』と声をかけていただきました。
僕は、2020年から障害を持つ当事者としてお世話になっている事業所であり、たまにボランティアスタッフとしてお世話になっています。まさか運営側に声をかけていただけるとは思っていませんでした。
やりたいことだったため、すぐにお引き受けいたしました。
僕の理想とは、カタチは異なることもあるかもしれませんが、既存の施設がどのように実際に会を運営していっているのか、そして当事者性だけでなく、中立で、利用される当事者の方々の声を聞き入れながら、みなさんと一緒により良いカタチへ微力ながら貢献させていただけたら幸せなことです。
タイトル通り、1歩ずつ確実に、夢がかなっています。
なんだか2024年は運が味方についているのか道が切りひらかれたように先の眺望がスッキリと見えています。
当然、時には迷いや悩みはあったりもしますが、あまりネガティブに捉えないようになってきています。
まず今までと変わらずに、今出来ることを出来る範囲で1歩ずつ歩んでいきたいと思います。この歩んできた道は誤りでなかったことを証明していきます。