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家族とわたしと産後うつ

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それなりに育児も家事もこなせていて、仕事もしている。だけど本当は毎日娘の鳴き声に怯え、息を詰まらせながら過ごしていたあの日々。意外と身近に、しかも普通のお母さんに見えるあの人が、…
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記事一覧

【産後うつ記録】子育てサロン、その良し悪し

【産後うつ記録】子育てサロン、その良し悪し

子育てサロンへ通うようになって、すぐにお友達ができました。

自動車を止めることができないサロンだったため、利用しているのは徒歩圏内の親子ばかり。
中でも月齢の近いお母さんたち4〜5人とは、すぐによく話すようになりました。

乳児期は同じ生まれ年でも月齢で全く発達レベルが違うので、数ヶ月の差で悩みも全く別物です。
通い始めた頃娘が3ヶ月を迎えたばかりのわたしは、5ヶ月の寝返りをする子や8ヶ月のお座

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産後うつ記録:今でも疑問な「お母さんも落ち着いていていい感じですね」

産後うつ記録:今でも疑問な「お母さんも落ち着いていていい感じですね」

これは、わたしが娘を出産してから2年半もの間苦しんだ産後うつに関する記録です。今も産後うつに悩む方やその周りの方に、何か参考になることがあれば幸いです。
前回の記事はこちらです。

義母から知らされた長期出張の事実に、わたしの心はまさに嵐が吹き荒れました。

ほんの少しのわたしのミスで天に帰ってしまうかもしれない、この小さな赤ちゃん。空腹で泣き、目が冷めれば泣き、眠れないと泣き、何もなくても泣く、

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【産後うつ記録】子育てサロンへ行くことは決して簡単ではなかった

長期出張へ夫が行く前に、どうしてもしなくてはいけないことがありました。
それは、夫がいない間「顔を合わせて会話できる大人」をさがすこと。

というのも、この時点わたしはその町に住んでまだやっと2年。
産前に仕事はしていましたが、少し離れた場所で働いていたため、近所に知り合いはいませんでした。
朝夕に夫と過ごす時間だけが、唯一大人とまともに会話できる時間。
この貴重な時間を失ってしまうと、一日中言葉

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産後うつ記録:「赤ちゃんと過ごす毎日」を夫は想像できなかった

これはわたしが長女をを出産した後、2年半も産後うつに悩んだ記録です。
個人的な問題も多く個人差があるとは思いますが、同じように悩む方やその周りにいる方にとって何か伝われば幸いです。
前回の記事はこちらです。

産後に嫌なことをされると忘れない、なんて言いますが、まったくその通りだと思います。娘が生まれて4年半になりますが、未だに忘れない許せないことがあります。

娘が生後2ヶ月になる直前、自宅へ帰

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産後うつ記録:産後実家とうまくいかなくても、自宅へ戻るのはもっといやだったわけ

産後うつ記録:産後実家とうまくいかなくても、自宅へ戻るのはもっといやだったわけ

これはわたしが長女をを出産した後、2年半も産後うつに悩んだ記録です。
個人的な問題も多く個人差があるとは思いますが、同じように悩む方やその周りにいる方にとって何か伝われば幸いです。
前回の記事はこちらです。

これまで、出産前後の不安が大きかったこと、里帰りした実家とうまく関係が取れなかったことなどを書いてきました。

実際この2つは、わたしが母親としての自分自身に自信を失う大きな原因だったと思っ

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産後うつ記録:親でもあり子でもあるわたし②

前回の記事はわたしの幼少期から転校生として過ごす小学校時代までについて書きました。
そのなかで書いた通り、成長とともにわたしはどんどんアイデンティティというものを見失っていました。ただ実際のところわたし自身、自分が自分を失っていることに気づいていなかったのです。

今回の記事は、「親の言葉がけで子どもは自分を認識してしまう」という話をします。

ネガティブなセルフイメージになった理由は親の言葉がけ

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産後うつ記録:親であり子でもあるわたし①

産後うつ記録:親であり子でもあるわたし①

先の記事で、「両親の子」である自分というワードが出たので、今回はそれについて書いてみます。
里帰り中の話ではないので、少し横道にずれてしまいますが、いずれまた里帰りの話も書きます。

これはわたしにとっては産後うつを語る上で、どうしても避けて通れないポイントの一つでもあります。

というのは、産後うつの一因として、両親との関係があると思うからです。
より正しく表現するなら、両親との関係によって築か

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産後うつ記録:里帰り出産の前には親としっかりコミュニケーションをしなくてはいけないというはなし

産後うつ記録:里帰り出産の前には親としっかりコミュニケーションをしなくてはいけないというはなし

*これは娘を産んでから、2年半も産後うつに悩んだわたしの記録です。
前回の記事はこちらです。

前の記事で、里帰り出産して娘が新生児の時、実家が改装工事で大わらわだったことを書きました。
しかし、もう一つわたしの誤算があったのです。

それは、想定していたよりも母のサポートを得ることができなかったと言うこと。

先に書いておきますが、この里帰りはわたしから打診しました。
実家が遠方のため、里帰りし

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産後うつ記録:新生児母の洗礼と、実家の事情で心が砕けた

✳︎これは娘を出産したあと2年半も産後うつに悩んだわたしの、回復までの体験談です。前回の話はこちらです。

里帰り出産だったので、産院からは実家に退院しました。
実家は田舎で、庭も建物もやたらに大きく、ちょうどその庭を整備しているところでした。
実家近くに住んでいるわたしの姉夫婦が、敷地内に別宅を建てるためです。
連日工事車両がやってきては、ガラガラガタガタ。
朝は8時ごろから、夕は6時ごろまでそ

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産後うつ記録:臨月から産院生活までに産後うつの助走が始まっていた

産後うつ記録:臨月から産院生活までに産後うつの助走が始まっていた

✳︎これは娘を出産したあと2年半も産後うつに悩んだわたしの、回復までの体験談です。前回の記事はこちらです。

臨月から産院から産後実家へ帰るまでのことを、ざっくり振り返ろうと思います。

産後うつの原因は、今現在もはっきりとわかっていないそうです。
ただ、産後のホルモンの変動や身体的変化、疲労などといった身体的ストレスと、慣れない育児や孤立など精神的ストレスなどが一因だろうと言われています。

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産後うつ記録:いざ退院。その日にも貼り付けた「母親失格」のレッテル

✳︎これは現在4歳の娘を出産し、2年半も産後うつに悩んだわたしの、回復までの体験談です。前回の記事はこちらです。

入院期間中、上げ膳据え膳ながら我が子との関わり方が全くわからず、泣き声に怯えていた私。
とうとう退院の日がやってきました。

その時、すでに私にとっての娘は「可愛い!愛しい!」よりも、「どう向き合っていいかわからない存在」でした。

娘は冬生まれですが、その年は大変な暖冬で、12月だ

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産後うつ:至れり尽くせりの産院生活だけど帰宅後への不安は強くなった

産後うつ:至れり尽くせりの産院生活だけど帰宅後への不安は強くなった

✳︎これは娘を出産し、2年半も産後うつに悩んだわたしの、回復までの体験談です。前回の記事はこちらです。

わたしの地元は、なぜか大して大きくもない街に個人産院が複数あります。
そのため出産費用は自宅の近くよりもかなりリーズナブルで、今住んでいる地域の1番安い総合病院と地元の産院がほとんど同価格です。
そのうえ妊産婦を集めるために、とてもサービスが充実しています。
当然のように全室個室で、家族が一緒

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産後うつ記録:出産した日の夜は不安で泣いた

産後うつ記録:出産した日の夜は不安で泣いた

✳︎これは現在4歳の娘を出産し、2年半も産後うつに悩んだわたしの、回復までの体験談です。前回の記事はこちらです。

娘がとりあげられ、すぐに鳴き声が聞こえてきました。
産声が聞こえた時には、感動よりもむしろ安堵で胸がいっぱいでした。
先生が「元気ですよ」と見せてくれた娘の顔は、白い肌に痣のような赤みがありました。

その後処置をしてもらい、娘と夫とわたしの3人が分娩室に残されました。
大人しく眠り

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産後うつ記録:予定日を大幅に超えて生まれてきた娘

産後うつ記録:予定日を大幅に超えて生まれてきた娘

✳︎これは現在4歳の娘を出産し、2年半も産後うつに悩んだわたしの、回復までの体験談です。前回の記事はこちらです。

結局、娘は予定日を大幅に遅れても生まれてきませんでした。
出産予定日から数日後、●日までにお産にならなければ促進剤を打ちましょうと言われました。

周囲からの「まだ?」「生まれそう?」の質問にイラついたり、予定日を大きく超過すると羊水の状態が落ちるという情報に慄いたり、お産に立ち会お

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